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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

さかさま人間学 ②

2013-05-09 11:15:44 | 新聞を読んで
この文章、「好き嫌いは理屈じゃない。理屈じゃないものを理屈で説明できるんでしょうか・・」

ううん??となったところなんだけど、

なんでううん?となったのか・・・??

好き嫌いは理屈じゃない。うん、その通り。

いろいろ考えた結果、論理的にニンジンは嫌いということになった、なんてことはない。

ニンジンに限らず、生まれつきの好き嫌いみたいなものはあるような気がする。

なんだかわからないけど、こういう感じの物が好きとか、

なんでこうなったのかわからないけど、こういうことに興味があるとか、

自分でいえば、手芸が好きとか本を読むのが好きとか、

作文が好きだとか、そういうの。

いま、上の行で「なんだかわからないけど」と「なんでこうなったのかわからないけど」という

二つの表現をしたね~

同じような意味合いで書いていた。

なんだかわからない、とは、なんで“こうなったのか”わからない、ということ。

こうなった、とは今こう在る状態になったプロセスがあったということだ。

在るものはなってきたもの。どんなものでもそうだ。

どんなプロセスかはわかりようがないけれど、プロセスがあったことは確かかと思う。

単なる遺伝というだけで片付けられないものは感じる。

池田晶子さんに「どうしても『以前に生きていたことがある』というのが出てくる」とかそんな感じの文章があったけれども、

それもそういう感じなのかと思う。

まぁ、これは好き嫌いの“内容”での話しなんだけど。


「好き嫌いは理屈じゃない。

理屈じゃないものを理屈で説明できるんでしょうか・・」というのが、

彼の問いなのか、そんなことは出来ないという彼の確信的な思いなのか、わからないけども、

何が好きで何が嫌いかということに理屈はないと云っているとしたら、

そうなったプロセスは在るだろうと思われるけれど、

そのプロセスの全容を人間は解明できない、という方が正確なのかと思う。


又、もしかして、人間には好き嫌いが在る、ということは理屈じゃないと云っているのかもしれない。

どうしてそれが在るのか人間にはわからないけれども、

好き嫌いという二元性が人間には在る。

好き嫌いに限らず、そのどちらかを選ぶという選択肢が存在しなければ人間は生きていかれない。

脳のその部分が何故あるのか?と問われても、在るものは在るんだよ、としか言えないと

養老先生は云っているのかな。

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