歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

曾野綾子「一条の光」「星との語らい」など

2010年04月15日 | 本とか雑誌とか
図書館で借りてきた講談社の〈現代の文学〉というシリーズの23巻、『瀬戸内晴美 曽野綾子』。ただし昭和48年刊の古いもの。曽野綾子編は「弥勒」「海の庭」「只見川」「一条の光」「落葉の声」「殉死」「夢のタンゴ」「平野さんの松」「星との語らい」。ぜんぶ一度は文庫本で読んでいるはずだが「海の庭」「只見川」「一条の光」は憶えていなかった。まあ読んだといっても20年以上前のことだからね。

「一条の光」はいかにもストーリーテラーとして評判をとったこの人らしい、七章からなる短めの中編小説。各章の中心人物が最終章にふたたび現れて、それぞれの運命がいっきに大きく反転する。まさかこういうオチになるとは。たしかに一度は読んだことがあって、いくつかの短いシーンは読んだ記憶がよみがえってきたけれど、このオチにはびっくりした。人生の不確かさ理不尽さを語らせたら曾野綾子はすごいよー。

「殉死」「夢のタンゴ」「平野さんの松」「星との語らい」は掌編小説集『生命ある限り』からのもの。とくに「星との語らい」はよく憶えている。作家の「私」がパーティで居合わせた熊田トキという元記者である老女──とは言ってもまだ七十前らしいんですけどね。今から四十年前には、六十代後半はもう「老女」だったわけね──を家まで車で送っていく話。このおばあちゃんがかわいらしいのだ。かつてわたしを愛した男たちはたいていもう向うにいる、だからわたしは死を怖れない……。今生きてるこの世ではひとりぼっちで孤独なんだろうけどなあ。孤独な都会を凛として生きてくおばあちゃんの話、てのがあたしゃ好きなんですよ。『生命ある限り』は印象のクッキリしたすぐれた掌編を多く収めていて、曾野さんの作品のなかでも広く読まれてほしいものだ。こちらのページによると数種の版があって、作品に出入りがあるらしい。同じ作品だからと安易に考えて、わたしは文庫ぢゃたしか角川しか持ってない。新潮文庫も買っとくんだった。

ロンドン・バロック『パーセル_ファンタジア集』

2010年04月14日 | CD パーセル
Purcell
Fantazias
London Baroque
BIS-CD-1165

2000年録音。62分38秒。BIS。以前、パーセルの『3声/4声のソナタ集』をロンドン・バロックで聴いていたく感動したので、『ファンタジア』も聴きたいなあと思っていました。この曲集はフレットワークがVirginに録音したものも聴いたんですが、ロンドン・バロックのほうが気に入りました。

このロンドン・バロックのはバイオリン、ビオラ、チェロによる合奏。いっぽうフレットワークのはイギリス17世紀のバイオル(ビオール)曲集5枚組のなかの1枚で、バイオルの合奏だったわけです。べつにバイオルのコンソートが嫌いなことはないんですが、この曲に関しては、ロンドン・バロックの演奏のほうが、奥行き感、というか、曲の丈の高さを表現し得ている。フレットワークの演奏では、「これってそんなに名曲かなあ」とまで思いましたが、ロンドン・バロックで聴くとたしかに充実した曲だと分かる。ひとつひとつの曲の立体的な構造がきわだつ。これなら名だたるグループがつぎつぎ録音するのもうなづける。ロンドン・バロックもこれより前に一度Virginに録れていてこれは再録音だし、フレットワークも、Virginへの録音のあと、わりと最近HMFから再録音をリリースしました。プレイヤーにとってもそれだけ魅力のある曲集なんだってことでしょう。わたしは聴いてませんがサバールも録音してますね。

なんといっても一曲づつが短いので聴きやすく、時代楽器のしぶい音色がたっぷり堪能できる。おかしなもんで、いっぺんロンドン・バロックの演奏で感心した後でフレットワークの盤を聴いてみると、これが以前よりもよく聞こえたんだよなあ。

っていうかこの曲集、できることなら自分で演奏してみたいなあ。

「ゑ」

2010年04月13日 | 気になることば
劇団民芸に日色ともゑという女優さんがいて、むかしはよくテレビドラマにも出ていた。わたしはこの人のおかげでひらがなの「ゑ」を知ることができたのである。小学校の中学年のころかなあ。今はどうか知りませんけど、「ゑ」なんて字、小学校ぢゃ習わなかったよね。もちろん最初はワ行のひらがなだなんて知りようもなく、「ともる?」などと読んでいたはずである。でも「る」の下にへんな足のようなのがついているし、女のひとの名前として「ともる」はいくらなんでもおかしい、という程度の分別はあって、しばらく謎だった。テレビの画面で出演者としての「日色ともゑ」という字のならびはちょいちょい見かけても、この名前が声に出して読まれるのには気がつかなかったのだと思う。

そしたらしばらくして、噺家さんで柳家「かゑる」さんて名前のひとがいるのを知ったのだ。噺家だから、出てくるのは芸能の番組で、共演者から「カエルさん」て呼ばれていた。そのおかげで、「かゑる」は「カエル」で、「ゑ」は「エ」って読んでいいんだととりあえず分かったのである。「かゑる」さんはちょっと脂ぎった感じで、ガマの油、なんてことばを連想させるようなひとだった。いかにも雪国のそぼくな奥さん、て感じの民芸の日色ともゑさんと、脂ぎっていた噺家のかゑるさんとはあまりにも雰囲気が違う。ぜんぜん共通点がない。ただ「ゑ」という異様な字が名前に入ってる、というのがただひとつ共通する点だった。いま柳家かゑるさんは鈴々舎馬風となって、偉いひとになっているそうである。

常用漢字表の改訂で、障碍者の「碍」は結局入らないことになったそうだ。国語審議会には「障害者手帳」を持っているひとはいないんぢゃないのかな。当事者の意見、聞いたのかな。

TBSは「てまえども」

2010年04月11日 | 気になることば
「安住紳一郎の日曜天国」のポッドキャスト版をずーっと聞いてきて、安住さんが「笑っていいとも」にゲスト出演したという話題が出てきたので、ああそういえばそういう話もあったねと思い、ネットをさがしたらそのときの安住さんとタモリさんの絡みのビデオを見ることができて、〈しかしテレビに出てる安住さんはやっぱりごく普通で、まあ「いいとも」に出るんだからそりゃ緊張もするだろうが、それにしてもなんかこの人窶れてるんぢゃないか〉などと感慨にふけっていたんですが、安住さんがタモリさんとの話の中でTBSのことを「てまえども」と言ったのが耳に残った。そしたら、安住さんについてフジのスタジオに乗り込んできた「ぴったんこカンカン」の(着ぐるみを着た)偉いカエル様も、タモリさんに向かって〈ぜひてまえどもでもレギュラーを〉とか何とか言っていた。てまえども二連発。今どき、「てまえども」なんてめったに聞けませんよ。新鮮だった。安住さんやカエル様にとっては、「てまえども」がへりくだりの自称としてデフォルトなのかなあ。ほかの民放でも「てまえども」って言うのかしら。NHKなら、たとえそれが職員の不祥事のおわび、とか、最大級にへりくだる場面でも「てまえども」とは言わないと思う。「わたくしたち」とか、せいぜい「わたくしども」ぢゃないかしらん。

そしたら、その後、「日曜天国」ポッドキャスト版をさらに聞いていたら、このポッドキャストの始めと終りに挨拶を述べるアシスタント・ディレクターの中山いっき君まで〈てまえどもの諸般の準備が整いましたので〉とか何とか、やっぱり「てまえども」と言っていた。やっぱりTBSでは「てまえども」ってことばを使う決まりになっているらしい。中山いっき君という人はなんだかとっても鈍くさいしゃべり方をする人で、まあアナウンサーでもないんだし別にいいんぢゃないの、とわたしなんかは思うんだけど、そのときの「てまえども」って言葉の口に出し方からしてまったくもって慣れてないたどたどしい感じの言い方だった。

わたしは46年生きてきて、まだ「てまえども」ってことばを口にしたことはありません。これってめづらしいかな。死ぬまで使わなそうな気がする。知識としては知っていても、わたしにしてみれば死語あつかいのことばだった。「てまえども」って言葉が時代劇の中ではなく、同時代の人によってまあやや特殊な場面であるにはせよ使われていることを確認できて、なんか、新たな発見をしたような気持ち。

批評編はぜんぶ

2010年04月07日 | 本とか雑誌とか
このところ丸谷さんの単行本が文庫になるのが滞っている気がする。もしかして、もう文庫本では出さないつもりかな、とか勘ぐっちゃう。でもエッセイに関しては、ここ数年、確実に質が落ちましたね。『男のポケット』でしたっけ? あのころは最高だったもん。でも文庫で出たら今でも買っちゃうんだけどさ。丸谷さんもう後期高齢者もいいところだもの。無理して連載なんか引き受けないで、悠々とお暮らしになればいいと思いますよ。そして、全20巻くらいの決定版の全集を、文藝春秋かどこかからお出しなさいませ。批評編、エッセイ編、小説編と別れて出たら、批評編はぜんぶ買う。

この人の本でいちばん読み応えがあるのは、中公文庫で出ていた『遊び時間』系統の雑文集や、中短編の評論やら書評やらを集めて並べた本だとわたしは見ているのですが、この手の本は最近出ていませんね。ちくま文庫で出ていた『コロンブスの卵』なんか、素晴らしかったですよ。この本には「徴兵忌避者としての夏目漱石」というのが入っていた。これは漱石の研究論文集にもたしかセレクトされていました。わたし、『コロンブスの卵』は文庫で持っていたんですが、もう十年くらい前にひと月ばかり入院したとき、同部屋になった難病の大学生の男の子にあげちゃった。その後、気がついたらもう文庫は品切れになっていて、けっきょく元版の古本をネット経由で見つけて購入し、今手もとにあるのはそれです。

Snow Leopardの滑らか文字の件

2010年04月06日 | MacとPC
Snow Leopardではモニタの表示色をWindowsに合わせることになったそうで、むつかしいことは分からないんですがたしかにLeopardのときとは色の出方が違いますね。Leopardよりもくっきりしてるというか、ややけばけばしい(!)というか、品がなくなった(!)というか、そんな感じ。でも2日見てたらもう馴れましたわ。あはは。

「システム環境設定>アピアランス>滑らかな文字のスタイル」でのアンチエイリアスのかけ方がLeopardまでは調節できたのにSnow Leopardでは「使用可能な場合はLCDで滑らかな文字を使用」のon/offのみになってしまった件。このせいで、エディタやワープロ使用時にモニタ上の文字が見づらくなるんぢゃないかと思っていてこれがもしかしたらいちばん大きな懸念材料だったんですが、今んところ気になりません。これ、もしかして上記モニタの表示色の変更となにか関係ある? でもこの仕様変更については、やはり不満だ、改悪だという声もネットに出ていますから、単にわたしの目が粗雑にできているせいで違いが分からないんだろうと思う。

Snow Leopardはつい先日10.6.3へのアップデータが配布されて不具合への対応がなされたばかりで、そのおかげもあるのか、Leopardとくらべて動作が重くなった気はぜんぜんしない。むしろ軽くなったんぢゃないかと思うほど。

手すりクネクネ

2010年04月05日 | メモいろいろ
asahi.comの記事。「手すりクネクネ時代 「直線より安心」病院・学校にも」。階段の手すりで、一直線ではなくて波形にクネクネしているのが増えているそうだ。それが持ちやすいんだって。「特に、下りる時が「直線より安心」と高評価だった。」とある。ああそうだろうな。分かる分かる。そしてその「クネット」という名前の波形手すりを作っているのが、佐世保の「クネット・ジャパン」という会社なのだそうだ。

雪豹へ

2010年04月04日 | MacとPC
なにを今ごろ、って感じですいません、ようやくOSをSnow Leopardに上げました。無事に移行できましたわ。今んところ特に不具合もなく。

これまで、OSを更新する際はHDをいったんまっさらにして一から入れ直してたんですが、今回、はじめて上書きしてバージョンアップ。それがデフォルトだって言うし。それに、これまで使ってきたLeopardで拙いところがなにもなかったから。

Leopardで使っていたソフトで使えなくなったものは今のところありません。CopyPaste-XもSuperNipponica Professional Xも、Rosettaをインストールしたら使えるようになりました。

いまや百科事典はウェブ上で調べられるようになってはいますが、オフラインで引けるのがやっぱ欲しいなーと考えてブリタニカ国際大百科事典をインストールしたものの物足りず、LeopardにしたときにHDから削除していたSuperNipponica Professional Xをもういっぺんインストールし直して、しばらくLeopard上で使っていたのですよ。このSuperNipponica、小学館の百科事典をデジタル化したもの。わたしが使ってるのは2004年のDVD版で、いまはさらにその改訂版がYahoo!百科事典として無料で公開されちゃってるんですが、やはり自分のHDに丸ごと入れておくと安心なのね。重宝してました。なので、これがSnow Leopardで使えなくなると困るなーと思ってたの。Snow Leopardにしてすぐに、おそるおそる起動させてみた。すると「Rosettaが要りますよ」って表示が出たので言われるままにRosettaをインストール。そしたらLeopardのときと変わらず使えるようになったので安心しました。

これはSnow LeopardのせいではないんでしょうがEagleFilerの起動が相変わらず遅いのがちょっと困りもんです。わたしはそんなに気が短いほうぢゃないんで待てますが。いつも測ってるんですが、うちのMacBook1号では起動にいつも1分以上かかるのよ。なんか「ナニサマ!」って思うわ。

ラター『スタンフォード/ハウエルズ_宗教曲集』

2010年04月03日 | CD 古典派以後
I will lift up mine eyes
- Sacred music by Stanford and Howells -
The Cambridge Singers
John Rutter
COLCD 118

1992年録音。74分00秒。Collegium。Charles Villiers Stanford(1852-1924)とHerbert Howells(1892-1983)の教会音楽を集めたもの。スタンフォードとハウエルズは師弟の間柄だったそうです。ア・カペラが中心ですが曲によってはオルガンが入ります。ラターの指揮は親しみやすいけど、その分、厳粛な雰囲気は稀薄。ハウエルズの『レクイエム』を全曲収めていてこれがプログラム全体の芯になるんだろうと思いますが、もっといい曲のはずなのに、ちょっと底が浅い曲に聞こえてしまう。この『レクイエム』、ここでは18分弱で歌っています。

ケンブリッジ・シンガーズの構成は10・6・6・7。いやもちろん巧いんですけどね、タリス・スコラーズとか、ザ・シクスティーンとか、ポリフォニーとか、そういうところと較べると没個性的。ふつうに巧い。どの曲もどの曲もカドがとれてイージー・リスニングふうになっちゃう。特別どうということなし。ああちょっと意地の悪い書き方になっちゃいました。

すくなくともハウエルズの『レクイエム』に関してはほかのもっと彫りの深い演奏を聴きたいなあと思う。でもBGMふうに聞きながら仕事するとかいう分には、とても贅沢なCDです。

テネリフェ島

2010年04月02日 | 気になることば
ウィキペディア「テネリフェ島」の説明文の一部である。
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テネリフェ島(テネリフェとう、Tenerife)は、大西洋にあるスペイン領カナリア諸島最大の島。諸島最大の都市であり、カナリア諸島自治州の州都サンタ・クルス・デ・テネリフェが島の北東部にある。面積は2,034平方キロメートル。元々は火山島であり、スペインの最高峰、テイデ山 (3,718 m) がある。テネリフェ島で最も人口が多い。

交通手段としては、テネリフェ・ノルテ空港、テネリフェ・スール空港の2つの空港があり、フェリーも就航している。島内の主な公共交通としてバスが運行されているが、2007年春より路面電車も開通予定。
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テネリフェ島の説明と、その最大の都市サンタ・クルス・デ・テネリフェの説明が入り混じっていて、へたな文章だ。しかしウィキペディアではこんなのはめづらしくもないのである。

前段。「諸島最大の都市であり、」の「、」は有害。この「、」があるために読み手は混乱させられる。この文は、「諸島最大の都市でありカナリア諸島自治州の州都でもあるサンタ・クルス・デ・テネリフェが島の北東部にある。」とでもしなければならない。さらに前段最後の「テネリフェ島で最も人口が多い。」も有害。まったく余計。これ、「テネリフェ島」の説明ぢゃなくて州都のサンタ・クルスの説明ぢゃん。うっかり書いちゃったんだろうが、それにしても「諸島最大の都市であり」って文句をすでに上のところで書いてるんだから、重複だ。

後段。「交通手段」を書くんだったら、空路にしろ航路にしろどこからの便があるのか書くべきなんぢゃないのか。それに「2007年春より路面電車も開通予定。」というのはテネリフェ島全体を路面電車が走るってことなのか。でもテネリフェ島は沖縄本島より大きいんですよ。もし本当に全島的規模で走るんならそれを「路面電車」というのはおかしいし、部分的に、たとえば州都のサンタ・クルスのどこかとどこかの間に開通する、というのならそう明記しなければならない。