歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ピノック『パーセル/ダイオクリージャン』

2008年02月20日 | CD パーセル
Purcell
«Dioclesian» «Timon of Athens»
Argenta, Monoyios, Agnew, Edgar-Wilson, Gadd, Birchall, Wallington, Bannatyne-Scott, Foster
Choir of the English Concert
The English Concert
Trevor Pinnock
474 675-2/474 676-2

1994年録音。58分26秒/65分43秒。ARCHIV。ピノックの『ダイオクリージャン』。知名度では『アーサー王』や『妖精の女王』に及ばないけれど、ほんとうにいい作品ですよ。器楽曲も、声楽のソロや重唱も、合唱が入る曲も、みんないいです。ダレるところがぜんぜんない。全体に丈の高い感じのする『アーサー王』とくらべると、この『ダイオクリージャン』は、これはローマの皇帝の話なんですけどそれとは関係なく、愛嬌のあるほのぼのしたナンバーが続くんですよねえ。

この録音では『アセンズのタイモン』と組み合わせてありますが、これはガーディナーと同じ。基本線はガーディナーのとそんなに違わない。ただ聴き映えのする歌い手をそろえているのはピノックのほうでしょう。ピノックの指揮は少しのっぺりするところもありますがそんなには気になりません。いやまあ、のっぺりというかね、丁寧に指揮するのはいいんですけど、ほら、ガーディナーってとにかく彫りの深い音楽づくりをする人でしょ、それとくらべるとピノックはどこもかしこもおんなじようによく歌うんですわ。

ソリストはソプラノが2人、テナー2人、バスが5人。わたしはテナーはもっと軽い声が好みですが。ソプラノではアージェンタも愛嬌があっていいですが、わたしはアン・モノイオスが好き。ガーディナーの『バッハ/マタイ』で初めて聴いたんですけど、清楚でありながらほんのりと色っぽくてすてきです。バスのソリストではサイモン・バーチャル以外は初めて聴く人ばかりで新鮮。5人とも合格点。なにしろガーディナーのパーセルぢゃ、バスのソロはほとんどトーマス、ジョージ、バーコーの3人を取っ替え引っ替えで使い回していたからなー。ちょっと聞き飽きてたのよ。

カウンターテナーを使ってもいいような高い音の曲もテナーに歌わせています。アグニューももうひとりのエドガーウィルソンという人も、ちょっと苦しそうです。別に破綻しているわけぢゃないけど、一所懸命歌ってます、って感じが伝わってくるのね。それが、パーセルの音楽の軽やかさとはなじまないところがある。

ガーディナーの指揮のほうがより繊細でパーセルの音楽の核心により近い、というわたしの感想は変わりませんが、ピノックの指揮もけっして悪くはない。少なくともパーセルをぶち壊してはいない。ただ、このパーセルはヘンデルのように恰幅がいいんです。ちょっと歌いすぎてるとわたしは思います。