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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ハングリー

2011-10-13 14:06:59 | ひとの幸福
喜哀楽 になった・・なんて聞くと、う~ん・・という反応があるかな。

これは以前の私と比べると、という意味でしかないよ。

ひとのことはわからない。

喜怒哀楽 は分類として大雑把過ぎるね。

怒り・腹立ちよりももっともっと多いのが、

イライラ・焦り・妬み・ひがみ・不安感・悔しさ・蔑み・劣等感・・

・・・そんなのが結構この人間界にはあるように見える。

そういうのが無い方が幸福といえば幸福かと思うけど、

そういうのがなかったら、幸福にはなれない。


アップル社の故ジョブズ氏が言ったという、

「ハングリーであれ、貪欲であれ」もそういうことだ。

ハングリーでなければ満腹になれない。

自分がハングリーな状態なのに、

こんなもんだと思っていれば、満腹と同じだ。

食べ物を求めようと思わない。

イライラや上に書いたような不調和な感覚を、

人間だからこういうのも、当たり前だと思ってたら、

その場にい続けるだけのこと。

変わらない。


欲がない。貪欲じゃない。

ハングリーじゃない。

やせ細っているのに、そのまま、じっとしてるのと同じ。

勿論それがいけない なんてことはない。

ひとはどう在ろうと自由だ。


「知っている」 と 「信じている」②

2011-10-13 10:21:04 | ひとの幸福

「あなたの信仰がそうさせた」

・・とキリストが言ったという言葉が聖書にある。

キリストが盲目の人に、目が開いたとか、見えるようになったとか、

言うわけだ。

すると、その人は見えるようになった。

「嘘ぉー!」とすぐ返って来そう。(^^)


その盲目の人はキリストがそう言ったら、自分は治る、

・・という確信があったのだろう。

その確信がない人は絶対目が見えるようにはならない。

それをキリストは「あなたの信仰がそうさせた」と言ったんだろ。

そういうのに「嘘ぉー!」と言う人は、

キリスト的な人がそう言ったとしても、

絶対に目は見えるようにならない。

キリストとその盲目の人との相互作用でそうなったわけだからね。

その盲目の人はキリストにはそういう力が“在る”と知っていたんだろね。

けど、その盲目の人もそういう力があった、ということだ。

嘘ぉ!と思う人は目が見えるようにはならない、

・・ということはそういうことだからね。


キリストとその盲目の人が行使した力は、意識の働きという力だ。

キリストは言ったという。

「私と同じようにあなた方にもその力があるんだよ」

「それなのに、あなた方はそれを信じない、それなら私を信じなさい」

・・とまぁ、こんなことを言ったわけだ。らしい。

それが身代わりで死んだ、みたいな話になってるんじゃないかな。

原罪を一人背負ったとか。

そんな話には嘘ぉ!と言いたくなる私だ。

キリストは人だ。神じゃない。


意識にはそういう働きが“在る”