大阪の佐藤アナウンサーが、「灰燼に帰する」を「ハイジンに帰する」とか発音していた。「かいじん」なるべし。「灰」の字の音読みは「はい」ではなくて「かい」なのである。このことについては、高島俊男さんが眉をひそめているのを読んだことがある。高島さんに言わせると「降灰」も「こうかい」と読むべきだ、とのことで、ごもっともな話なのだが、しかしこれはわたしもついつい「こうはい」と読んでしまう。
Concert Renaissance au Chateau de Chenonceaux
Ensemble Vocal Philippe Caillard
Philippe Caillard
WPCS-5873
1964年録音。43分03秒。ERATO。フィリップ・カイヤール合唱団によるルネサンス・シャンソン名曲集。ジャヌカン、セルミジ、コストレなどのシャンソン18曲が歌われ、途中に箸休めのリュートソロが5曲挟まる。
何人で歌っているのか分からないが、20人くらいか。もちろん声楽アンサンブルの技術は今日から見るとかなりおおらかである。しかしこのカイヤール合唱団のシャンソンは今日なお存在価値を持っている。とにかく優美で、よく歌い込まれているのだ。シャンソンはこういうふうに歌いたいなあ。アンサンブル・クレマン・ジャヌカンのような下品なジャヌカンとはわけが違う。
冒頭、いきなりセルミジの"Tant que vivrai"からはじまるのだ。泣かせる。この曲はかつて愛唱した。何度歌っても、何度聴いてもいい曲だ。歌い手が曲を愛していることが伝わってくるいい演奏だ。そしてコストレの"Mignonne, allons voir si la Rose"など4曲、さらに2曲のセルトンを聴かせたあと、ジャヌカンを6曲。何れも短い小歌ふうの曲が選ばれている。第19トラックの"Voici le bois"の優美さが心に残る。これは"Qui vouldra voir"で始まる別の歌詞で歌ったことがある。最後はベルトランの2曲で締めくくられる。
たとえば同時期にデラー・コンソートがマドリガル集を録音し、CD化されているが、そちらはもはや鑑賞に堪えぬほど古びてしまった。しかしこのカイヤール合唱団のCDは今後も聴かれ続けるに足る。歌心の豊かさで、このカイヤールのシャンソンの演奏のほうがデラーのマドリガルをはるかに上回っている。
Ensemble Vocal Philippe Caillard
Philippe Caillard
WPCS-5873
1964年録音。43分03秒。ERATO。フィリップ・カイヤール合唱団によるルネサンス・シャンソン名曲集。ジャヌカン、セルミジ、コストレなどのシャンソン18曲が歌われ、途中に箸休めのリュートソロが5曲挟まる。
何人で歌っているのか分からないが、20人くらいか。もちろん声楽アンサンブルの技術は今日から見るとかなりおおらかである。しかしこのカイヤール合唱団のシャンソンは今日なお存在価値を持っている。とにかく優美で、よく歌い込まれているのだ。シャンソンはこういうふうに歌いたいなあ。アンサンブル・クレマン・ジャヌカンのような下品なジャヌカンとはわけが違う。
冒頭、いきなりセルミジの"Tant que vivrai"からはじまるのだ。泣かせる。この曲はかつて愛唱した。何度歌っても、何度聴いてもいい曲だ。歌い手が曲を愛していることが伝わってくるいい演奏だ。そしてコストレの"Mignonne, allons voir si la Rose"など4曲、さらに2曲のセルトンを聴かせたあと、ジャヌカンを6曲。何れも短い小歌ふうの曲が選ばれている。第19トラックの"Voici le bois"の優美さが心に残る。これは"Qui vouldra voir"で始まる別の歌詞で歌ったことがある。最後はベルトランの2曲で締めくくられる。
たとえば同時期にデラー・コンソートがマドリガル集を録音し、CD化されているが、そちらはもはや鑑賞に堪えぬほど古びてしまった。しかしこのカイヤール合唱団のCDは今後も聴かれ続けるに足る。歌心の豊かさで、このカイヤールのシャンソンの演奏のほうがデラーのマドリガルをはるかに上回っている。