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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

2012-12-03 15:01:02 | 日々の暮らし・思い出
昨日は昔近くに住んでいた人と午前11時から夕方の5時まで、

なんと6時間ガストで喋り合ってしまった。

その人に前回会ったのはもう20年も前だ。

その友人の名前を娘から聞いたとき、その人を思い出せない私だったけど、

会う前に電話でその声を聞いた瞬間、顔やその頃の姿がパッと浮かんだ。

名前を聞いても何も浮かばないのは、いろいろ忘れる私なのでということなのか。

けど、名前という文字は記号でしかないけど、声や言い方は記号じゃない。

声は二つと同じものがないということもあるんだろうか・・・

声を聴いたら、その時空間が蘇った。面白い。


身の安全 心の安全

2012-12-03 13:30:23 | ひとの幸福
「保身」という言葉がある。

意味は身の安全や地位・名誉などを保つこと。

身の安全を保とうとするのは本能かと思う。

高い所に登ると、足がすくんだりしてしまうのも本能の働きだろうし、

何かが自分の身体に当たりそうになると、パッとよけたりするのも本能の働きかと思う。

人間は身を安全に保とうというのが常にある。

考え以前のこと。

広辞苑の意味にあるように、地位や名誉などを保つことも「保身」という言葉を通常使う。

けど、地位や名誉は身というより心というか、

その地位に留まっていたいという気持ち、その名誉を手放したくない気持ちを云っている。

身体とは直接関係無いと思う。

その地位や名誉があることでお金がたくさん入って、その結果、

身体が保たれる、ということはあるかもしれない。

でもその地位に居ることで美食になり、身体を損なう事もあるかもしれない。

それは二次的なことだし、人によってそんなのは違うからやっぱり身体とは関係ないか。

けれど、「保心」という言葉は無い。「保身」で済ませている。

前に書いた奴の引用だけど・・・

病気の家族の具合が良くなると、自分の気持ちが楽になる。

家族の具合が悪いと自分が辛いので、

家族である他者に変わってほしい、良くなってほしいと思う。

自分の気持ちが楽になる為に、

他者の姿が変わってほしいと願う。

・・・自分の気持ちの安全を他者に委ねている現象、といえる。

家族の体調が優れていても、優れなくてもそれに振り回されないという姿は、

愛情が無いからではなく、

他者の姿を在りのまま観られるという境地からかと思う。

こういう人も数は少ないけど無いとは言えない。


どんな人も身体の安全を常に図っている。

例外は無い。

どんな人も心の安全(上に書いた、地位や名誉を保つことによって自分の気持ちの安定を図ること・自分の気持ちの安定を他者に委ねること)を、

常に図っているとは云えないかと思う。

例外はある。

身体はナイフで傷つけられたら、人類全員、血が流れるだろうけれど、

他者の言葉や行為で、心が傷つく人と傷つかない人が居る。

こういう感じで言葉の「保身」はあって「保心」は無いのかなぁ、と思った。