荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

都電の痕跡を追ってー最終回

2020年02月27日 | 散文

都電の線路跡はここでも緑道公園になっていました。この道を行きます。トンネルがあります。

 

ここは貨物専用線のトンネルですが通路は遊歩道です。かつて都電と自動車が潜っていました。この表示はその時代の名残りだと思います。

 

貨物専用線の線路を見上げて進みます。

 

春になると桜の名所になります。

 

線路跡の緑道公園を行きます。

 

遊歩道の枝道は下町の住宅街です。

 

大きく南にカーブします。

 

 

直線になって南下します。都電に関する説明はありません。

 

遊歩道脇にこんな物がありました。

 

青銅砲ですね。

 

長州藩大砲鋳造場跡の説明板です。都電に関するものはありません。

 

梅が咲くマンション脇の緑道公園を行きます。

 

南砂町緑道公園の終点です。

 

 

振り返ります。線路跡の緑道公園はここまでです。

 

目の前は永代通りです。

 

都電はここを右折して西へ、永代橋を渡って日本橋へ行っていたそうです。現在この道路の下を地下鉄東西線が走っています。地下鉄が都電に取って代わった一例です。

「江東区中川船番所資料館」で都電特別展を見たのをきっかけに、思いつきで始めた都電の痕跡を追った散策でした。楽しかったです。長い間お付き合い頂きましてありがとうございました。

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都電の痕跡を追ってー5

2020年02月27日 | 散文

緑道公園が終わって明治通りです。何の痕跡もありませんが、追いかけてきた都電は明治通りを走っていました。都内の主な道路を走った都電は、やがてモータリゼーションの波に軌道を塞がれ身動きが取れなくなって、「早い・安い・安全」の役目を担えなくなりました。さらに交通渋滞を緩和させる為に都電を廃止する動きが出てきました。

 

明治通りはすぐに小名木川を越えます。水運と広大な平地に恵まれた江東地区は早くからの工場地帯でした。都電は、その従業員やここで暮らすようになった住民を、縦横の線路網で運びました。

 

都電は昭和42年から47年の間に順次廃止されていきます。都電が活躍した経路は、都バスや地下鉄に取って代わりました。

 

明治通りの看板を見上げます。

 

下町の商店街です。

 

ここに都電が走っていました。

 

反対側から眺めます。砂町銀座です。

 

更に明治通りを南下します。

 

大きな交差点です。

 

こんな説明板があります。江戸時代から在る交差点です。

 

交差点を越えてなお都電は南下していました。

 

葛西橋通りも越えます。

 

すぐに緑道公園があります。

 

ここが都電の線路跡らしいです。なるほど、亀戸や大島と同じ「緑道公園」です。

 

都電はここで大きく西にカーブします。

この話、まだ続きます。

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都電の痕跡を追ってー4

2020年02月27日 | 散文

新大橋通りを渡って尚も遊歩道が続きます。

 

曲がりくねった線路跡です。

 

遊歩道が歩道と自転車道に分かれます。線路が複線だったのでしょうか?

 

元に戻りました。ひょっとしたら、広くなっていたのは停留場跡ではないしょうか?

 

小さくカーブして線路跡が続きます。

 

路地が横切ります。

 

左手に見上げる大島4丁目団地です。トンビが飛ぶ眩い空です。

 

ここも停留場跡でしょうか? 短い間に、こんなに停留場が続かないですね。

 

穏やかな陽射しの遊歩道です。

 

鳩が休む説明板です。都電跡の記載があります。

 

左手に団地を見ながら行きます。

 

バス通りが見えて来ました。

 

明治通りです。ここで大島緑道公園が終わります。

 

振り返ると団地の看板に動輪があります。そういう意味だったのですね。

 

団地脇の交番です。

この話、まだ続きます。   

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