荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

靖国神社の桜

2012年04月14日 | 散文
 
桜が大好きで毎年春を待ちわびている。
桜は「国花」の誉れとともに、全花がいっせいに散る様を潔いと賛美されて、国に利用された不幸な一時期を持つ。

今年も靖国神社の桜を訪れた。
 
ここに3人の伯父が英霊として祀られている。
職業軍人家庭でない普通の農家2軒で5人の息子が従軍し3人が戦場死した我が家の史実は、国の狂気に引きずり回された無垢で愚直な民の悲劇である。
母方の2人の伯父は遺骨も帰っていない。

その1人は、捕虜として5年間生きた後シベリアで病死した事を、ソ連の情報公開によって戦後40数年経ってから知らされた。
故郷の山河に恋焦がれ期待を込めて何度目かの春を迎え、帰国の願い叶わず父母兄弟を想って狂わんばかりに南東の空を見つめたであろう伯父の死の瞬間の無念さを想うと、甥として国を恨む。

私が生まれる2年前まで生きていた人である。
もう少し生きていたら帰国できて、あるいは生還した他の兄弟と同じように終戦に伴って帰国していれば、私と出会えた人である。
享年23歳!!

物心ついた頃からその伯父は南方の戦場で死んだと教えられ、墓石にもその様に刻まれていた。
抑留死の情報がもたらされた後、墓石の一部が削られてシベリアで昭和25年に病死した事実が上書きされた。
その為にその部分が凹んだ墓石になっている。
国は、自分の兵の誰が何処に居るのかも管理できていなかったのである。

祖父母はその事実を知らないまま死んだ。
祖父はずっと私が伯父に似ていると言いながら、93歳まで生きた。
彼の後半生は、己より先に死んだ息子達を想い続けた日々の集合体である。

改めて言う。私は国を恨んでいる。
祖父母夫婦が国民の義務と言われて息子を差し出したその愚直さの上に立って、狂気を遂行した国をずっと恨む。
コメント
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