荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「伊予灘ものがたり」乗車前

2020年11月30日 | 散文

3番ホームで待っていた「伊予灘ものがたり」です。

 

 

 

社内はまだ準備中です。

 

「ゆうやけこやけ道路」で高架上を走る列車を初めて見たときから、ずっと乗りたいと思っていました。

 

1号車です。私が乗る車両です。

 

 

2号車です。

 

 

 

先頭を見ます。

 

良い顔をしています。午前便は2号車が先頭です。

 

乗務員室です。

 

乗車口です。

 

1号車に戻ります。ミラーで見ます。

 

顔を眺めます。

 

思いがけず2番ホームにアンパンマン列車が到着しました。

 

「アンパンマン列車」の客は「伊予灘ものがたり」を、「伊予灘ものがたり」の客は「アンパンマン列車」を撮ります。

 

もうすぐ乗車できそうです。

 

ワクワクしています。

この話、続きます。

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大洲駅に戻る。

2020年11月30日 | 散文

「・・総社」を出たらこんな店がありました。

 

「あっちゃんの店ぜ」は、「あっちゃんの店だよ」です。方言が好いです。

 

駅前の鳥居まで戻って来ました。駅裏の山がハッキリ見えます。着いたときは霧で何にも見えなかった空です。

 

大きな鳥居と、いい天気です。

 

すっかり霧が晴れて真っ青です。旅行日和です。

 

駅前のロータリーです。

 

大洲城から歩いて戻りました。そうか! 大洲は「おはなはん」の舞台でした! ああ、初めにこの案内板を見れば良かったのに・・・

 

見上げる大洲駅の看板です。

 

(1時間くらい前に見上げた看板と空と比較しました)

 

駅前ロータリーにこんなものもありました。

 

ノーベル賞を受賞した中村博士です。ここの出身でしたね。

 

・・・駅にあったパンフレットを見ています。

 

 

 

さて時間です。3番乗り場へ行きます。

 

階段を上がります。

今日の目的です。

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「・・総社」が在った。

2020年11月29日 | 散文

商店街を抜けると民家が並んでいます。左手に台形に積み上げた石が見えました。

 

石柱が途中で折れています。「総社」とだけ読めます。

 

行ってみます。

 

 

すっかり晴れ上がった空です。朝は霧が覆っていて急速に晴れ上がる、こんな天候の町なのですね。

 

入って行きます。拝殿の中に数人が動いている気配があります。

 

七五三の祝宴の準備でしょうか? 氏子の対象の子供達が親や祖父母に連れられてやって来るのでしょうか? 田舎では村ごとに集合して祝い事を行っていました。

 

境内を眺めます。

 

 

 

田舎町の秋の景色です。

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「とのまち商店街」を行くー2

2020年11月29日 | 散文

一気に霧が晴れています。カラオケ倶楽部「ミスト」がクッキリ見えます。やっぱり霧の町からの命名でしょうか? すっかり明るくなった商店街を行きます。

 

カラオケ「ぱすたいむ」です。カラオケが多い(多かった?)町です。

 

すっかり青空になりました。

 

ぱすたいむが気になります。

 

歴史を感じる店先です。

 

何を商っていたのでしょうか?

 

商店の新旧の姿です。

 

ここは「浜の家」です。海ではなく川の浜です。

 

大きな店です。

 

路地を覗き込んだ時、突然40数年前に肱川の河原で「芋煮」を食べた後、二次会でワイワイとキャバレーチェーン店「ハワイ」(だったかな?)に行ったのを思い出しました。駅と川からの立地的にこの商店街だと思います。

 

尚も行きます。ここまで誰にも逢いません。

 

酒屋です。

 

カラオケです。歓楽街だったようです。やっぱりキャバレーが在った町です。

 

ファッションショップ大丸です。

 

無人の商店街を行きます。抜けるような青い空が眩しいです。

 

バーです。ここは現役です。

 

商店街の端に来て、やっと人に出会いました。

 

歩いた路を振り返ります。

真っすぐな商店街でした。遠くの山はまだ霞んでいます。

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「とのまち商店街」を行くー1

2020年11月29日 | 散文

城下町なので、漢字で書けば「殿町」だと思います。肱川の橋を渡ってすぐに、肱川沿いに在りました。駅まで歩いて戻ります。先程のタクシーの運転手の話では30分くらいの距離らしいです。早起きしたので時間は十分あります。

 

すぐに肱川の土手が見えました。行ってみます。

 

石段を上がります。

 

大洲城が現れました。

 

好いですね。

 

随分霧が晴れました。短時間で空が青くなってきました。

 

商店街に戻ります。霧が晴れていく路です。

 

古い商店街のように思います。

 

人は歩いていません。

 

急速に空が明るくなってきます。

 

陽射しの下を行きます。

 

ここにも肱川への路地があります。

 

懐かしい気持ちがこみあげます。

 

靴店も。

 

白石靴店の隣です。商店街の組合員がスタンプ販促を行っていた跡です。昔はどこの商店街でもスタンプ帳を配布していましたね。

 

「いきいき市場」の今は学習塾です。

 

武道具屋です。大洲高校は剣道が盛んなのでしょうか?

この話、続きます。

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本町1商店街を行く。

2020年11月28日 | 散文

大洲城を下りて、古民家ホテルの前の路をやって来ました。

 

まだ霧が残った商店街です。

 

振り返ります。

 

肘南公民館の駐車場の塀と霧の向こうは肱川です。

 

ここまで歩いて来て、開いている店はありません。

 

枝路地が在りました。行ってみます。

 

すぐに肱川の土手です。

 

 

行き当たりです。

 

商店街に戻りました。和菓子屋が開店していました。「文福」の文字が老舗感があります。

 

商店街の終点に来ました。あそこが肱川橋通り(旧西横丁)です。時刻が早いこともありますが、結局開店していたのは和菓子屋「文福」だけでした。

 

肱川橋通りの向こうにも商店街が在ります。

 

こちらも本町一丁目です。大きな賑わった商店街だったようです。

 

肱川の橋上に来ました。

 

大洲城を見ます。水面に姿を写しています。山にはまだ霧が残っています。

 

好い景色です。

 

後ほど観光案内所で見たリーフレットです。あの商店街って、これですかね?

 

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松根東洋城と大洲の古民家ホテル

2020年11月28日 | 散文

白い暖簾が掛かった古民家です。

 

城山から下りて来る途中は見えなかったのですが、右手に石碑がありました。

 

俳人松根東洋城を知りません。何て読むかも知りません。「幼児を母を思ふ 淋しさや昔の家の古き春」

 

説明板を読みます。名前はそのまま「まつねとうようじょう」と読むのですね。祖父が宇和島藩城代家老で、母が幕末の四賢候の一人伊達宗城の次女なんですね。世が世なら、の人ですね。「俳人なんかにならなくても・・・」と言われたでしょうね。この建物が父と住んだ裁判官判事の宿舎だったのですね。そして、松山中学校で夏目漱石に英語を教わり、後に俳人になった人らしいです。

 

今は建て替えられています。

 

さて、気になっている古民家です。数軒が一列に並んでいます。

 

暖簾がズラリと並んでいます。中は食堂のようで、皆さん朝食中です。

 

2階でも食事中です。

 

正面は大洲城というロケーションです。

 

ホテルの出入り口です。

 

こちらもホテルです。

 

後の2軒もホテルです。多分、一番右の大きな家が残り3棟の食堂になっていると思います。

 

好いですね。

泊まりたいです。

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大洲城ー2

2020年11月28日 | 散文

9時前になりました。係員が開館の準備をしています。

 

 

 

入館しません。見学を続けます。

 

肱川を見下ろします。城は下まで石垣で築かれているのではなくて、下の方は山です。

 

タクシーの運転手によると、こちら側に武家屋敷が在ったそうです。

 

旧武家屋敷町を眺めます。

 

この石垣は門跡です。

 

 

城下に古民家が並んでいます。白い暖簾が掛かっています。

 

城を振り返ります。

 

 

 

もう一度振り返ります。

 

気になっている古民家に来ました。

この話、続きます。

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大洲城ー1

2020年11月27日 | 散文

急速に霧が晴れて行く大洲城です。

 

 

高知と違って黄葉が進んでいます。

 

霧に霞む大洲城を見たかったのですが、ちょっと遅かったです。

 

 

 

井戸を見学します。

 

 

霧空の大洲城です。

 

付属の櫓があるので宇和島城より大きく見えます。宇和島藩は10万石で、ここ大洲藩は6万石です。

 

霧が晴れかかっている肱川を眺めます。

 

天守のおおよそ1/3を肱川が取り巻いている感じです。

 

大洲城の沿革です。

 

この話、続きます。

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伊予大洲へ行く。

2020年11月27日 | 散文

今日も早起きして電車に乗りました。この時期のこの地域は霧が発生します。

 

霧の中を行きます。

 

この景色を見たかったのです。

 

突然、偶然に藁のマンモス(だと思います)が撮れました。これって、ベルさんが紹介してくれたものだと思います。嬉しい!!

 

トンネルを幾つか抜けたら、少し靄が残っていますが青い空です。霧が晴れていました。

 

民家の庭先に実るミカンです。東北を旅行したときに木に生っているリンゴを見て感動しました。北国の人はミカンが木に生ってる様子が珍しいと思います。

 

晴れ上がった景色が続きます。

 

 

八幡浜駅に着きました。改札口の向こうに大漁旗と「のりかえ 別府連絡」の文字が見えます。漁港と九州連絡船の町です。中学校の修学旅行で、九州からここに上陸して、電車に乗り換えて帰宅しました。あれから50数年ぶりの八幡浜駅です。

 

さて、伊予大洲に着きました。

 

線路の正面向こうに大洲城が靄っています。

 

アンパンマンが各所にあるJR四国です。

 

見上げる駅看板の向こうは真っ白な霧です。

 

さて、大洲城へ行きます。巡回バスの時間が合わないのでタクシーで行きます。

では、

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「宇和島ささいやロード」を行く。

2020年11月26日 | 散文

商店街が好きです。宇和島城の帰りに「ささいやロード」を歩きます。

 

う~ん、どこの商店街も同じ状況ですね。寂しいです。

 

見上げたら「牛鬼」のモニュメントがありました。

 

追ってみます。寂しい商店街に華を添えています。

 

これって、全部違うデザインです。

 

牛鬼に対する思い入れを感じます。

 

自転車が行きます。

 

店が開いていないものね。

 

 

マンホールを見つけました。闘牛です。

 

このデザインも力作です。牛に対する愛情と誇りを感じます。

 

途中で晩御飯にしました。媛スマも鮃もイサキも美味しい! 安い! 新橋で食べたら倍近い値段を取られると思いました。落ち着いた店の感じも良かったです。ホテルへ帰ります。

 

ここでもクリスマスツリーがありました。今日は羽田で今年初めてのクリスマスツリーに出逢って、宇和島でもクリスマスツリーに遭遇しました。もうそんな時期なんですかね? 今日は朝4時半起きでした。忙しいけど充実した一日でした。一日をこんなに長く語れることは幸せだと思います。

商店街名「ささいや」って、どういう意味なんですかね? 明日は大洲へ行きます。

 

追伸 コメント欄をご覧のとおり、皆さんから教えて頂き、思いの他盛り上がりました。「きさいや」の間違いでした。私の記憶を訂正しますが、折角のコメントを大切に、タイトルや文中の記載はそのまま残します。

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宇和島城の夕映え

2020年11月26日 | 散文

間に合いました! 夕映えの宇和島城です。

 

白壁が朱に染まります。

 

裏からも眺めます。

 

嗚呼・・・美しい!

 

 

選別するのが難しいので撮った写真全部載せです。

 

 

 

夕映えの街を見下ろします。

 

そして天守閣を振り返ります。

 

小さな天守閣ではあります。

 

息をのんで眺めます。

 

戦国時代前期まで城の壁は黒かったといいます。大阪城の天守閣ような壁です。その後白くなりました。武将の美学だともいわれています。落城時に紅蓮の炎が白壁をなめて紅く妖しく美しく染まることを意識して、黒から白に変わっていったといいます。

 

滅びの美学を連想しました。

 

 

美しい・・・

 

 

桜の老木も・・・

 

帰り道から見上げます。

 

頑張ってやって来たかいがありました。

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急いで宇和島城へ

2020年11月25日 | 散文

JR宇和島駅舎にあるホテルに荷物を放り込んで飛び出しました。宇和島はベルさんの城下町です。そして私は40数年ぶりの宇和島です。

 

この商店街も40数年ぶりです。まあ、予想はしていたけど、驚きました。あんなに賑わっていたのに・・・

 

時間が無いので急ぎます。でも、こんなサインを見つけてしまいました。「津波注意 海抜7m」です。つまり、予想水位な訳ですよね?

 

瀬戸内海にある今治市の想定水位は1~2mなのに・・・! やっぱり太平洋で発生した津波の影響は大きいのですね。

 

おっと、宇和島城へ急ぎます。

 

早く行かないと日が暮れてしまいます。

 

あそこが登り口のようです。

 

案内板がありました。当然距離の短い左のルートを選びます。「急な石段」との記載です。

 

おお~!思っていたより急です。

 

それに、カメラの具合で明るく写っていますが、もう薄暗い木陰の坂です。

 

ゼーゼー言いますが休みません。

 

休まないけど足を止めて見学します。

 

天守まで後180mです。

 

急な石段です。脚が悲鳴をあげています。

 

心臓がギブアップしそうです。毎日不整脈の薬を飲んでいる体です。

 

足を止めて見学します。

 

あの部分が修理した部分ですね。よく分かります。

 

・・・間に合いました! 天守閣の夕映えです。

この話、続きます。

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江川崎で乗り換えて、

2020年11月25日 | 散文

いくつもの橋を眺めました。そしていくつもの橋を渡りました。

 

山中の駅に停まりました。

 

トイレ休憩します。単線なので駅で対向列車とすれ違う構造です。従って、ダイヤによって5分の場合もあれば、15分のトイレタイムもあります。

 

秋の山を背景にして、光りに包まれる「しまんトロッコ」です。

 

好い景色です。背伸びをします。

 

列車に戻ります。

 

トロッコ車両には誰も居ません。

 

ベンチシートの車両に戻ります。

 

名残惜しいです。

 

トロッコ車両はここまでです。改めて見ると、たった530円なのですねです。お値打ち指定席で約1時間の旅でした。

 

ベンチシートの車両にありました。この絵も好いです。しまんトロッコとお別れです。

列車は停まっています。そう、終点です。下車します。

名残惜しくて振り返ります。初めての予土線の旅が終わりました。 「予土線」とは「伊予と土佐」を結んでいますが、「土予線」とは言いません。伊予と讃岐間は「予讃線」と言いますが、「讃予線」とは言いません。土佐と讃岐の間は「土讃線」と言いますが、「讃土線」とは言いません。何故? JR組織の偉い順に「愛媛」、「高知」、「香川」なんでしょうか? 昔からそう呼んでいるけど、JR四国の本社が松山に在るとか・・・? ただ単に語呂が良いからだと思いますが、、、

 

アンパンマン電車が停まっていました。

 

 

西日が眩しいです。

 

宇和島はベルさんの御城下です。今日も咸陽島へ出陣されたかな?

この話、新展開へ。

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予土線3兄弟に乗ってね。

2020年11月24日 | 散文

こんな横断幕がありました。タイトルは「予土線3兄弟に乗ってね。」です。手前から、「しまんトロッコくん」、「かいようどうホビートレインくん」そして、「てつどうホビートレインくん」です。

詳しくはウイキペディアを添付します。

2014年2月にJR四国が「鉄道ホビートレイン」を同年3月15日から運行を開始することに伴い、「しまんトロッコ」と「海洋堂ホビートレイン」とともに観光列車のユニットとして「予土線3兄弟」と名付けた。長男を「しまんトロッコ」、次男を「海洋堂ホビートレイン」、三男を「鉄道ホビートレイン」とし、同時にロゴマークを発表した。通称は「YODO LINE BROTHERS」である[16]。2015年3月7日にデビュー1周年記念として、宇和島運転区機関庫前に展示した[17]。また予土線3兄弟を連結したイベント列車を2014年10月には「なかよし3兄弟 はじめての遠足号」として、2015年10月には「予土線3兄弟 2015秋の遠足号」として、2016年12月には「奥四万十クリスマス号」[18]として運転した。

 

「しまんトロッコくん」は我々が乗りました。

 

全部乗りたいけど、予土線3兄弟を連結したイベント列車でもないと、一度にはムリだよ。・・・そんな思いにJR予土線は応えてくれます。途中でトロッコ列車が停車しました。まだトロッコ車両に移る前です。ベンチシートから覗きます。ここでやって来たのが「かいようどうホビートレインくん」でした。

「海洋堂」とは、「フィギュア制作メーカーのパイオニアにして最大手」らしいです。この列車の全体コンセプトは「かっぱの世界」です。清らかな川を楽しむかっぱをイメージしています。

 

そして、ここでは皆カメラを持って下車しました。

 

眩しい逆光の中やって来たのが「てつどうホビートレインくん」です。「日本一遅い新幹線」とも呼ばれています。

 

この角度から見ると、鼻が低い・・・

 

新幹線が長閑に、ゴトンゴトンとすれ違って去って行きました。

機会があったら乗りたいです。

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