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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

テレビが無い 電子レンジが無い 

2017-12-10 07:27:11 | ひとの幸福

引っ越し準備で部屋がどんどん変わって行く。

今回の石垣の暮らしが終わるというので、

友人たちが遊びに来てくれた楽しい半月間の暮らしが終えて、引っ越し準備がスタート。

元々広くないマンションだから物はそれほど多くないけど、

それなりにいろいろある。

昨日はこっちに来て買った中古の軽自動車に電子レンジやテレビなんかを積んだ。

この車、船会社が石垣港から船に乗せて東京の有明埠頭まで1週間くらいで運んでくれる。

軽でもなんだかんだ色々乗せられるからすごく助かる。

内地から物を運ぶより、離島から物を運ぶ方がお金が多くかかるようなんだ。

それに乗せて運ぶ物を厳選。

まだ10日ほどここに住むからそれに要るものは乗せるわけにいかないし、

宅急便で運びたくない物、運べない物を乗せる。

で、テレビや電子レンジも選ばれた。

今朝6時過ぎに目覚め、さぁ、テレビ体操をしましょうと思った・・・

そうだ、テレビないんだっけ。

昨夜も冷凍庫に在る凍ったご飯をチンしようと・・・あ、電子レンジないんだっけ。

で、鍋と小さなざるとご飯茶碗を使って蒸しました。

美味しいホカホカご飯が出来ました。

稲垣えみ子さんの「寂しい生活」にもあったけど、チンするより美味しい感じ。

テレビもなければないでやって行ける。

かといってテレビもチンも手放すつもりは今のところないけれど、

何かの事情で、例えば原発事故とか・・使うことが出来なくなっても構わない。いい。

そんなふうにあらためて思う。

在ればあったで使うが無くなっても構わない…だっけ・・

・・・確かこんな言葉があったけど、

そういう覚悟のようなものが自分や夫にあることを再確認する、

と言ったら大袈裟かもしれないけど、そんな暮らしが経験出来て面白い。

今も起きて来た夫が私がさっき淹れたコーヒーをチンしようとして・・

「あ、ないんだっけ・・」と。

昔の喫茶店でいい加減な店は冷めたコーヒーを鍋で温めていたけど、

それみたいに「鍋でわかしたらいいよ」と私が言ったら、

「いいよ、これで」と夫。

いい加減な私と夫でありました。

 

 

 

 

 

 

 

 


麻生さんの言葉から・・・言葉と心

2017-09-04 21:30:56 | ひとの幸福

少し前のことだけど、

自民党の副総理の麻生さんの発言にいろいろな批判があるようだ。

動機が正しくても結果が悪ければダメだと言ったとか、

きちがい云々とか、言ったとかいう・・・

そういうのを読んでも、そうだ!そうだ!というふうにならないんだよ~

その言葉の奥にあるものを読み取ろうとする力があんまりないように思うなぁ。

とにかく、非難したくて、批判したくて、たまらなくて、

そういうのに飛びついている、感じする。

まぁ、ヒットラーを出さなくてもよかったんだろうとは思うけど、

ヒットラーだって、当時のドイツ国民に選挙で選ばれた。

多くの人がハイル、ヒットラーと叫んで彼を持ち上げた。

持ち上げた人のことは無しにしてヒットラー個人を「害」にするのは

この世をいい方向にもっていかない気がするし。

 

昔、野坂昭如さんのエッセイで、

「じゃあ、『めくら滅法』というのを視覚障害者滅法と

書けっていうのか!」と書いてた記憶があるけど、

「めくら」や「きちがい」という言葉自体が悪いわけじゃない。

最近では「障害者」も「障がい者」などと表現されていることもある。

「害」という文字に何か恨みでもあるのか・・・

「害」という言葉は存在しちゃいけないのか・・・

まとまってない文章だねぇ・・・


関心を向けない

2017-08-14 16:41:02 | ひとの幸福

7才の返事は「いや!」が多い。

そうなったのも今までの成果なんだろうなぁ・・・

で、面白い。

娘が何かをやっといてねと声をかけると、7才はだいたい「いや!」と言う。

それに対し娘は何とも言わない。

するとそのことをいつの間にかやっていることもよくある。

もちろん、本当にやらないことだってあるけど。

 


笑顔で居ること

2017-08-09 10:41:51 | ひとの幸福

「ホントあんたはどうしようもないねぇ~」と笑う。

「本当にあんたはどうしようもないねっ!」と笑わない。怒る。

笑顔で居るということは受容してるということだ。

どうしようもなさを、ありのままで。

 

この前書いた、ひろさちやさんの、

いろんな欠点のある子供のその欠点を直してくれと、

ほとけは私たち人間に預けたのではなく、

そのまんまで幸せにしてやってくれと、

ほとけは私たちに子供を預けた、という話を読んだけど、

納得できる身近な出来事があった。

ひとは欠点を直そうとしてそのことはいけないと否定しがちだけど、

否定されてもその欠点は改善されることは少ない。

表面上改善されたかに見えても、底のところで違うもののように思う。

否定されると素直に改善できないように人はなってる。

その欠点に注意が行くと、それはそこで固定してしまう。

量子力学の仕組み通り、そこを観測すると局所的に存在するようになるんだ。

 

北風と太陽の話と同じで、欠点や失敗や生まれつきのような性向や、

いろんないろんな間違いをスカッと笑ってもらえると、

すごくほっとするし、所謂、癒され、安心するものだ。

人の明るさは暗さを吹っ飛ばす。

陽気に生きよう!この人生をさ~(^^♪ だよなぁ。


廃墟を見るのが好き・・・

2017-08-07 16:33:47 | ひとの幸福

廃墟を見かけると、しげしげと見ずにはいられない。

それも民家や小さな工場なんかの廃墟。

まぁ、見つけても時間的に見られないことはあるけれど。

後ろ髪ひかれる思いになる。

あぁ、見たい。見たい。中に入り込んで見たい。

でも、だいたい中には入れない。

崩れ落ちそうなのは危ないし、不法侵入とかの件もあるし。

そっと覗くくらいは出来ることもある。

前の前に住んでいたところにはそういう廃墟がいくつもあった。

半分崩れかけた木製の食器戸棚に皿や丼なんかがほこりまみれになってそこにじっとしている。

どんな気持ちで居るんだろう・・・

ここに人の気配があった頃、これらの食器はもっと美しく

洗い清められ出番を待っていただろう。

押入れの襖の桟が折れ、汚れ、破れ、

中から汚れた綿のこぼれ出ている布団がずれ落ちそうになっている。

人の気配のあった頃、この布団は干され、お日様のにおいがし、

人をぬくぬくとさせただろう。

これに寝ていた人はたぶんとっくの昔に死んでしまっているんじゃないかな。

食器の模様も布団の柄も戦前からあるような物のように見えるから。

この家がまだ生き生きとしてた頃、

何人かの家族がここに住み、いろんなことを思い、し、

きっと一所懸命に生きて喜んだり悲しんだりしてたんだろうなぁ・・・

どうしてこういうものを見たいと思ってしまうのか・・・わたし。

街に新しい建物が突如現れたように思うことがある。

あれ、ここ、前は何があったんだっけ・・?

毎日通る道じゃないけど、

二、三か月前、ここはこういう景色じゃなった・・・

けれど、何があったのか思い出せない・・・

こういうことに、あぁ、また街がひとつ変わったと思うけど、

あまり切なさは感じない。

廃墟は違う。そこに人の気配をまだ付けている家具や日用品がじっとしていながら、

実際はじっとしてなくて変わり続けているんだけど、

どんどん情け容赦なく変わって行くんだけど、

静か。

どうしようもなく静か。

人のはかなさみたいなことを思ってしまって切なく思うのか・・・

その切なさを味わいたい、というのがあるように

書いてみて思う。


ゆく物事の流れは絶えずして・・・・

2017-07-25 16:09:36 | ひとの幸福

人に対して不信感が生まれた場合、

それを相手でも日記でもメモにでもいいけど、出さずにいると、

ずっとそれを心に持ったままの状態になりそう。

自分が感じたその思いはその後の相手の行為行動に色を付ける。

そう、いわゆる色眼鏡でその人を見てしまう。

ホントに仲良くなれない。

ずっとそこで止まってしまう。

変わっていくことができなくなる。不自然。

自然や物事や人、何もかもが変わっていくものなのに。

思いを持ったままというのは不自然なことなのだ。

・・・自分に言ってる。

この前、人と話していて、持っていた思いがすーっと放れていく経験をした。

あ、こういう感じ・・と思ったんだ。

出す、というのは自分を客観視できる一つの方法だ。

 

この頃、何もかもが動いていく・・止まっていない・・・と

強く思うようになった。

孫と暮らしているからかもしれない。

一喜一憂がホント意味ない、とよく思う。


多欲不知足

2017-07-25 14:19:50 | ひとの幸福

身体能力については少欲知足だけれども、

心になんのざわめき、ひっかかりもないように・・

という欲が多いのは「多欲不知足」だなぁと思う。

こんな自分は恥ずかしい・・なんぞとすぐ思ってしまう。

そのままを愛してやってない。


当たり前 と 問題なし

2017-07-17 11:34:22 | ひとの幸福

ほにゃ子が自分勝手に行動するのも当たり前!

ほにゃ助がめーめー甘え泣きするのも当たり前!

お母さんがその子らをうるさいと思うのも当たり前!

・・・その口調に咎めるものが微塵もなかった。

昨日のわが娘の言葉であります。

それを聞いて素晴らしい!と思った。

仏の物差し、と言ってもいいと思ったよ。

受容。

受容とは問題無しと観ることだ。

善意であれ悪意であれ、なんとかしよう、というのが一切ないということだ。

受容しているときの心には人間の物差しが作用してない。

 

 

 

 

 

 

 


お騒がせしているのは・・

2017-07-16 16:26:23 | ひとの幸福

「お騒がせしました」

「世間をお騒がせして申し訳ございませんでした」

という言葉を所謂悪いことをした人が言うが、

世間をお騒がせしたのはその人ではなく、

その事件を広く世の中に向かって発したマスコミである。

悪いことをした人があっても、

報道しなければ世間は騒ぎようがない。

・・・これって、以前に書いたやつなんだけど、

これを書いた時よりもっともっとマスコミはお騒がせ度を高くしている。

なんでこんなのやっているのかなぁと思うことがよくある。

いい気分にならないからすぐ消してしまう。

新聞にもあったけど、要は儲かるからなんだ。

お金が入るから。

本当にそこには仏の物差しなんて無い。

この世はこれからどうなって行くんだろう・・・

この世は螺旋状に進化する、なんて考えてたけど、

甘かったのかなぁ・・・

 

 


赤ちゃんが泣くと・・・

2017-07-16 16:20:55 | ひとの幸福

赤ちゃんが泣くと、周りの人は、

何を言っているのだろう?

何を現わしているのだろう?何を伝えたいのだろう?

オムツが濡れて気持ち悪いんだろうか?

お腹が空いているんだろうか?

どこか痛いんだろうか?

どうしたいと思っているんだろう?

・・・と観察する。在りのままを見ようとする。

言葉 という障害が無いから 迷わず観察する。

言葉のわからない外国人と接する時もそうだ。

何を伝えたいんだろう?

何がしたいんだろう?って。

何を伝えたいんだろう?っていうのは理解とは違う。

観察だ。解釈なしの在りのままを見ようとする心だ。

言葉がわかるばかりに、在りのままを見られず、

自分の解釈で見てしまう。


おどおど・・・宇宙の法則

2017-06-18 21:13:04 | ひとの幸福

おどおどしてると必ず相手に通じるもんだ。

「おどおど」って広辞苑でみてみると、

(おづおづ の転)とあり、不安や恐れで挙動が落ち着かないさま。おじおじ。

とある。ホントにその通りだ。

よっぽど演技力があれば不安や恐れが通じないこともあるかもしれないけど。

 

一人目の夫に対して、その人が割とすぐにひとを責めるタイプだったのは

そういうふうに私がしたこともあるんだな、と今は思う。

結婚してすぐの頃、私としては普通な感じで何かの行為行動したときに、

育った家ではそういうことで責められた経験がないので、

始めはただびっくりし、そのうち、~したら怒るかな・・・

~したら責めてくるかな・・

というモードになり、でもどうしても言いたいことがある時に、

ついつい(そうするつもりではないのに、思いに反して・・広辞苑。

全くこの通りで・おずおずと言ったり、おじおじしたり・・

すると相手は上に立つようになる・・・

そんなふうだったよ。

本当に相互作用だねぇ。

宇宙の法則だよ。私も彼も宇宙人だから。

地球人もこの宇宙の人だからね。

話は逸れましたが。

で、すぐ怒る癖が付いてたうちの子も宇宙人なので、

~こう言ったらこの子キレるかなぁ・・

・・とついつい思ってしまいながら周りが何か言うと、キレたり、

キレなくても、不機嫌になったり。

でも最近、急激に変わってきた。

「このままの自分でいいんだな」と心底思えたら、

このままの自分自体が変化してしまうんだ。

だから伸び伸びと注意したり笑ったりしてる。

本当に変わった。わが娘のこと。

親が変わると子供は変わるって本当だね。

これも宇宙の法則だ。やっぱり。

 

 

 


褒めること けなすこと

2017-06-13 18:20:45 | ひとの幸福
家の手伝いをすると褒められる。

良い成績をとると褒められ。

ブツブツ言わずにニコニコしていると褒められる。

かけっこが速いと褒められる。

賞をとると褒められる。

出されたもの何でも食べると褒められる。

顔立ちが可愛いと褒められる。

ゴミをゴミ箱に入れると褒められる。

赤信号で止まると褒められる。

・・・・こういう経験があるひとは多いかもしれない。

「褒められる」の裏側には「貶される」がセットで付いている。

褒められるのは嬉しく感じる。貶されると嬉しく感じない。

こういう経験から、

褒められる事をしよう、となってしまうと、

それからが辛い。

ひとの評価を基準にして生きるのはしんどい。


コメント

意識と自然 意識は自然

2017-06-11 21:17:06 | ひとの幸福

自然科学って客観的に理解できることを前提に進んで来てる。

いつ誰がやってもそうなることが科学の法則に則ってると言われてることなので、

実験も人によって違う結果になったら、

それは正しくないということになってる。

「主観」というものは排除されて科学は進歩して来た。

それが観測することで対象が変化してしまうという量子の動きがわかって来て、

科学者は困ってしまった。


法則には例外は無いはずなんだけど、

出てきてしまう例外は無視してる。

この世にはいろんな例外があるけど、わからないので無視してる。


自然科学というからには自然を対象としてると思うんだけど、

人の意識はそれに入れてない。

意識そのものは人間が作れない。精子や卵子と同じに。

人工的なものじゃない。自然のもの。

それを排除したらやっぱりおかしな結果になるのは当然かもしれないね。






 


こうなったのもそりゃそうだよ・・・②

2017-06-08 12:45:46 | ひとの幸福

この前、書いたこと本当に安心した。ほっとした。

安心というのはいいねぇ。安心する。

世界中の誰でもが安心したい。心が安い。心が重くない。

「安心」を広辞苑で見たら、安心、安神 とあった。

安心は神をも安くするんだろうか。

ひとが安心すると神も安心するのか・・・

多分そうなんじゃないか・・・

一難去ってまた一難 という言葉もあるように、

人生って安心しても又何かしらあるものだけど、

基がしっかとしていれば、愛が基にしっかりとあれば、

解決策は見いだせるはず。

何度も何度も難が来ても来なくても大丈夫。