そこにあった新潮文庫の宮本輝『錦繍』をふと手に取ってパラパラめくっていたらこんなところがあった。
「あんたは、いじわるや。人が一所懸命になってるのに、いっこも親身になって暮れへん」(p.160)
主人公の一人・有馬靖明が書いた手紙の中に出てくる。有馬がかつての妻にあてて出した手紙の中で、現在同棲中の令子という女性のせりふとして出てくる。令子は、大阪市内のどっかの区の安アパートに住んでいる地味なOLである。
上記の例の「いっこも」は、打消の「へん」と呼応している。こういうの、呼応の副詞、っていうんだよね。っていうか昔そういうふうに教わった。「いっこ」はたぶん、「一個」なのだろう。そういえば、関西では以前から「いっこも」をこういうふうに呼応の副詞のように使ってたような気もする。ちなみに『錦繍』の元本は、昭和57年というから1982年に出た本である。
これとは別に、近ごろ、「あの人はわたしのいっこ上の学年です」とかいう言い方があり、わたしはこういう「いっこ」も使わないのだが、今やもう、ごく普通に耳にする。こういう「いっこ」と、さっきの「いっこも……へん」という方言とは、おそらく直接の関係はないのだろうが、しかし根は近いところにありそうな気がする。
「あんたは、いじわるや。人が一所懸命になってるのに、いっこも親身になって暮れへん」(p.160)
主人公の一人・有馬靖明が書いた手紙の中に出てくる。有馬がかつての妻にあてて出した手紙の中で、現在同棲中の令子という女性のせりふとして出てくる。令子は、大阪市内のどっかの区の安アパートに住んでいる地味なOLである。
上記の例の「いっこも」は、打消の「へん」と呼応している。こういうの、呼応の副詞、っていうんだよね。っていうか昔そういうふうに教わった。「いっこ」はたぶん、「一個」なのだろう。そういえば、関西では以前から「いっこも」をこういうふうに呼応の副詞のように使ってたような気もする。ちなみに『錦繍』の元本は、昭和57年というから1982年に出た本である。
これとは別に、近ごろ、「あの人はわたしのいっこ上の学年です」とかいう言い方があり、わたしはこういう「いっこ」も使わないのだが、今やもう、ごく普通に耳にする。こういう「いっこ」と、さっきの「いっこも……へん」という方言とは、おそらく直接の関係はないのだろうが、しかし根は近いところにありそうな気がする。