荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

佐竹商店街

2016年07月31日 | 散文
佐竹商店街に行き当たりました。
「秋葉神社参道」との文字が見えます。

なるほど、正面に神社が見えます。

アーケード街を巡ります。

相変わらず人通りが少ないです。

ここは秋田佐竹藩の屋敷があった、由緒ある街です。


夏目漱石が子供の頃住んでいたそうです。


樋口一葉も住んでいたそうです。


日本で2番目に古い商店街だそうです。


何とか2番を維持してもらいたい。
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隅田川花火大会2016/銅像堀公園

2016年07月31日 | 散文
今年も隅田川花火大会の日が来ました。
両国橋の準備も整いました。




蒸し暑さが残る夕方の道をそぞろに会場へ向かいます。


場所はここ。
去年と同じ銅像堀公園です。

場所取りをしている人達の間に潜り込みました。

みなさん今や遅しと待ち構えています。




19時丁度に始まりの合図です。

手前に金網があって、その向こうに首都高速向島線の高架が見えますが、花火の邪魔になるほどではありません。

始まって暫く経つと、通路にも座り込んでいます。

弁当を食べ、ビールを飲み、柿の種も食べ、焼酎も飲んで花火を楽しみます。

ガラケーで花火は撮れませんが、ちょっとだけ。


金網も首都高も気になりません。

ここ、穴場じゃないけど良いですよ。

10数年毎年穴場を探しましたが、穴場なんてありません。


ここは2年連続ですが、来年もここに来ると思います。


フィナーレの花火です。
ガラケーですからこんなもので迫力を感じ取って下さい。

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柳橋を巡る

2016年07月30日 | 散文
柳橋にある石塚稲荷神社です。


街には篠塚稲荷神社もありますが、ここは旧浅草橋です。

この右手の道から隅田川が旧柳橋です。

花柳街だったここ柳橋ですが、街の変遷が著しく、面影を残す建物が殆ど残っていません。


とんかつ屋です。


店舗に中庭があって、その奥に別棟の座敷がある老舗店です。


老舗のすし店です。


店前の道の向こうに総武線のガードが見えます。


小さな柳橋の中で花柳街は更に小さく、隅田川に沿った一角に過ぎません。


町名は柳橋でも、ガードを潜るとちょっと雰囲気が変わります。
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柳橋へ行く

2016年07月30日 | 散文
久し振りに柳橋に来ました。
梅雨明けした東京ですが、この景色は涼しさを感じます。
やっぱり水辺だからでしょうか?
船宿「小松屋」です。


橋を渡ります。


向かい側の小松屋です。


橋の欄干にはかんざしのオブジェが配されています。

この街が花柳街だった名残です。

橋から神田川を見ます。


上流側、浅草橋方面の景色です。


反対側、河口の景色です。
小松屋の屋形船です。


かんざしがある欄干の向こうは隅田川。
隅田川の上は首都高速向島線です。
右手に両国橋が見えます。

神田川と隅田川の合流点です。

橋を渡り切ると、こちら側にも小松屋が在ります。


こちらはつくだ煮屋です。

柳橋の両側に小松屋が在ります。

店先の柳と柳橋と・・・。


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江戸川を下って・・・

2016年07月29日 | 散文
柴又の土手から江戸川を下っています。
動物を模った子供の遊具の群れです。


誰も遊んでいません。


レスキュー隊の訓練場です。


消防署員はいません。


夏の雲です。


江戸川水門の近くで、小父さんがいました。


対岸にディズニーランドが見えて来ました。


随分下って来ました。


舞浜大橋です。


江戸川の河口です。

ここにも一人いました。
熱中症になりますよ~!

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真夏日の矢切の渡し

2016年07月29日 | 散文
「舟が出るぞ~!」なんて言いません。


静かに出ます。


眩しい光の中を、向こう岸に近づきました。




舟は松戸市下矢切に着きました。


それをずっと見ていて一人佇む私を、今年やっと鳴き始めた蝉しぐれが包みます。


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日本キリスト教団 山谷伝道所

2016年07月28日 | 散文
風合いと配色のセンスが良くて気になっています。
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関東が梅雨明けしました。

2016年07月28日 | 散文


風鈴を出しました。
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彰義隊の墓

2016年07月28日 | 散文
三ノ輪の円通寺の門前にこんな説明板があります。
「延歴10(西暦791)年坂上田村麿将軍により開創せらる(中略)

上野戦争 (慶応4年5月15日)彰義隊の遺体266を上野で火葬し当寺に収納した
太政官の許可状に「懇に供養すべし」を口実に、大ぴらに賊軍が供養できる当時日本唯一の寺であった その因縁で旧上野黒門を帝室博物館より明治40年10月当寺に下賜さる。」
余談ですが、火葬した場所は上野公園の西郷隆盛像の辺りらしいです。

彰義隊の墓がある事を知りませんでした。
この一角のようです。


これが下賜された黒門です。


沢山の穴は、上野戦争時の弾の跡です。


彰義隊の墓がある一角に入って行きます。
古い2墓があります。


いずれの卒塔婆にも「彰義隊」の字が見えます。
おそらくこの2基がここに祀られた最初の墓だと思います。


追弔碑が多くあります。
遺体は合同で火葬されたので個人の墓を建てる事ができないからでしょう。
上野のお山で死んだ旗本等幕臣たちへの追徴碑です。
個人名も記されています。




中にはこんな人の碑もあります。
新門辰五郎は幕臣ではありませんが、次のような縁でこの一角にこの碑があるのでしょう。
墓もここ円通寺にあるそうです。
彼は江戸時代後期の町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草寺門番です。
娘の芳は江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の妾でした。
「新門」は金龍山浅草寺僧坊伝法院新門の門番である事に由来しており、現在浅草神社に彼の寄付した鳥居があります。

元治元年(1864年)に禁裏御守衛総督に任じられた慶喜が京都へ上洛すると慶喜に呼ばれ、子分を率いて上洛して二条城の警備などを行います。
大政奉還で江戸幕府が消滅して鳥羽・伏見の戦いの後に慶喜が大坂から江戸へ逃れた際には、大坂城に残されたままになっていた家康以来の金扇の大馬印を取り戻し、慶喜の謹慎している上野寛永寺の警護に当たっています。
慶喜とともに駿府に住み清水次郎長とも知縁であったと伝えられ、明治の教育家である江原素六は、新門辰五郎を日本の侠客の最後であると評しました。

有名人の追弔碑があります。
幕臣で、函館戦争にも生き残って新政府の役人となり、貴族に叙された人です。
こちらは男爵大鳥圭介です。


こちらは榎本武揚子爵です。


榎本武揚書のこんな追徴碑もあります。

次郎は弟でしょうか?

そろそろ梅雨明けしませんかねえ。



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貴乃花がやってくるヤア!ヤア!ヤア!-2(先ずおかみさんが来た)

2016年07月27日 | 散文
新貴乃花部屋の前に人だかりがしています。
下町の住宅街が賑わっています。


看板が現れました。
貴乃花部屋のお披露目です。
部屋によっては転居を機に看板も新しくしますが、この看板は新しくありません。
おそらく部屋創設以来の看板です。


エプロン姿でインタヴューを受けているのは、引っ越し作業中のおかみさんです。

先ず、おかみさんがやって来ました。
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梅雨のハープ橋

2016年07月27日 | 散文
東京は梅雨明けしません。
木根川橋からの梅雨空風景です。
綾瀬川に立つ高速中央環状線とハープ橋。
一番右にちょっと見える荒川。

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胸突坂を上る

2016年07月27日 | 散文
神田川に架かる駒塚橋の延長に「胸突坂」があります。


名前が心を刺激します。


椿山荘の西です。




以前からこの上には何があるのだろう、と思っていました。

何を思ったのか、衝動的にこの蒸し暑い日に、自転車を押して上がることにしました。

途中、一休みして振り返ります。


坂の上に着きました。


坂から続く道です。

それだけです。
こんな日もあります。
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ハカマイラーの2

2016年07月26日 | 散文
雑司ヶ谷墓地でのお墓訪問が続きます。


「泉鏡花の墓」
木漏れ日の中で端正な墓が佇んでいます。

墓石には「鏡花 泉鏡太郎墓」と刻まれています。

幼くして亡くした母を生涯追慕し、折に触れて作品に登場させます。

友人の下宿で尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔」を読んで衝撃を受け、文学を志します。
師の紅葉を神格化する程に仕えました。

紅葉が死んだ後、芸者すずとの結婚を紅葉に反対されたいきさつを「婦系図」に綴ります。

(昭和14年)7月、「縷紅新草」を『中央公論』に発表するも、この月下旬から病床に臥し、9月7日午前2時45分、癌性肺腫瘍のため逝去します。
10日芝青松寺にて葬儀がおこなわれ、雑司ヶ谷霊園に埋葬されました。
(ウキィペディアより)

誠実に、端正に佇んでいます。



「サトウハチローの墓」
詩人です。
別名をいっぱい持った人で、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、並木せんざ等があります。
多くの詩を書き、「リンゴの唄」の作詞者として知られています。

明治36年に生まれ、昭和48年に亡くなりました。
70年の生涯です。

母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩です。

作風に反して私生活は奇行が多く生き様は放蕩でした。

ハチローは小学生時代から不良少年で、実母に対しても愛情らしきものを示したことはなく、作品に表現されている「母親への想い」はフィクションだといいます。

無頼を心配した小説家の父紅緑は、現在の池袋三丁目に所帯を持たせました。

しかし、父の故郷・青森県には生涯で一度しか訪れていない一方、母の故郷・仙台市への訪問は50回を越えています。

(ウキィペディアより)


「大川橋蔵の墓」
墓地の間を走る道路に案内の石柱があって来ました。


1929年に生まれ、1984に亡くなりました。

六代目尾上菊五郎に目をかけられ、その夫人の養子となって権門入りしますが、後に映画・テレビ俳優に転向します。

子供の頃田舎の映画館に、近所の兄ちゃんに連れられて観に行きました。
絶対に田舎には居ない二枚目で、近所の姉ちゃん皆が胸を焦がせていました。

銭形平次が生涯の当たり役です。

そんな事をしていたら、TV東京のインタヴューを受けました。
よく見ている局だし、暇なので付き合いました。
流石はTV東京です。
女子アナがカメラマンとスタッフとゲストを引き連れての取材体制なんか取りません。
兄ちゃん然とした若者が、手持ちカメラでインタヴュアーを兼務します。

お墓めぐりの番組を作っているとの事です。
彼曰く、偉人のお墓を巡って故人の足跡に想いをはせる人を「墓マイラー」と言うそうです。
この「参ラー」が増加中とのことです。
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ハカマイラーの1

2016年07月26日 | 散文
朝起きて、雑司ヶ谷霊園へ行こうと思い立ちました。

夏目漱石の墓が目的です。
目的地は、初めての場所にはいつも持っていく地図帳「街の達人」に記載されています。

「夏目漱石の墓」
他と違ってこの霊園内には有名人の墓所の案内板等が少ないのですが、拍子抜けする程簡単に見つかりました。

方向音痴の私は、地図を見れば見る程場所が分からなくなるのに、今日は凄いです。

随分と立派な墓です。

明治期の成功者らしい墓です。

説明板はありません。

尤も説明を聞く必要がないくらい有名です。


「竹久夢二の墓」
夏目漱石にお参りして「さてどうしよう」と自転車を漕いでいたら、偶然案内柱に行き当たりました。


案内板を読みます。
「大正浪漫を代表する画家。明治17(1984)年9月16日、岡山県本庄村に生まれた。本名は竹久茂次郎。明治34年単身上京し、翌年に早稲田実業学校に入学する。(中略)明治38年6月の「中学世界」に小間絵「筒井筒」が1等入選し、初めて夢二と署名した。「夢二式美人」といわれる独特の抒情的スタイルを生み出し、一世を風靡した。(中略)

昭和6(1931)年アメリカからヨーロッパへの旅に出るが、翌々年病気に罹り帰国する。昭和9年9月1日信州の富士見高原療養所で肺結核により死亡した。9月5日麹町心法寺で葬儀、おくり名は竹久亭夢楽居士。9月19日雑司ヶ谷墓地に埋葬された。」

シンプルで上品な墓です。
夢二らしいと思います。

墓石には「竹久夢二を埋む」とのみ刻字されています。

墓の入口には休憩用のテーブルとイスがあります。

他には無い施設です。
先ほどまで夢二ファンと思しき若い女性の2人連れが座っていました。


「永井荷風の墓」
木で囲まれた一角に永井家の墓と、その中の石で囲った場所に荷風の墓がありました。


その左は荷風の父禾原(かげん)の墓のようですが、随分風化しています。

吉原の遊郭と縁の深い荷風は、投げ込み寺「淨閑寺」に葬られる事を望んでいましたが、仲が良かったとは言い難い父の隣に眠っています。

有名人の墓石には当該者の生死・業績等を刻書する場合が多いですが、裏には「永井壮吉 昭和34年4月30日卒 享年79」とのみ書かれています。



「小泉八雲の墓」
真ん中に八雲、左に妻セツ、右側に小泉家の墓が並んでいます。


「耳無芳一の話」を読んだ人が多いと思います。
日本贔屓の異邦人パトリック・ラフカディオ・ハーンが明治29年に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗りました。

日本の怪談まで書くのですから「凄い!」の一言です。

父がアイルランド人、母はギリシャ人、アメリカで新聞記者をした後来日して日本人と結婚して帰化しました。
コスモポリタンです。

大好きな日本で、日本人の妻を娶って、自分が日本で創った一族に囲まれて眠っています。
幸せな人生だったと思います。

雑司ヶ谷墓地内を移動します。

次回に続きます。
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2016年名古屋場所 千秋楽翌日の光景

2016年07月25日 | 散文
名古屋場所が終わりました。
彼らの留守宅を見に行きます。

「貴乃花部屋」
貴乃岩が12勝3敗で準優勝しました。
ここ新居に引っ越すに際して縁起がいいです。


ガラス戸にあった「貴乃花」の文字が染められていた浴衣地のカーテンが外されています。


玄関脇のポストに「貴乃花」の文字シールが貼られています。


そして何より、看板が掲げられています。
入居時にはお披露目されます。

着々と入居の準備が整っています。

すぐ近くの閑散とした末広通り商店街も入居を待っています。



「田子ノ浦部屋」
貴乃岩と同点準優勝の稀勢の里と高安の部屋です。

高安は11勝を挙げて技能賞を獲得しました。
将来の大関候補と呼ばれ始めました。

さて、稀勢の里は今場所も「ここぞ」の勝負に勝てませんでした。
同点準優勝といっても、大関が12勝では価値が低いです。
審判部長は稀勢の里が逆転優勝したら横綱昇進を進言するとの話がありました。
たった12勝の、しかも初めての優勝で・・・。

興業的に日本人横綱が欲しい相撲協会の意向を受けたものでしょが、審判部の中の一部から「優勝しても上げるべきでない」との声があったと聞きます。

一部の審判部員の声に賛成します。
横綱を粗製乱造してはいけません。
ちゃんと相撲内容も評価して、横綱に相応しい成績を上げてから昇進させるべきです。
稀勢の里はそれができる器です。

おや!?玄関先に張り紙があります。

ははあ~。
稀勢の里だけでなく、部屋全体がプレッシャーでガチガチですね。

・・・本件については後述します。


「伊勢ケ濱部屋」
4場所振りに優勝した日馬富士の部屋です。
ここ数場所やっと二桁しか勝てない満身創痍の体でよく優勝しました。
宝富士は10勝して初めての三賞受賞です。

照の富士も千秋楽でやっとカド番を脱出しました。
よくやったと思いますが、思い切って来場所を休場して、膝を完治させた方がいいのではないでしょうか?

部屋的には久し振りに実りの多い場所だったと思います。
しかし、いつもの「優勝お祝い」が出ていないぞ?
隣のビルの2階の窓に、いつも優勝お祝いの張り紙が出るのですが・・・。


前回照の富士が優勝した時の写真です。

勿論、日馬富士の場合も出しています。

じゃあ、あそこへ行ってみます。
やっぱりありました!!


この横断幕の向こうの、お米屋兼弁当屋さんのものです。


そして、いつものように「優勝セール」です。

名古屋から伊勢ケ濱部屋が帰って来たらもっと盛り上がるのでしょうね。

さて、田子ノ浦部屋の「張り紙」の件です。
これは2011年に日馬富士が横綱に挑戦した時、伊勢ケ濱部屋の玄関に貼り出されたものです。
この時、日馬富士は綱取りに失敗しました。
部屋のピリピリした空気が伝わって来て「こりゃダメだ」と思ったものです。

この張り紙が出なくなった時、日馬富士は横綱になりました。
今後部屋の誰かが、例えば照の富士が綱取りに挑んだとしても、もうこの部屋はこのような張り紙を出さないと思います。

親方も稀勢の里も「どん!」と構えられるようになったら、田子ノ浦部屋に横綱が誕生すると思います。
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