荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

小村井香取神社の梅/2017年

2017年02月28日 | 散文
亀戸天神から自転車で数分の場所に在ります。
境内が梅で溢れそうです。

皆さん観梅のポイントをよく知っています。

鳥居を入った所の梅です。




香梅園に入ります。




小さい庭に梅がいっぱいです。






芳香に包まれます。




案内板によると、江戸時代には将軍が観梅に来ていた庭です。








普段は誰も居ないのに、拝殿がこの賑わいです。
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亀戸天神の梅/2017年

2017年02月28日 | 散文
観梅と言えば天神様です。
故郷では、綱敷天満宮に行きました。
帰京したので亀戸天神に来ました。


境内を歩いて梅を愛でます。








スカイツリーを見ると、東京だなあと思います。


本殿前には鷽が居ます。
「ウソ替え」の神事が行われる神社です。


五歳の菅原道真公も居ます。


人出も多いです。


今年の屋台はテキヤのオッチャンだけでなく、若い女性の屋台も在ります。




最後に、お気に入りの場所から観賞します。

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雷の大般若祭(葛西の奇祭)2017年ー2

2017年02月27日 | 散文
街には沢山の警察官と消防団員が出て交通整理をしています。


そんな中、行列は家々を訪問します。


「おめでとう!」と叫びながら訪問し、次の家へ走ります。






警察官も走ります。


消防団員も走ります。


とにかく走ります。


死神の目を自分に向ける為に、「ワーワー」叫びながら走ります。


荷物持ちも走ります。




30分位走ったら休憩します。
休憩所の家が決まっているようです。






休憩したら、次の家に移動します。
ちょっとお酒が入っています。




家々を訪問します。


また、叫びながら走ります。


見物客も走ります。



こんな祭りです。
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雷の大般若祭(葛西の奇祭)2017年ー1

2017年02月27日 | 散文
2月の最終日曜日に江戸川区葛西で祭りが行われます。


祭の由来:疫病に罹った妹を死神の手から守る為に、長襦袢を着て化粧して妹に粉した兄が、死神の注意を自分に引きつけて妹を守ろうとした故事に基づいています。


女装した氏子の男性が、6個の経箱に入れた大般若経を檀家の家々に運んで無病息災を祈ります。


祭りが始まります。
妹に粉した兄役の男達が走って入場します。




この祭りの移動は全て「走り」です。




オカマもどきの男が数十人集合します。


勢揃いして、役員等の挨拶があります。


やがて、鏡割りのお神酒が配られます。


男達が乾杯します。


それぞれ担当の持ち物があります。


おひょうご箱、祈祷札、御祝儀箱、大宝剣を持ちます。




勢揃いしたら、


街に繰り出します。


勿論、走りです。




とにかく、叫びながら走ります。


死神の目を自分に引き付けて走る兄の姿です。


この行列を追います。
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新川西水門公園ー2

2017年02月26日 | 散文
中川土手から水門跡と運河と火の見櫓を眺めています。


移動しながら眺めます。


やっぱり迫力があります。


ここって、桜の季節も良いと思います。




現在の西水門です。


運河に架かる西水門橋です。


橋から新川を見ます。


橋から水門跡と火の見櫓を見ます。


中空に首都高速中央環状線が見えます。


橋を渡って新川の南に来ました。




遠くにスカイツリーが見えます。


改めて、蠟梅が綺麗に咲いています。


桜の季節にもう一度来ようと思いました。
コメント (2)
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新川西水門公園ー1

2017年02月26日 | 散文
江戸川区を流れる新川です。
千葉県との境を流れる旧江戸川から中川を結ぶ運河です。


ここ西水門がその終点です。


この公園には旧水門跡が保存されており、火の見櫓と格好のモニュメントになっています。


蠟梅の花が最盛期を迎えています。


水門跡は、ちょっと迫力があります。




公園の石段を上がって中川土手に出ます。


中川土手から見る景色です。

首都高速中央環状線が見えます。
その向こうは荒川です。

上流方面には都営新宿線の鉄橋が見えます。


中川を覗くと、桟橋がありました。


なるほど、堤上には水上派出所がありました。


改めて、水門跡と火の見櫓を眺めます。








この話、続きます。
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大使館を訪ねてー45(インドネシア、マリ)

2017年02月25日 | 散文
「インドネシア共和国大使館」

東五反田の坂にいます。
上空に首都高速目黒線が走る道です。


東五反田の斜面に大きな敷地を持っています。
東南アジア南部に位置する共和制国家で首都はジャワ島に位置するジャカルタです。

5,110kmと東西に非常に長く、また世界最多の島嶼を抱える国です。
赤道にまたがる1万3,466もの大小の島により構成され、人口は2億3000万人を超える世界第4位の規模であり、また世界最大のイスラム人口国としても知られています。

島々によって構成されている国家であるため、その広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは、東ティモールのティモール島、マレーシアのカリマンタン島(ボルネオ島)、パプアニューギニアのニューギニア島の3国だけす。

海を隔てて近接している国は、パラオ、インド(アンダマン・ニコバル諸島)、フィリピン、シンガポール、オーストラリアです。

東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主とされ、アセアン本部もインドネシアの首都ジャカルタにあります。

そのため、2009年以降、アメリカ、中国など50か国あまりのASEAN大使が、ASEAN本部のあるジャカルタに駐在しており、日本も、2011年(平成23年)5月26日、ジャカルタに東南アジア諸国連合(ASEAN)日本政府代表部を開設し、ASEAN大使を常駐させています。
(ウィキペディアより)


「マリ共和国大使館」

インドネシア大使館と高速目黒線を挟んで西側の丘にあります。
中目黒駅から近く、ここも高級住宅街の雰囲気です。


西アフリカに位置する共和制国家です。

西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソ、コートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国で、首都はバマコです。
国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、残りの中南部も、ちょうど中心を流れるニジェール川沿岸だけが農耕地となっている以外は、乾燥地帯です。

植民地時代はフランス領スーダンと呼ばれていましたが、独立時に現在の国名となりました。
マリの名は、かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられました。

マリとは、バンバラ語で「カバ」という意味で、首都バマコにはカバの銅像があります。
(ウィキペディアより)

この話、続きます。
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大使館を訪ねてー44(ブルネイ)

2017年02月25日 | 散文
「ブルネイ・ダルサラーム国大使館」

港区から品川区に渡ったすぐの所に、南の国らしい白い建物があります。
この季節には見た目寒いです。


東南アジアのイスラム教国で、イギリス連邦加盟国です。
ボルネオ島(カリマンタン島)北部に位置し、北側が南シナ海に面するほかは陸地ではマレーシアに取り囲まれています。
首都はバンダルスリブガワンで、元首はハサナル・ボルキア国王(スルターン)です。

石油や天然ガスなどの資源を多く埋蔵しており、ASEANの一員になっています。
環太平洋戦略的経済連携協定の原加盟国でもあります。

波乱の歴史を持っています。

1660年代、王室で起こった内紛を鎮圧し、援助したスールー王国へサバ州の大部分を割譲しましました。
1775年からイギリス東インド会社がブルネイのスルタンと貿易交渉をします。

南京条約の1842年、ジェームズ・ブルックによるプランギン・ウソップの乱鎮圧をスルタンが評価し、サラワクを割譲します。
3年後、トマス・コクランがサバ北端を根城にもつ海賊を掃討します。
ブルネイの財政基盤である奴隷狩りがイギリスの奴隷貿易廃止方針と利害衝突し、1846年にスルタンが親英勢力の排除を命令します。

門扉の隙間から覗いてみます。

1888年、サラワク王国と北ボルネオがイギリスの保護領となります。
1906年に補足条約締結、イギリスが駐在官を設置し、国教に関わらない限り駐在官の意見を全て飲まなければならないと定めました。
開発が進められ、初めプランテーションを軸としていたものが1929年からセリア油田にシフトしました。

1941年、太平洋戦争の勃発に伴う日本軍の侵攻により1945年まで日本の統治下となり、サラワクとブルネイの国境線が無視される形で行政区域が定まります。
日本はスルタンを現地勢力として支援しました。

隣には大使公邸があります。

1947年、香港上海銀行の開いた支店が国内初の銀行となりますが、1985年に取り付け騒ぎが発生します。
1959年、条約改定、イギリスの自治領となり、駐在官制度廃止、高等弁務官が常駐します。
1962年、ブルネイ人民党内の急進派によるブルネイ動乱があり、1963年、石油法および石油関連所得税法を制定し、1967年、シンガポールとの間に通貨等価交換条約を締結しました。

1971年に条約を改定して完全自治達成し、1975年、ロイヤル・ダッチ・シェルの国内部門で株式の過半数を取得します。

1984年、イギリスより独立し、国連などに加盟しました。
きっかけはクラウン・エージェンツのスキャンダルです。

2008年頃より、王族の一人Pengiran Karamul Bahrinにより日本人を始め、台湾人、韓国人、中国人が被害者になる詐欺が発生しています。
被害者はいまだに救済されずBahrinは逮捕されていません。
(ウィキペディアより)
凄い歴史ですね。

この話、続きます。
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旧国技館跡

2017年02月24日 | 散文
国技館から両国駅前を通って南下すると、両国2丁目の信号に突き当ります。
右手前方に回向院が見えるT字交差点です。
正面には「シティコア」という商業施設があります。
奥の建物はマンションのように見えます。


道路を渡ると、回向院の門前に説明板が立っています。

元は回向院の境内です。
回向院の境内で勧進相撲が行われていた事から、この地に屋根付きの相撲施設を建てて近代相撲の拠点としました。
「国技館」の名称の始まりです。

敷地を覗きます。


一般的には広すぎる前庭があります。


奥の方に仕切られた空間があります。

近づきます。

丸い円が描かれています。
ここが当時の土俵の跡らしいです。

随分広いように感じます。
私の記憶では、ここでなく蔵前国技館の時代にだったか、力士の大型化に伴って土俵が拡張されました。
ここで相撲が行われていた時は、現在より小さい土俵だった筈です。
そうなると、昔の土俵跡とするには、益々大きすぎるように思います。
土俵と砂被りの間のスペースをも含めたものでしょうか?
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帰京しました。

2017年02月24日 | 散文
飛行機は35分遅れての出発です。
天気も悪いです。


飛行機は急旋回して、高知県に向かいます。




雲の間を飛びます。
ちょっと揺れます。


殆ど下界が見えないまま飛び続け、ふと窓を見ると富士山が見えます。
帰って来たんだな、と思います。

まさしく「頭を雲の上に出し」状態です。

更に上空には一筋の飛行機雲が引かれて行きます。


やがて雲に突っ込んで行きます。


東京も天気が悪いです。




寒そうな東京に帰って来ました。

また暫くは、東京での散策になります。
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笠松山・世田山、その向こうに四国山脈

2017年02月23日 | 散文
父の入所先が代わりました。
病院は2ヶ月しか置いてくれないので、公立介護施設の順番を待ちながら(誰かが死んでベッドが空くのを待つ)、通所施設を利用しています。
お泊りの日、父の面会に行った帰り道の景色です。

鬱としていた心が晴れます。
気持ちのリセットができました。
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日が落ちたしまなみ海道

2017年02月23日 | 散文
しまなみ海道は東西に架かっています。
夕焼けに向かって走ります。
夕焼けに浮かぶ橋脚の変化を楽しみます。


橋より下に日が沈んでいます。




残照に浮かぶしまなみ海道のシルエットです。








造船所のクレーンが見えてきました。

間もなく四国本土です。
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亀老山から見る日没

2017年02月22日 | 散文
夕焼けを見ています。


日が沈んだ海面を、舟がここ大島の港に向かっています。






東の空が焼けます。




日没を追います。








そして、残照を追います。








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亀老山の夕日 この景色が見たかった!

2017年02月22日 | 散文
ここのところ、空気が澄んで夕焼けが綺麗です。
そこで、亀老山の展望台へ行こうと思い立ちました。
ここから夕焼けを見る何度目かの挑戦です。

光っている海は来島海峡、その向こうが愛媛県最北端の高縄半島大角鼻、その向こうには大西町の海に怪島が夕日に照らされて浮かんでいます。


高縄半島の根付けには、夕暮れを待つ今治の街です。


そして、夕暮れを待つ人々ですが、とにかく寒い!

海風に強く吹かれます。

寒い中待つこと30数分。

これが見たかった!




来島海峡を船が往きます。


新たな船が往きます。




見飽きません・・・。


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耕作放棄地の桐の木

2017年02月21日 | 散文
故郷には女の子が生まれると桐の木を植える慣習があったそうです。
箪笥に加工して嫁入り時に持たせたとの事です。

堂々たる桐の木です。
凜とした孤高の美しさを感じます。

この木の対象者は、嫁ぐ前に亡くなったのでしょうか・・・?
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