荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

お盆の風景/永井荷風2018年

2018年08月15日 | 散文
真夏日には百日紅がよく似合います。


永井荷風はここに眠っています。


彼が愛した吉原女郎と一緒には葬られませんでした。


お盆の供花がありました。
隣の父親の墓には無いので、親族ではなく荷風のファンの供花でしょう。


永井荷風のお盆です。


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お盆の風景/浄閑寺 2018年

2018年08月14日 | 散文
8月15日は亡父の誕生日でした。
7人の孫が集まって誕生祝いをするのが恒例でした。
従ってこの時期帰省するのが当たり前で、お盆は生家で過ごすものでした。


昨年父の新盆を行いました。
混雑するし、旅費も高いしで、今年は帰る計画がありません。
生まれて初めて生家以外でお盆を過ごすのですが、さて、何処へ行こう?


東京には投げ込み寺があります。
今でも無縁仏を弔っているお寺です。
帰省しない私は、浄閑寺を訪問しました。
お盆らしく新しいお花が供えられたお墓があります。


「新吉原総霊塔」の中には新しそうな骨壺が納められています。




この寺の歴史は、吉原のお女郎が亡くなった時に引き取り手が無い人をここで引き取って、更に今日に至ります。


いつもお花が供えられていますが、今日は清々しい白百合がメインの供花です。


どうしても、お地蔵様の上の空間に目がいきます。


故人の好きなものや愛用だった遺品でしょうか。
今でも吉原に無縁仏が発生しているのだと推測しています。


向かいには永井荷風の文学碑があります。




吉原のお女郎たちに情を寄せた永井荷風は、ここに葬られることを希望していました。




浄閑寺のお盆風景です。

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「凜として」

2018年08月14日 | 散文
行きつけの蕎麦屋で蒸籠を手繰っています。
玄関の外は相変わらずの真夏日です。
こんな日こそ、凜として、涼しげに歩いていたいものですが・・・。
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池之端のバスケットゴール/2018年夏

2018年08月13日 | 散文
あの景色が見たい!
この時期のこの時間のあの景色が見たい!




このクッキリした影が、好きです。
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真夏日の井戸/2018年

2018年08月13日 | 散文
私の好きな池之端の井戸は、狭い路地にあるので気候の影響が少ないのか、どの時期に行ってもあまり季節感がありません。
真夏日の午後やって来ました。
西日がダイレクトに当たっています。


さすがに今日は、夏の絵面です。


熱い!
ポンプを触ると火傷しそうです。




真夏日の池之端の景色です。




夏に照らされて、井戸が佇んでいます。
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真夏の店頭/2018年

2018年08月12日 | 散文
根津神社参道の表具屋です。
真夏の陽射しが照り付ける午後です。


ずっと人の気配がしないのですが、店先の貼紙が更新されていて清潔感が失われていないので、営業していると判断しています。


人気のうどん屋です。
いつも行列ができる店ですが、さすがに今日は・・・。


馴染みの蕎麦屋もこのとおり、よしずを出して凌ぐしかないですね。


夏らしいと言えばそうだけど、今年の陽気はちょっとねえ。

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自転車が戻った相撲部屋/2018年夏

2018年08月12日 | 散文
猛暑日の陽射しに自転車が光っています。
名古屋場所に相撲取りと一緒に行っていた自転車が相撲取りと一緒に帰って来ました。


名古屋場所で初優勝した関脇御嶽海が居る「出羽海部屋」です。
御嶽海によって、出羽海部屋は38年振りの優勝です。
名門と言われています。


部屋の前には「高札」に似た紹介文があります。

「出羽海部屋(出羽海一門) 
師匠は、十一代・出羽海昭和(元小城ノ花)。
出羽海部屋は、現存する部屋では最多の九人の横綱を輩出したほか、三人が相撲教会理事長を務めるなど、相撲界の名門中の名門、十二部屋からなる出羽海一門の中心です。
その歴史は古く、初代・出羽海は、天明から寛政年間(1781~1800年)に活躍した前頭筆頭・出羽海金蔵(のちに、運右衛門)で、年寄資格を得て、出羽海部屋を創設しましたが、文化五年(1808)に部屋はいったん閉じられたとされています。


現在の出羽海部屋は、文久二年(1862)、桂川立吉が出羽海を襲名、出羽海部屋を創設したもので、以来、今日まで連綿と継承されてきています。
大正六年(1917)一月場所から大正十年(1921)五月場所まで、十場所連続で出羽海部屋所属力士が優勝(栃木山五回、大錦四回、常ノ花一回)していますが、これは現在でも破られていない大相撲記録です。」
ホントに「名門中の名門」なんですね。



出羽海部屋の直近の部屋は、裏側の通りにある「井筒部屋」です。
ここでも自転車が帰って来ていました。


ここは関取一人の小部屋ですが、そのたった一人の横綱鶴竜が先々場所に連勝したばかりです。


ここにも紹介文があります。


「井筒部屋(時津風一門)
師匠は、十四代・井筒好昭(元関脇・逆鉾)。
明治時代、七代・井筒(第十六代横綱・初代西ノ海)によって創設。昭和十九年(1944)九月、九代・井筒の死去に伴い一時消滅。
昭和二十九年(1947)六月、元幕内・鶴ヶ嶺道良が十代・井筒を襲名し、井筒部屋を再興しましたが、昭和四十九年(1974)四月、十一代井筒は井筒の年寄名跡を返上、陸奥を襲名、陸奥部屋へ名跡変更し、井筒部屋は再度消滅しました。


同年七月、九重部屋所属の第五十二代横綱・北の富士が引退、十二代井筒を襲名、九重部屋から分家独立して井筒部屋を創設しましたが、昭和五十二年(1977)十一月、十一代・九重の死去に伴い十二代・九重を襲名、九重部屋を継承したため、井筒部屋の名跡はここでも一時消滅しました。
翌月の同年十二月、君ケ濱親方(元関脇・鶴ヶ嶺)は、昭和四十七年(1972)、井筒部屋から分家独立、君ケ濱部屋を創設していたが、十三代・井筒昭男を襲名、部屋名称を井筒部屋に変更し、今日に至っています。」



その井筒部屋直近の相撲部屋が、名門「春日野部屋」です。
自転車の列が眩しいです。
先場所、栃ノ心が優勝して大関に昇進しました。


ここにも紹介文がありますが、これは両国界隈の部屋だけにあるものです。
つまり、墨田区の観光事業の一環なのです。


「春日野部屋(出羽海一門)
師匠は十一代・春日野清隆(元関脇・栃乃和歌)。
大正十四年(1925)五月、第二十七代横綱・栃木山(八代・春日野剛也)が、出羽海部屋から分家独立し、創設しました。
昭和三十四年」(1959)十月、八代・春日野の死去に伴い、部屋所属の第四十四代横綱・栃錦が現役のまま九代・春日野を襲名、部屋を継承し、昭和三十五年(1960)、現役を引退するまでの間、二枚鑑札で部屋経営にあたりました。また、九代・春日野は、昭和四十九年(1974)から同年六十三年(1988)まで日本相撲協会理事長を務めました。


平成二年(1990)一月、九代・春日野の死去に伴い、部屋付の中立親方(第四十九代横綱・栃ノ海)が部屋を継承、十代・春日野晃将を襲名しました。
平成十五年(2003)二月、十代・春日野の定年退職に伴い、部屋付の竹縄親方(元関脇・栃乃和)が十一代・春日野を襲名し、部屋を継承、今日に至っています。



出羽海部屋から「直近、直近」の部屋を辿て、ここまで来て気がつきました。
ここ四場所優勝力士を輩出した部屋です。


その前までの優勝力士はずっと、白鵬(両国の隣の緑から墨田区八広へ移転)、日馬富士(江東区毛利)、稀勢の里(江戸川区東小岩)、豪栄道(足立区舎人と、もう埼玉との県境)と東京の中央部から郊外へ、琴照菊に至っては、とうとうお江戸を離れて茨城県でした。


これは、両国組の再興の波が来ているのか?
そんな予感です。


じゃあ、九月場所は御嶽海の連続優勝で、名門中の名門部屋に大関誕生か!
両国に活気が甦る、のか?
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ザンビア共和国大使公邸に行き当たる。

2018年08月11日 | 散文
千川通りと音羽通りの間は、大塚から小日向に続く丘です。
この丘は、やがて平地に下りて、小石川後楽園に到ります。
そんな丘の中央の、陽射しが眩しい路に居ます。


振り返ると「跡見学園前」のT字路です。
信号の向こうはお茶の水女子大学という文京地区です。


坂を下っていたら、国旗が見えました。




「ザンビア共和国大使公邸」の表札があります。

こんな所に?

その場所を振り返ります。
坂の上には跡見学園女子大学があります。






向かい側には、拓殖大学国際教育会館があります。






大使公邸は高級住宅街にあることが多いので、ここにザンビア共和国大使公邸があることに違和感はありませんが、所在地に違和感があります。
大使館は、品川区荏原にあるのです。
下町でもあります。




直線距離で15km位離れています。
道路を行くと、随分遠いと思います。
大きなお世話でしょうが、下町だけど「住職接近」が宜しいのでは?


大使館や公邸を変更する国は結構多いです。
開発途上国や小規模の国にその傾向があります。
国民の目が届かないのを良いことに、大使が代わる度に、大使の好みによって代えているように勘繰ってしまいます。
もっとも、大国は既に贅を尽くした建物を所有してはいますが・・・。
日本国大使はそんなことしてないですよね?

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「なりゆき任せのほうが人生は楽しいかも!?」

2018年08月11日 | 散文
表題は、読み飛ばしていたコミック雑誌に掲載されていたエッセイのタイトルです。
ライターは「南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)」氏です。

氏が、雑司が谷弦巻通り商店街の店を紹介していました。


街歩きの話ではありません。
この街で古本屋を開業した人の半生と現在の話です。
その結果が、表題に繋がります。


さて、物好きな私は、雑司が谷弦巻商店街を再訪しました。
エッセイにあった3つの店を訪問する為です。
先ずは、「旅猫雑貨店」です。


前回訪問時好い雰囲気だったので、この店頭写真を撮っていました。
この店だったのですね。
雰囲気好いですね。


続いて「雑二ストアー」です。
前回異空間に迷い込んだ気分になった店です。
「旅猫雑貨店」の隣にあります。


入って行きます。


地元民しか知らない店があります。


今日はお婆さんが起きていた(前回は座ったままお昼寝中でした)ので、許可を貰って撮りました。


このアーケードで、もう50年商売をしているそうです。


両側の民家全てが店舗だったそうですが、とうとう最後の1軒になったそうです。


勝手に「また来ます」と言って退出しました。


さて、表題のエッセイの主人公の営む古本屋です。


店頭には「古本ト占」と書いていますが、「趣味雑貨」の店です。
色々な小物や服を売っています。


好いです。
店先に中年男性がいました。
南陀楼綾繁氏はこの人の事を書いたんだな・・・。


また来ます。
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雑司が谷旧宣教師館とは、

2018年08月10日 | 散文
旧宣教師館を庭から観ます。


「雑司が谷旧宣教師館は、明治40年(1907)にアメリカ人宣教師ジョン・ムーディ・マッケーレウ゛(John Moody McCaleb<1861~1953>)によって建てられた木造2階建ての住宅です。




この旧宣教師館は、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を色濃く残しており、玄関ポーチの方杖や玄関脇の張り出し窓など、細部にカーペンター・ゴシック様式の意匠が施されています。


また、2階天井には割竹の装飾が為され、屋根は和小屋組みになっているなど、随所に日本の建築技術の影響もうかがえ、歴史的建築物としても多くの見どころがあります。


豊島区内に現存する最も古い近代木造洋風建築であり、東京都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重なものといえます。




昭和16年(1941)10月、太平洋戦争開戦を前にマッケーレウ゛が日本を離れる時、住宅は日本人の手に渡ります。




その後所有者が転々としましたが、地域のみなさんによる保存運動をうけて昭和57年に豊島区が取得しました。


以来、建物調査、保存修理工事を経たのち、平和元年(1984)1月から館内に関連資料などを展示し、一般公開を行っています。


平成4年11月10日には区の指定有形文化財、平成11年3月3日には、『旧マッケーレウ゛邸』として東京都指定有形文化財(建造物)に指定されました。


館内の諸室および庭園から見える外観も、アメリカ人宣教師の質素な住宅として特徴的です。


どうぞ、ごゆっくりご見学ください。」


館に愛車を置いてみました。
ちょっとお似合い。
好いです。



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旧宣教師館の寝室2から、

2018年08月10日 | 散文
前回の続きです。

隣にも寝室がありますが、今までの部屋と雰囲気が違います。
突然和服の日本人の写真が現れました。
誰?!


「雑司が谷の梟・秋田雨雀」とあります。
誰々??


ボードの前には児童文学誌「赤い鳥」が置かれています。


ボードの裏に回ると、雑司が谷で生まれた文学や秋田雨雀らの年表を初め説明板がありました。


モニターを観て勉強します。








廊下を巡りながら階段を下ります。
「秋田雨雀(本名徳三)は、明治16年(1883)に青森県南津軽郡黒石町(現在の黒石市)で生まれました。同35年に東京専門学校(現在の早稲田大学)入学のために上京します。そして、昭和19年(1944)に戦争の激化から故郷黒石へ疎開するまでの約40年間を雑司が谷で過ごしました。


秋田雨雀は文学者、思想家、芸術家そして教育者など、沢山の『顔』があります。特に文学者としては、詩や小説、戯曲、児童文学などのジャンルの作品を多く残しました。『秋田雨雀日記』からは、島村抱月や松井須磨子、小川未明など当時の文化人との深い親交がうかがえます。


また、盲目の詩人エロシェンコとの出会いからエスペラント(世界平和を目指して創始された国際語)を学び、社会主義へ関心を持ちます。そして、雑司が谷地域で展開された自由主義教育やプロレタリア文化運動にも積極的に貢献しました。


雨雀は、子供たちに、自分で考えて判断することの大切さを伝え続けました。のちに、地元大門会の会長に推されるなど、雑司が谷の人々からも深く尊敬される存在でした。」


最初に入った、居間と食堂に戻りました。


1F廊下から庭を観ます。






外へ出ます。
この間見学者はずっと私一人でした。

この話、続きます。
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雑司が谷を散策する。

2018年08月09日 | 散文
雑司が谷は古い街です。
この角を曲がります。




思った以上に大きな家です。


長い塀が続きます。


振り返ります。


この路地に入ります。




新しい角に出ました。




雑司が谷は多くの文人が住んだ街です。


脇道を覗きながら行きます。


しっとりと落ち着いた、緑が多い街です。




薮があります。


トンネルのようです。
雑司が谷1丁目の路地です。


行きます。


通り抜けて振り返ります。


雑司が谷は丘の街です。




丘を下りてしまったら、引き返す決断がしづらい急坂の街なのです。






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スカイツリーが偏っている。

2018年08月09日 | 散文
スカイツリー完成間近の頃、スカイツリーが偏っていると話題になったことを思い出しました。
なるほど。
この路地から見ると、確かに。


向島の路地です。


スカイツリーを通り過ぎて振り返りました。
ここからは美しい対称のラインです。


さすが、「タワービュー通り」です。


スカイツリーが美しく見える、こんな通りがあるんですよ。
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曙湯/猛暑日の怪!

2018年08月08日 | 散文
台風の影響ですっかり涼しくなった東京です。
数日前の話です。

浅草の曙湯は唐破風の屋根を頂いた本格的銭湯です。
猛暑日の陽射しに堂々佇んでいます。
銭湯は日本の文化です。いつまでも残って欲しいと、機会がある度に訪れてその存在を確認しています。


曙湯は大きな藤棚がシンボルでもあります。
見上げる夏空の下の藤棚です。
最盛期の葉の繁りです。


えッ!?花?
ホントに!?

藤棚を良く見ると複数咲いていました。
「狂い咲き」でしょうか?
「狂い咲き」って、よく似た気候で起こりますよね。
春の花が秋に咲くとか・・・。
この猛暑日に、怪です。
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佃島住吉神社例大祭/祭りの日の路地ー2 2018年

2018年08月08日 | 散文
こちらは祭りの中心から少し外れた佃島の路地です。
随分静かです。


祭り提灯が軒下に吊されています。




路地の突き当たりも祭りの風景です。
多くの家が外で食事をしたりして祭りを楽しんでいます。


こちらの路地を行きます。


祭り提灯の隣に、はんてんが干されています。


祭りは終わっていません。


先ほど神輿を担いだ汗を乾かしているのです。


まだまだ神輿を担ぎます。
多くの家で見られる光景です。


一休みして宮入りに備えます。


先ほどの喧騒が嘘のような、路地の光景です。
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