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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

流行なの?

2013-06-29 20:56:16 | 新聞を読んで
昨日の毎日新聞の仲畑川柳の一つ・・

流行(はやり)なの注意しちゃダメと言われ。・・・野藤哲子さん作。

最近、否定するのは良くない・・というような話があちこちで聞かれるようになっているのかもしれない。

例えば、教育評論家の尾木ママさんの、共感することが大事・・・

・・云々の本意が中途半端に伝わっているような現象なのかもしれない。


「注意しちゃダメ」と、注意されたんだろな。

清貧  清富

2013-06-08 14:59:06 | 新聞を読んで
「清貧もいいが清富はもっといい」 これも今朝の仲畑川柳。

ホントそうだなぁ。

貧しいより豊かな方がずっといい。

昔は清く生きていると貧しくなったんだろうか・・

今より貧しい人が多かった、というのはあるかもしれない。

あくどく金儲けをする、というようなことが多かったんだろうか。

今もそういうのはあるのかもしれないけど。

第二次大戦後の一時期、食糧が配給制だった時に、

その規則を固く守り、餓死した人があるという嘘のようなホントの話しなのか、

ホントのような嘘の話しなのかわからないけど、聞いたことがある。

そういう人は生きたいという意志より、

規則を守りたいという意志の方が強かったんだろうか。

そんな人が一人だけ居た、というのが事実だったら、

その人以外は健全な精神の持ち主だったということかな。

それとも、その人はもっと別の考えでそうしたのかもしれない。

わからないね。






「問題は性格なのに・・」

2013-06-08 14:46:44 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞 仲畑川柳の秀逸作はコレ。

「問題は性格なのに整形し」 面白いな、と思ったけど、

整形すると性格にも影響はあるんじゃないかと思うよ。

整形したことがキッカケで性格もよくなった・・とかあるかもしれない。

そんなこと聞いたことある。

そのキッカケで余計悪くなるということも例外的にはあるかもしれないけど。

男の人はだいたい綺麗な人に弱い。

まぁ、女もイケメンには弱いかもしれないな。

美容整形して凄い美人になったら、人の視線が違ってくるだろうし、

男が言い寄ってくるかもしれないし、

以前よりいい目に遇う率が高くなるかもしれない。

美人になってないからわからないけど。

わたくしごとだけど、産後の一時期、ウエストは元のサイズに戻ったけど、

バストは授乳中のせいで非常に豊満な頃があった。

自分でもうっとりした。人生初の体験だった。

道ですれ違う男の視線が私の胸辺りに漂うのをよく感じた。

授乳中とも知らず・・ワハハハと思ったけど、

ボインの人は年中こういう視線を浴びているのだと思ったよ。

これが綺麗だなぁ、とか美人だなぁとか、賞賛の視線を浴びたら

性格に影響しないわけがない。

いい影響もよくない影響もあるだろうけど。

性格という目に見えないものと顔かたちという目に見えるものは

互いに影響し合うんだと思う。

それにはいろんな影響の仕合があるとは思うけど。


広辞苑によれば、

「性質」はもって生まれた気質。資性。物事が持っている特色。

「性格」は「ある程度持続的な感情・意志の面での傾向、性質」ってあるけど、

おお、うまいこと表現してるなぁ、って感じ。

ある程度持続的な感情・意志の面での傾向・・・言い得てる。

社会の中で培われたものと持って生まれた気質と混ざったものなんだろう。

持って生まれたもの・・というのも今回の人生以前の、

人生、社会の中で目に見えるものや目に見えないものの

いろんな相互作用でなって来て、継続してるもの・・

・・なんじゃないかなと思ってる。

イマジン 第3部 えらぶ③

2013-06-08 10:54:22 | 新聞を読んで
前にもここに引用して書いたことがあるけど、

スーパーで24種類のジャムが並んでいるのと、

6種類のジャムが並んでいるのと、

どちらが買う人が多いかというと、6種類並んでいる方。

これもその欄に引用されてた。

たくさん選択肢があり過ぎるとひとは選べなくなってしまうというもの。

まぁ、日本は情報がたくさんあるから選びにくくなっている、ともあった。

何を選ぶかというのは消費物のことで、生き方とかの話ではないけど、

それは共通する部分もあると思う。

昔ここらへんは仕事といえば漁師と郵便局員と役場に勤めるくらいで、

ほとんどの人がそのうちのどれかになったようだ。

そういう時代や場所でも、なかには音楽をやりたいとか、

芝居をやりたいとか、医者になりたいとか、

そういう気持ちを持った人がいたかもしれない。

それも人と違うことをしたい・・という気持ちからではないだろうと思う。

そうしたいという内に在るものが出口を求める、そういう現象かと思う。


かといって、上に書いたような漁師になる、郵便局員になる、

なんていうのがよくないなんてことはないわけで、

その人にとってそれは自然な成り行きなんだと思う。

芝居、音楽云々もやはり自然な成り行きなんだろうと思う。


イマジン 第3部 えらぶ ②

2013-06-08 10:30:42 | 新聞を読んで
そのアンケート結果を引用して、こんな内容が。

「日本人はみんなで『いっせーのせ』の変化が圧倒的」

「『同質性を高める教育』が主流だった日本では自分で考え、

自分で選ぶ習慣がなく、周りを気にする傾向が強い。」

「過剰な情報量に加え、『空気を読む』傾向も重なる日本人。

どうせ『選べない』民族なのだと諦めるしかないのか。」


・・・・・・・うーーーん・・・

いいじゃん。日本人がそうだって。そう思ってしまう。

生活や消費活動を顕在意識で選ぶことがそんなに大事なことなのかしら?

って思ってしまう。

人と一緒じゃなんでいけないんだろ?

どういう基準で選ぼうがいいじゃんか。

『空気を読む』というのだって、それは大人だという証しかと思うけどな。

調和したいという無意識的な日本人の選択肢だと思うよ。

こういうのもあった。

「日本人は遺伝子の分野では世界でも多様性のある国で、

母親からしか受けつがれない『ミトコンドリアDNA』が

欧州人の2倍の約20種類と多い。」

「多くの日本人が『人とは違うことをしたい』と思うのは

多様な遺伝子の叫びなのかもしれない。」

・・2倍云々これって、なんだかわからないけど、へぇ、そうなんだ、という話だね~

この欄の隣に「質問 なるほドリ」というひよこの絵のある欄があって、

そこに「日本って多様性に富んでいる?」という見出し。

日本にいる動植物は凄く多いし、はっきりとした四季があって、

色の名前も世界的に見て多いらしい。

紫色でも「江戸紫」「紫紺」「鳩羽色」とか細かく分かれている。

多様な自然が細やかな色彩文化も創って来た、とある。

まぁ、日本という所は大昔から自然が豊かな所だから、

日本人の気質は自然と自然人になってるんじゃあるまいか。


「多くの日本人が『人とは違うことをしたい』と思うのは

多様な遺伝子の叫びなのかもしれない。」

・・これって、なんかなぁ・・

多くの日本人が「人とは違うことをしたい」って思ってるの???

多様な遺伝子が叫んでいるかどうかは知らないけど、

日本人は20種類ものそういう遺伝子を持っているように生っている、ということだと思う。

その遺伝子がオンになるかオフになるかは、

あるんだろうけど。

「イマジン 第3部 えらぶ」

2013-06-08 09:45:17 | 新聞を読んで
昨日の毎日新聞のこの欄を読んだ。

大きな見出しが「情報過多 選べない日本人」

その記事の中に博報堂生活総研の調べというのが出ていて、

「生活全般に対する意識と行動」というアンケート結果があった。

人と違っていても気にならない・・・という人が約8割。

人と違うようにしている・・・という人が約2割。

・・という結果が出たそう。

このアンケート結果に対して、

「『人と違っていても気にならない』“と思うものの”、

(“ ”は私が付けた)

『人と違うようにしている』人は2割。大きな差がある。約6割のギャップがある。」

・・・と、まぁこんなことが書かれてあった。

読んでなんか違和感を感じた。

「『人と違っていても気にならない』“と思うものの”、

『人と違うようにしている』人は2割。約6割のギャップがある。」

この表現、「と思うものの」でわかるけど、

差がないのが当たり前、ギャップがあるのはおかしい、

みたいな観念がこの人にはあるよう。

人と違っていても気にならない・・ということと、

人と違うようにしている・・ということはなんら関係のないことじゃないかな。

この筆者の論法は、

自分が着ている洋服が人と違っても気にならないというなら、

人と同じようだったら、それが気になって、

人と違うものを着るはず(“人と違うようにしている”はず)

それなのに、実際は人と違うようにしている人はたったの2割だ。

・・こういった論理のように思う。

わたしも洋服が人と違っても気にならないけど、

だからといって、人と違うようにしたい、なんてさらさら思わない。

街でユニクロの同じヘンリーネックTシャツを見てもなんとも思わない。

好みの着たい洋服を着て、結果として人と同じものなる、ということもあるだろうし、

結果として人と違うものになることもあるかもしれない。

人と違うようにしている、ってなんだかさもしい感じがしないかなぁ。

一流の芸術家や職人や普通の人だって、人と違うようにしたい、って、

いろんな事をするんだろうか。

何か情熱や意志に突き動かされて、やりたくってやって、

結果としてそれが人と違うものになるだけの話しで。

わざわざ人と違うようにしようとする人はそれほどいないんじゃないかな。

そうそう、2割だ。

そんなことわざわざ考えなくったって、

人は一人一人本当に違う。人間である、ということだけは同じだけど。

この筆者は人と違うようにと、日々意識してるんだろうか。

このアンケート結果は、

日本人の在りようが健全だというふうに私は捉えるなぁ。

人と違っていても気にならない人が8割もいる。結構なことだ。

人と違うようにしている人が2割しかいない。結構なことだ。

モラエスさんの言葉

2013-06-04 09:10:31 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞の「余禄」欄、つい「天声人語」みたいな・・

なんて書きたくなる。

天声人語のほうが有名、わかりやすいって私の中でなっているんだなぁ。

今日のは明治時代に来日したポルトガルの文学者モラエスという人の言葉が引用されていた。

幕末の蒸し暑い夏に働く日本人が裸に近い姿なのを見た来日外国人は眉をひそめた。

「野蛮」と見た外国人の視線でだろう、明治政府は裸姿を禁止したそう。

西欧のひとは「羞恥心がない」とも言ったらしい。

このモラエスさんはこう擁護し、反論している。

「暑い時に一心に働いているときは裸に近い姿に映るかもしれない。

だが、それが欲望のためとは誰も思わない。

日本女性は淑やかで上品、落ち着いて真面目。

欧米人の道学流の非難こそ不当だった。

西欧の道徳の押しつけが日本の道義低下を招いた」

彼の『日本精神』でそう著しているそう。


ここに来て初めての夏だったか、近所の80才過ぎた女の人が湯上りに

上半身裸で外で夕涼みをしている姿を見たときは、

初めて見たものだからびっくりしたけど、

自然でいいなぁと思ったことがある。

そう思ったけど、いろいろと毒されてる私には出来ないね~。


当時の西欧人は暑くて裸で居る姿を、野蛮、羞恥心がないと捉えた。

野蛮なのはダメ、羞恥心が無いのもダメ。

ダメなものはダメでなくするために禁止すべき。

こういう心理プロセスでそういう成り行きになったんだろう。

そういう道徳の押しつけで日本の道義が低下した。

なるほどである。

道徳の押しつけという干渉があると生命はそれを押し返そうとするのは必然。

生命の動的平衡の姿だ。

何も明治時代の裸姿だけがその例じゃない。

ちょっと周りを見渡せばそんな例は山のように在る。

道義を低下させようとそれを禁止したのではなく、

道義を向上させようとして禁止したんだけど。

目的が実現しているか、そこを観ないといつまでもその方法が続くのは当たり前だ。

よのなか科 体罰・・③

2013-05-22 15:31:17 | 新聞を読んで
最後の方に、

「体罰という言葉には自動的に「やられたほうに非がある」ニュアンスが含まれているから、

使わないようにしたらどうかと考えているんです。

片方に「暴力」があり、もう片方に「指導」がある構造の中で「体罰」という、

どうにでも解釈できる領域をその中間に置いてしまうと、

混乱するだけですから。

暴力と指導のギリギリの線はどこなのかを論じる方が、

焦点がはっきりすると思いませんか?」

・・があるんだけど、私の頭では何を云っているのかわからないな・・

確かに体罰とは罪に対しての罰であり、生徒が罪を犯したという前提がある。

生徒は罪なんか犯してない、とこの藤原さんは云っているのか?

暴力と指導のギリギリの線とはどういうことなんだろう???

指導に暴力はある、という前提がここには感じられる。

悪いことをしたらお尻をたたく・・・のは当然という考えが根強くそこにあるように受け取れる。

こうして私はすぐに分解を始めてしまう・・

悪いことをしたらお尻をたたく・・・

その行為は悪いことなのか・・??

お尻をたたかれたことで子供の心に何が生まれるか・・?

お尻をたたかれたことで子供がわかることなら、

それ以前に子供はそのことはしない方がいいとわかっているんじゃないか・・

だとしたら、お尻をたたかなくても、その時にもっと相応しい他の行為があるんじゃないか・・・


よのなか科 体罰・・②

2013-05-22 14:06:19 | 新聞を読んで
「朝まで生テレビ」という番組があるそうで、それの引用があった。

さっきの藤原和博さんがそれに出演していたらしい。その一場面で・・・

体罰についての話しの時にあるお母さんが、

昔先生から受けた体罰にむしろ感謝しているという発言をし、

それに対し、精神科医の香山リカさんが、自分の所には、

体罰を受けて心に傷を負った人が多く来ていると反論した、という文章があった。

番組の構成上、そうした方が面白いから、わざとそういうふうな展開を狙ったのかもしれないけどね。


一つの発言に対し、反論する、という現象は世の中にたくさんある。

昔の先生から受けた体罰にむしろ感謝してる・・とその人は思っている。

その体罰がキッカケで自分の何かに気がついたのかもしれない。

結果としてその体罰は自分にとってよかったということだろうと思う。

その先生には生徒に対する愛情というはっきりとした自覚があったのかもしれない。

それをその人は感じたのだろうと思う。

その発言がされたのは、その人がそう思ったという事実がある、ということで、

だから体罰がよろしい、ということではないだろうし、

「香山ドクターが反論した」という表現から読むと、

反論というからには、

そのお母さんにそういう認識が在るという事実を否定したということだろうし、

そうすると、香山ドクターが幾らうちには体罰で心に傷を負った患者がたくさん来る、と訴えても、

その子らは弱いんだとか、体罰するに至った先生の心が読めないからだ、

とかの反論になって返って来そうな気がする。

反論にはその反論が必ず出て来る。

その場では素人のお母さんより精神科医という地位あるひとの方が発言力が強いから、

そういうことは言わなかったかもしれないけど。

でもこんなふうな反論・反論の討論になると、根本的解決は見出せない。

一人一人考え・経験が違うのは当たり前で、そういう経験の中から、

何がおかしいのか、よくよく分解して探さないといけない。

それには先ず一人一人の考え・経験を、あ~、そういう考え・経験が在るんだと、

反論などせず(そうなると反論が不可能になる)そのまま受け取ることからだ。

吟味はそれから。

でもひとは反論しちゃうんだよね。自分が正しいっ!になってるから。

幾ら話しても、これが外れてからでないと話に“ならない”・・・

んだろうなぁと思う。


よのなか科 体罰・・

2013-05-22 13:28:47 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞のくらしナビという面に、

「よのなか科」というのがある。

今、キミに考えてほしいこと というサブタイトルのもの。

藤原和博さんという教育改革活動家とかの人が子供向けに書いているようだ。

今日は体罰についてのもの。

これを読んで、考えたい・・というのがむくむくと出てきた。

体罰とは「身体に直接苦痛を与える罰」と広辞苑。

この人が“体罰というどうにでも解釈できる領域・・・”と云っているように、

それは解釈なのだから、形を見るだけではわからない。

その言動が体罰なのか、愛情なのか、単なる腹立ちなのか、

本人自体が自覚のない場合も多いんじゃないかと思うけど、

どう考えても、愛情を自覚しての行為だったら、

相手の身体に傷がつくようなことにはならない。

瞬間的にカッとなって起こす先生の言動は“指導”にもなってない。

体罰とは痛い目に遭わせることで、そのことをもうしないようにさせる、

ということだろうと思うけど、

罰を与えればその人は良く変わる、という無意識的な確信を持っているということだろう。

自分が自らしたことで痛い目に遭うという経験をして、それがよかった、ということはある。

小さな子供がアイロンに触ってしまったというような痛い目に遭って、

それからはアイロンには絶対触らなくなった、というような事は、

痛い目に遭ったという経験が非常に役立ったということかなとは思う。

それはアイロンは熱いものという知恵を得たということだろう。

それにしても小さな子供が居る場所に熱いアイロンを置くような事は大人が避けるべきことで、

わざわざ痛い目に遭わせることでもない。

自分が自らしたことで、何かに失敗するという経験をして、そこから学ぶということはある。

痛い目に遭うというのは自分がした行為の結果を自分が引き受けるということだ。

痛い目に遭う と 他者から痛い目に遭わせられる のは全然別だ。

自分でアイロンを触ったことで得た「アイロンは熱いもの」という知恵は、

その子供にトラウマを背負わせないけれど、

親が子供に痛い目に遭わせてアイロンが熱いことを知らせようと、

わざと熱いアイロンをくっ付けたら、どうだろう?

そんなことを何度もしたら、子供はどうなるだろう??

「アイロンは熱いもの」という知恵が得られるというよりは、

「親は恐いもの」を学習するんじゃないか。

ちょっと論点がずれてる??

どんなことでも自分がしたことは、(他者がそれをなんとかしなくても)

自分に還って来る。心にも身体にも。

やりたいと思って入ったクラブの練習をさぼったら、力がつかないという結果を引き受ければいいんだし、

練習する気がなくなったら休むかやめればいいことで、

他者がどうのこうの言うことじゃない。

ましてや、指導という名前の暴力を振るうなんてしない方がいい。

本人にまかせればいいことだ。委ねるだけだ。

結局、その人のことをその人にまかせられない心情から体罰が起こるんじゃないだろうか。


小さな子に悪いことをするとお尻をたたく、という体罰も、

子供がそういうことをしないような環境を作れなかった大人の罪といえば、罪だろう。

それは罪と言えるものじゃないけど。

単に私たちがまだ未熟だ、ということに尽きる。

仲畑流万能川柳

2013-05-18 13:53:04 | 新聞を読んで
毎朝、新聞はこの欄から読む。この欄しか見ないこともよくある。

今日のをちょっと紹介。・・

「あの世でもあるのだろうか死ぬ思い」 秀丸氏 作。

それがあったら、あの世で、「もう死にたい」ってなっても、

既に死んでるんだから死ねない。不可能なのかな~

だとすると、この世は死ねるからいいね~

もう幾つか紹介。

「一を聞きいきなり十をするタイプ」面白いね~

こういうタイプいるいるって思う人あるから、

こうやって活字化されるんだろうなぁ。

「生まれた地違っただけで敵味方」これも頷いちゃう。

川柳とか俳句や短歌なんかで思いを形にする作業というのは、

物事を客観化しないと書けないのかと思うんだけど、

だからこそ面白いんだろうな。

腹立ちなんかをそのままストレートに出してもちっとも面白くないもんだし。

謂わば、思いを放すという作業を経たものが川柳やいろんな歌なんだろう。

よく短歌とか書いている人は呆けないという。

実際そうなのかどうかは知らないけど、そんなふうな話があるということは、

それなりに何かわけがあるのだろうと思う。

自分のことやひとの事を当事者目線ではなく、見られるのは、

その物事に対してよいとか悪いとかの判断を棚に上げるか、横に置くか、

その判断自体が無いか、しないと出来ない。

当事者目線ではないということは天から目線だ。

それって観察。善悪の判断抜きの観察。

川柳を読むと結構みんなそうだ。

「病院行くより元気になる女子会」「パンダって展示をされるものなのね」

「常連と会うデパ地下の試飲会」「定年後望遠鏡を買った人」

「どう似合う?夫に聞けばいくらした」

「川柳をやってて標語頼まれる」等など・・

なかにはこんなのもある。「反抗期返事をしないのが返事」

しばてんさんという人が書いたものだけど、

しばてんさんが反抗期の子供の親なのか、そうじゃないのか全くわからないけど、

もし反抗期の子供の親なら、その子供は早くに反抗期から抜け出せるかなと思ったよ。




不公平感

2013-05-15 10:03:14 | 新聞を読んで
何日か前の毎日新聞に面白い記事があった。

攻撃的で衝動的な人よりも正直で他人を信頼する温厚な人の方に、

“不公平に対する拒否”が多く見られる、という京都大学の研究結果がある云々・・

というもの。

この結果にはちょっと違和感がある人が多いのではないかという感想も書かれてあった。

最後通牒ゲームというのを被験者にしてもらうらしい。

それは二人でやるゲームで、どんな提案でも受け入れればその分自分がお金をもらえて、

その提案を受け入れられなかったら、全然もらえないことになるというゲームで、

その実験では上に書いたナンタラカンタラ温厚な人は、

“相手が不当に多く貰うくらいなら(自分が不公平を認めるくらいなら)

自分のお金が増えなくてもいい”となるよう。

これはお金を利用した実験だけれど、

自分の益が増えることより、

不公平さがあることが許せないというような気持の方が大事という・・

正義感がなせるわざなんだろうな。

実験の際、被験者を攻撃的、衝動的、正直、温厚・・というような性向であると

なんらかの方法で一応決めてやるんだろうけど、

この記事では「不公平に対する拒否」が多いのは攻撃的な人より温厚な人という結果に

違和感を持つ人が多いだろうけど・・・という言葉があったけど、

どう考えても私は違和感はないなぁ。

攻撃的、衝動的な人というのは自分のことしか考えてないということだと思うから、

相手がどんなに不当に得をしようがそんなことはどうでもいい、

相手のことは相手のこと、と思っているんじゃないかと思う。

自分のことしか考えてない、というのはある意味(どういう意味?)、

気持ちは楽だと思う。

この前書いた荘子と恵子の「知魚楽」という問答の、

自分がわかるのは自分の気持である、ということと通じる感じがした。

わかる、のは自分のことだけ。


毎日かあさん

2013-05-12 10:04:17 | 新聞を読んで
毎日新聞の日曜日に連載されてるマンガ「毎日かあさん」の作者の西原理恵子さんが

ベストマザー賞を受賞したという。

こういうマンガがそういう賞を受賞するなんて、

ホント世の中変わったなと嬉しくなる。

この母さんは子供に干渉しない。

娘には売春婦にならなければいい、息子には働くようになればいい、

だけが願いだそうで、あとはどうでもいい。

今日の記事でも子は自ら育つもんだって書いてあった。


さかさま人間学 ②

2013-05-09 11:15:44 | 新聞を読んで
この文章、「好き嫌いは理屈じゃない。理屈じゃないものを理屈で説明できるんでしょうか・・」

ううん??となったところなんだけど、

なんでううん?となったのか・・・??

好き嫌いは理屈じゃない。うん、その通り。

いろいろ考えた結果、論理的にニンジンは嫌いということになった、なんてことはない。

ニンジンに限らず、生まれつきの好き嫌いみたいなものはあるような気がする。

なんだかわからないけど、こういう感じの物が好きとか、

なんでこうなったのかわからないけど、こういうことに興味があるとか、

自分でいえば、手芸が好きとか本を読むのが好きとか、

作文が好きだとか、そういうの。

いま、上の行で「なんだかわからないけど」と「なんでこうなったのかわからないけど」という

二つの表現をしたね~

同じような意味合いで書いていた。

なんだかわからない、とは、なんで“こうなったのか”わからない、ということ。

こうなった、とは今こう在る状態になったプロセスがあったということだ。

在るものはなってきたもの。どんなものでもそうだ。

どんなプロセスかはわかりようがないけれど、プロセスがあったことは確かかと思う。

単なる遺伝というだけで片付けられないものは感じる。

池田晶子さんに「どうしても『以前に生きていたことがある』というのが出てくる」とかそんな感じの文章があったけれども、

それもそういう感じなのかと思う。

まぁ、これは好き嫌いの“内容”での話しなんだけど。


「好き嫌いは理屈じゃない。

理屈じゃないものを理屈で説明できるんでしょうか・・」というのが、

彼の問いなのか、そんなことは出来ないという彼の確信的な思いなのか、わからないけども、

何が好きで何が嫌いかということに理屈はないと云っているとしたら、

そうなったプロセスは在るだろうと思われるけれど、

そのプロセスの全容を人間は解明できない、という方が正確なのかと思う。


又、もしかして、人間には好き嫌いが在る、ということは理屈じゃないと云っているのかもしれない。

どうしてそれが在るのか人間にはわからないけれども、

好き嫌いという二元性が人間には在る。

好き嫌いに限らず、そのどちらかを選ぶという選択肢が存在しなければ人間は生きていかれない。

脳のその部分が何故あるのか?と問われても、在るものは在るんだよ、としか言えないと

養老先生は云っているのかな。

さかさま人間学 ①

2013-05-09 10:01:57 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞の養老先生の欄。「さかさま人間学  からだと働き編」

今日のタイトルは「好ききらいはどうして?」

・・・どうして好き嫌いがあるかというと、その根本は脳にあり、

脳の中には特別な場所があって、そこが好き嫌いを決めている。

そこを壊せば好き嫌いはなくなる。

けれど、なくなっても好き嫌いをする理由がわかるわけじゃない。

脳のその場所が何をすると何がどうなるのか、全部はわからない。

好き嫌いは理屈じゃない。理屈じゃないものを理屈で説明できるんでしょうか・・

子供の頃、ニンジンが嫌いだったけど、ニンジンの漬物は食べられてびっくりした記憶がある。

・・・ざっとこんな内容だった。

養老先生の文章を読むと煙に巻かれる、みたいな感じになるときがある。

だから面白い。ううん?なんだって???みたいに考えたくなる。

脳のその部分を壊せば好き嫌いがなくなる・・とは・・

そこを壊せば、美味しいとか美味しくないとかも感じなくなるんだろうか?

それともなんでも美味しく食べられるようになるんだろうか?

それとも何を食べても無味乾燥みたいになるんだろうか???

よくわからない・・・

脳のその部分を壊すと好き嫌いがなくなる・・とは好き嫌いを選択する機能が無くなるということで、

好き嫌いという選択肢が「在ること」から「無いこと」になるということ?・・

それは食べ物に限らず、他の物も人も現象も好き嫌いの選択肢がなくなるということなんだろうか?

好き嫌いだけじゃなく、美醜の選択肢もなくなるんだろうか?

そうなったら人生はつまらないだろうなぁ。

脳のその部分の働きをなんにも知らないからこんなこと思ってるには違いない。

好き嫌いは変わる。子供の頃食べられなくても今は食べられるとかある。

好き嫌いがあることを養老先生は子供の頃叱られたという。

それは何でも食べられる自由な子になりなさい、という親の願いだったと思うけど、

養老先生も今はニンジンが嫌いじゃないみたいだ。

ニンジンは嫌いだったけど、ニンジンの漬物は食べられた、というのも、

ニンジンの煮物の匂いや味はダメだったけど、漬物になると匂いも味も変わるからだろうな。

自分も変わるしニンジンも変わる。