Arielのひとりごと

きょうは何が起きるかなぁ~

フラと落語と散策と

2023年05月04日 | 落語
5/3(水)は、2つのイベントに行ってきました。
まずはひとつ目。
フラダンスの発表会を観に浅草公会堂へ。
スポーツクラブで週に1回、フラダンスのレッスンを受けています。
教えてくれるのは末定先生。
その先生が習っている先生のフラスタジオが主催する『HO'IKE 2023』
HO'IKEとはハワイ語で発表会という意味だそうです。
ポスターの女性は先生ではなく、長年フラを習っている生徒さんだそうです。
スポーツクラブからもたくさんの会員さんが足を運びました。
腰に付けた太鼓を叩きながら踊るダンスや、小刻みに腰を降るポリネシアン系ダンス。
ワタス達が習っている曲でぎこちなく踊る男性グループもいました。
ようやく末定先生が舞台に上がり、2曲踊ったところで時間切れ。
途中退場し、次のイベントに移動します。
ふたつ目は『林家たけ平と歩く吉原散歩』です。
「女性1人でも安心してご参加いただけます」との力強いお言葉に背中を押され、
自転車で会場のホテル座みかさへ向かいます。
集合13:30のところ、5分前に到着。
ホテル座みかさは元遊郭の三笠楼で、現在はビジネスホテル。
遊郭だった面影もありませんが、後から調べたところ、右側GLACESはソープランドでした。
まあ多少の面影は残っているのか。
クラブかスナックかと思ってましたよ。
エレベーターで上階に行くと、広いスペースに皆さんお集まりで・・・。
予定では吉原散歩をした後に落語でしたが、着物姿のたけ平師匠が出てきて先に落語をやりますとのこと。
という訳でまずは落語を一席。
その後、希望者に吉原の古地図が載った「吉原細見 お散歩版」という
吉原の文化や行事も書かれたパンフレットをいただきました。
ホテル座みかさのご主人は吉原商店会の会長でもあり、昔の吉原の話をお聞きしました。
最後に質問コーナーが設けられ、熱心に手を上げる参加者。
ワタスも質問してみました。
というのも吉原大門の手前で道路がくにょっと曲がっているのが気になって。
これは昔からなのか、近年の道路整備でこうなったのか?
道路は昔のままだそうで、高貴な位の方は吉原に入るところを見られたくなかったのでは、
という回答でした。
たけ平師匠も洋服に着替え、ご近所の桜なべ「中江」のご主人も加わり、いよいよ吉原散歩へ。
こちらの「金村」は吉原遊郭の茶屋として栄え、吉原文化と江戸の粋を伝え続けてきた名店。
平成21年にお店を閉じた後、中江のご主人が「桜なべ中江別館 金村」としてリニューアル。
中江のご主人、なかなか粋なことやりますな。
金井の先には「吉原大門跡」
遊郭の入り口はここからのみだったそうな。
大門を出たところにあるラーメン屋さん。
かつては蕎麦屋さんだったそうですよ。
吉原で遊んだ後、蕎麦をすすって帰ったんだとか。
吉原三大妓楼のひとつ、大文字楼の跡地にやってきました。
今では吉原公園になっています。
この段差はかつてあった掘だそうです。
昔は石垣が組まれていたそうですが、堀で囲まれちゃ遊女も逃げられないですね。
向こうの通りまで続いていた大文字楼。
相当大きな遊郭だったんですね。
昔の町名「江戸町一丁目」
現在では「千束」と一括りになってしまいましたが、
他に江戸町二丁目、京町一丁目、京町二丁目、揚屋町、角町がありました。
吉原遊郭は当初日本橋にあったそうで、江戸城下町の発展により奥浅草に移転。
新吉原となりました。
吉原全体を四角く囲むお歯黒どぶがあったため、道路の末端には緩い傾斜が付いています。
吉原を出て、土手通りへ。
ここが日本堤と呼ばれた吉原に面した大通りです。
いまでは遠くにスカイツリーが見えますね。
少し奥に歩けば「見返り柳」があります。
「見返り柳」とは、吉原遊郭から帰る客が名残惜しげに振り返る様子から名付けられました。
浮世絵の日本堤はこんな感じ。
ホテル座みかさでワタスが質問した不自然な道路の曲がりですが、
堤は高さ3mもあり、吉原大門まで一気に下るには急過ぎたので、曲げざるを得なかったという説。
またここから遊郭の様子が丸見えにならないよう配慮して曲げたという説も。
諸説ありますが、浮世絵を見ると確かに真っすぐのままでは急勾配で雪の日にはゲレンデになっちゃいますね。
三ノ輪方向へ歩いて行きます。
かつて山谷掘を経て隅田川にそそいでいたという音無川。
日本堤に沿って流れていたその音無川も今は暗渠になっているそうです。
その面影を残す掘があるお宅。
石屋さんでしょうか。
ちなみに日本堤という地名はいまでも残っています。
そして投込寺こと浄閑寺へ。
たくさんの遊女が投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになったそうです。
入ってすぐ左に陸軍大佐の墓があり、一同びっくり。
落語で「お見立て」という廓噺があるんですが、その中に出てくるんです。
まさか本当にあったなんて。
こちらは角海老樓の花魁 若紫のお墓。
お墓の上には角海老と彫られています。
美しく教養もあり、人気の遊女だったそうですが、年季明けの5日前に弱冠22歳という若さでこの世を去りました。
死の真相は、ある遊女と無理心中しようとした男が、その遊女が別の客をとっているところを目撃。
やけになって若紫の喉元を刀で一突き。
とんだ巻き込み事故じゃないですか。
あまりにもかわいそうですよ。
お墓に埋葬されたということは、若紫がどれだけ格の高い花魁だったのか伺い知れますね。
三遊亭歌笑塚。
この方存じ上げないのですが、元祖爆笑王と呼ばれるくらい大人気の噺家さんだったそうです。
字は武者小路実篤が書いているんですね。
そしてこちらが新吉原総霊塔。
回り込めるよう、細い通路がありました。
壁に柵を作り、中が見えるところも。
骨壺が高く積まれています。
遊女の他に、吉原で働いていた男衆も埋葬されているそうです。
「生れでは苦界 死しては浄閑寺」花又花酔の石碑も壁に埋め込まれていました。
しみじみ見上げる参加者とたけ平師匠、ホテル座みかさのご主人。
イベントはこれにて終了!
散策中は自転車を引きながら歩いていたので、ここから家まで乗って帰ります。
せっかくなので、ホテル座みかさに戻り、吉原の中を走ってみました。
若紫がいた角海老樓と同じ名前の角えび本店があり、思わず撮影。
GW中なのにお店は閉まっていました。
今の吉原を見て、若紫は何を思うのでしょう・・・。
吉原神社や弁天池は見学しなかったので、また散策したいところですが、
さすがに1人ではちょっとなぁー。
7月には「大吉原落語まつり」も開催され、今後も落語と吉原散策のイベントは続いていくようです。
よく見ているNHK「ブラタモリ」で吉原の回があったような記憶があり、
桜なべ「中江」のご主人に聞いてみると、やりましたよ!と即答。
タモリさんと女子アナが料亭金村のお座敷にいた場面が思い出されました。
改めてもう一度じっくり見たい!
再放送してくれないかなぁー。

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