荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

お正月の朝

2015年12月31日 | 散文
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

2016年の朝をふるさとで迎えました。

田舎の、農家の庭先に朝日が射しています。

生家の庭は野趣に溢れています。

ほったらかしの庭ですから、冬場の今は雑草が少ないですが、夏場は人が立ち入る事が困難になります。

南天が多く植えられています。

いや、勝手に増えています。

白い南天も生えています。


季節を先取りしてロウバイが咲いています。

日当たりが良い庭です。

さて、花の名前が分かりませんが、陽射しを透かして赤色が鮮やかです。


季節的に赤い花が多い時期なのでしょうか?


この花の名前も知りません。


これは山茶花ですよね。


もう水仙も咲きはじめています。

夏の帰省時には、数日を費やして草取りをしなければならない庭です。

そして、寝室前の大きな石の靴脱ぎに置かれている父のサンダルです。

このサンダルも戸も、もう数年間使われていません。
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国民休暇村の散策ー3

2015年12月31日 | 散文
国民休暇村の海岸にいます。

やっとたどり着いた海岸です。

ここには昔から大きな洞窟があります。

中学生の頃以来の来訪です。

当時は海岸から洞穴が良く見えていましたが、今では木が生えてちょっと恐ろしげな姿です。


当然、入ってみます。


中学生の時、ここには水晶があると聞いて、老幼なじみと来ました。


右側の穴の方が大きいですが、どちらもすぐ奥に行き当たります。

当時は蝙蝠がいましたが、今日は居ません。
冬眠中で見えない所に隠れているのでしょうか?

洞窟から外を見ます。

ちょっと隠れ家っぽいです。
男子中学生が好きそうです。

ここは、休暇村がある山塊が海に落ちている所です。


そしてここが、今治市の南端です。


アーチ状の岩に行きたいのですが、ほぼ満潮の為に行けません。
岩をよじ登って行こうかとも思いましたが、今日は自転車で随分無茶をしたので、これ以上馬鹿な事はしません。


振り返ります。
海岸の北の遠くに虎ケ鼻が見えます。


洞窟脇は林になっていますが、奇妙な柱が立てられていました。

「魚つき保安林」ってなに?

世間の皆様は忙しく働いているのに、大晦日の夕方まで投稿作業をしてしまいました。
今年はお付き合い頂きましてありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
また来年(明日)。
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国民休暇村の散策ー2

2015年12月31日 | 散文
無謀な自転車散策をやっています。
かと言って、今更引き返せません。

ちょっと行くと急坂の下に大崎龍神様が在りました。


見上げます。

ひょっとして、先ほど立った岩は龍神様の頭上ではないでしょうか。
罰当たりな事をしてしまいました。

よく拝んで先を行きます。

龍神様を振り返り、振り返り進みます。

急坂が続きます。

自転車を押して、いや、滑り落ちないようにブレーキを掛けながら進みます。

大きな岩を迂回しました。

難所が続きます。

ちょっと平らな場所に出ました。

海岸は左手の下り階段ですが、前方に龍神社があるようです。
先ほどの非礼をお詫びしなければなりません。行きます。

龍神社です。
お正月の準備ができあがっていました。

誰かがお世話しているようです。

先だけ葉を残した竹が、上の部分が無くなった石灯篭に、立てかけられています。


何だろう?と思いましたが、すぐに分かりました。

お飾りの予備ですね。
近くに誰か居る気配がします。

自転車を見られたら恥ずかしいです。

急いで坂を下ります。

すったもんだの末、やっと開けた所に出ました。


来た道を振り返ります。

すぐ先に急な階段が見えています。
こちらから来ていたら、絶対自転車では登らなかったと思います。
恐らく、この散策路を自転車で走破(?)した馬鹿は、私だけだと思います。
やっと海岸に出ました。散策します。
次回に続きます。

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国民休暇村の散策ー1

2015年12月31日 | 散文
地元のブロガーさんが紹介していた国民休暇村が生家の近くにあります。
随分永い間行った事がありません。
帰省したら行こうと思っていました。
散策路から休暇村本館裏の景色を眺めています。

あの海岸へ行こうと思っています。

ちょっと上り坂ですが、この先に展望所があるようです。
案内板によると、更に行くと海岸に出るようです。

行ってみます。

展望所です。


景色はこんな感じです。

余り展望が利きません。

この先にも展望所があるようなので行きます。

休暇村本館は高所にあるので、下り坂というより、下り階段が続きます。

進入禁止の立て札がありました。


覗くと大きな岩があります。
先の方がちょっと平になっています。

紹介してくれたブロガーさんと同じく、ちょっとだけ行きます。

景色が良いです。

平地島と小平地島が見えます。

南には西条市の河原津が見えます。


自転車へ戻ります。

皆さん「えっ!」と思うでしょうね。
軽い感覚で、東京から送った愛車を押して、この山中を来てしまいました。
馬鹿です。後悔しています。
随分難儀していますが、ここは行程の半分くらいの所です。
今更引き返せません。
次回に続きます。
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桜井漆器の街の師走

2015年12月30日 | 散文
漆器の街に来ています。


穏やかな年末の街です。


蔵を巡ります。












静かに佇む町並みです。















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桜井漁港の師走

2015年12月30日 | 散文
師走の桜井漁港に来ています。


多くの漁船が停泊しています。


相変わらず人がいません。


漁を終えた後の休憩時間だと思います。


どの船もお正月の飾りがありません。


恐らく、まだ漁をするのでお飾りを付けていないのでしょう。


サラリーマンと違って、海が荒れない限り漁に出ます。


大変な職業ですね。


お正月直前まで働きます。

そしてお正月三が日が明ける前に漁に出ます。
働き者の街です。
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年末の氏神様

2015年12月29日 | 散文
須賀神社へお参りします。

滅多に来る事はありませんが、昨日家飲みした老幼なじみが新年の準備をすると言っていたので、見に来ました。

鳥居をくぐって本殿へ向かいます。




本殿までの道はけっこう厳か感があります。


本殿です。


斎明天皇とスサノオの命(タブレットでは漢字が出ません)をお祭りしています。


準備が整い、静かに新年を待っています。


殆どの神社は初詣の参拝者に御神酒を振る舞います。
当該地区の役員がおさい銭箱の横辺りに座っていて、盃に注いで振る舞ってくれます。

老幼なじみも役員です。
彼いわく、参拝者の予想人数は20人との事です。
彼は、寒いし参拝者も少ないし、神社に詰めません。
おさい銭箱の脇に、一升瓶とコップを数個置いておいて、参拝者に勝手に飲んで貰う予定だそうです。
なんだかなあ・・・。
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綱敷天満宮の師走

2015年12月29日 | 散文
松林の中の綱敷天満宮に来ています。


振り返っても松林です。

松林の向こうは椀舟の港です。
ここは四つある参道のひとつです。

この参道に日清戦役記念碑があります。
日露戦争碑はよく見ますが、日清戦争ものは珍しいです。


記念碑の脇に砲弾もあります。本物だと思います。


どういう謂われか、歌碑が沢山あります。






本殿前に立って東西南北の参道を見ます。








全国に数ある天満宮の中で、おそらく敷地面積が最大の天満宮だと思います。

お正月の準備ができています。


ここまで準備できれば、後はお正月を待つばかりです。
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初冬の今治藩主の墓

2015年12月29日 | 散文
今治城を見学したその足で、今治藩主の墓所に向かいます。
参道は、名残の紅葉の道です。




落ち葉を踏んで上がって行きます。




前回訪問した時と変わらぬ佇まいです。


ただ、壁がだいぶん傷んでいます。


帰り道です。


落ち葉を踏んで帰ります。


カサカサと足元で音がします。

思いがけない参道の紅葉が印象的でした。
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今治城再訪ー4

2015年12月28日 | 散文
「天守閣周り」

通路脇に吹揚神社への入口があります。


創建されたのは1872年との事ですが、今治一の初詣の場所です。

私も一度だけ訪れた事があります。大変な人出でした。

狛犬の脇に鈴状の人工の石がありました。
懐かしいです。「いのこさん」又は「ごうりんさん」の石です。

石に取り付けたリングに付いている多数の輪っかに縄を付けて、みんなで引っ張り合って中空に上げた石を落下させて庭に穴を掘ります。
男児が生まれた家が宿になって子供達が集まり、ごうりんさんの歌を唄いながら、部落の家々の庭に穴を掘って廻ります。
その後子供達は宿の接待を受けます。
子供が多かった時代はなかなか宿が廻って来ませんでしたが、子供が居なくなった今は廃れてしまった晩秋の行事です。

小さな天守閣でも、近くで見るとそれなりに見えます。


散策を続けます。


櫓の石垣越しに見る天守閣です。


社務所越しの天守閣です。


櫓門から城内を見ます。


初冬の今治城です。

小さいと思っていましたが、こうして散策すると、それなりに楽しめるお城です。

藤堂高虎公に別れを告げます。

以上で今治城の報告を終わります。
お付き合いありがとうございました。
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今治城再訪ー3

2015年12月28日 | 散文
「城壁上を歩く」

天守閣へ向かいます。


城壁上を歩きます。


生家方面を見ます。
正面に太平記の舞台である瀬田山・笠松山が見えます。
その左前方の唐子山と右前方の霊仙山には今治藩の砦が置かれていました。

今治藩南の守りの要です。
そのほか玉川や朝倉にも城跡がありますが、今治藩との関係は分かりません。
これから勉強します。

最後の守りは、海水を引き入れた内堀です。


城壁にサクはありません。

ちょっと怖いです。

藤棚の紅葉が残っていました。
ここには昔、動物園がありました。

小鳥小屋にその名残があります。

随分永い期間、堀には貸しボートが浮かんでいました。

高校生の頃のデートの場所でもあります。

大きな楠木が城壁の上に生えています。

石垣が崩れないか心配です。

堀の向こうに廃校になった中学校が見えます。
少子化の影響です。
ここは漁師の子弟が多く通っていて、私の母校も漁師町にありました。

漁師は気が荒く喧嘩っ早いのが常で、両校はお互いをライバル視していました。
私の同級生はここ「吹き揚げさん」に遠征して、ここの中学校の番長と決闘をして負け、鼻血を流しながら自転車を漕いで帰りました。

「皇太子殿下御野立之所」碑がありました。
大正11年とありますので、昭和天皇の事ですね。

「野点」ではないのか?と思いながら歩きます。

名残りの紅葉越しに天守閣を見ます。


城壁を下りて天守閣の方へ歩きます。

次回に続きます。

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今治城再訪ー2

2015年12月27日 | 散文
「藤堂高虎公」

藤堂高虎は関ケ原の戦いの功によって徳川家康から伊予20万3千石を賜りました。

この像は今治城造りの指揮を取っている姿だそうです。
彼が「今張る」と名付けたのでしょうか?

彼は約6年の歳月を費やして今治城を造りました。

ところが完成直後、伊勢・伊賀へ移封になりました。

彼の後任は、当時6千石の久松家です。

「6千石に天守閣は要らない」と、彼は今治城の天守閣を解体して、新任地へ持って行きます。
以後今治城には天守閣がありません。

今治藩久松家は徳川一門であり伊予松山藩久松家の分家です。
ここ今治に4万石(後3万5千石)を賜り、明治までの間15代が今治を治めました。

従って藤堂高虎は主たる今治藩主とは言えませんが、築城主として、また戦国時代の有名人として、観光戦略も考慮して(?)ここに像を造ったのしょう。

藤堂高虎は城造りの名手とうたわれ、この今治城が後の名古屋城や駿府城のモデルになったと言われています。


現在の天守閣は1980年に再建され、藤堂高虎像は2004年に建立されています。


天守閣へ向かう門には門松が飾られています。

もうすぐ新年を迎えるふるさとです。

次回に続きます。

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今治城再訪ー1

2015年12月26日 | 散文
今治城に来ました。
今日はゆっくり見学します。

「外観」
お城が水に浮かんでいます。

珍しく美しい水城です。

堀は海水で、チヌやボラが泳ぎます。
今年の夏にはドチザメが泳いでいるのが目撃されて話題になりました。

真四角の城壁に内堀を巡らせています。

今治城は別名「吹揚げ城」と呼ばれています。

何も無かった荒野に、土を吹き上げたようにお城ができたからでしょうか?

今治は元々は「今張(いまはる)」と言いました。

城の縄張りが今終ったので「今張」と言ったと、小学校で習いました。

私の祖父の世代は「いまはる」と言っていましたし、市内の観光地等にある古い説明板にも、その字の記載が残っています。

従って、市民が完全に「いまばり」と言うようになったのは、ここ40年足らずの事です。

逆光のシルエットも好いです。


「今張」と名付けたのは、時の城主でしょうか?

城内に入って行きます。

復元された鉄御門の石垣です。
野面積みの城壁に大きな鏡石があります。城の権威を示すものだそうです。

この大きさはちょっと凄いです。

天守閣の手前に騎馬像があります。

今治城を造った藤堂高虎です。

次回に続きます。

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今治銀座のクリスマス

2015年12月25日 | 散文
帰省しました。
帰ればやって来る今治銀座です。


クリスマスの飾り付けをしていました。




でも、この入口にある店以外はちょっと寂しいです。
そもそもアーケードの飾り付けがこの程度。


商店街を進みます。

一応木には白いイルミネーションを付けています。


進むにつれて寂しくなります。


買い物客が一人も居ません。


こういうのを外すのがメンドクサイと思ってそのままにする手抜きが、集客力に欠ける原因だと思う。
これではクリスマスらしくない!

ふるさとなので、辛口コメントします。
クリスマスなのに、街が寂し過ぎます。


ここが町の中心地です。

子供の頃は、人がいっぱい歩いていた通りです。

旧町名石碑には「今治城の西側の外堀である金星川は川幅十七間で、直に海から舟を乗り入れる事ができました。

開町当時はここから呑吐樋まで家が無かった為、川岸端と言われましたが、ついには豪商達が軒を並べ町の中心地になりました。」
との説明がありますが、その面影すらありません。

頑張ってくれないと、帰省した者が寂しいだろうが!!
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谷中銀座界隈を散策して帰る

2015年12月25日 | 散文
平日の谷中銀座を往きます。


自転車を押して歩きますが、そんなに混雑していません。


メンチカツが人気の店です。

有名人のサイン色紙が沢山貼られています。
こういう商売のやり方は好きではありませんが、気にはなります。
商店街の外れにある「夕焼けだんだん」に冬の日差しが当たっています。


谷中銀座方向へ戻って、左の小路を往きます。


今日も人気のかき氷屋さんです。
冬でもこの行列です。

一杯千円以上の価格ですが人気です。

谷中に来るといつも訪ねる岡倉天心公園です。
珍しく人が居ます。外国人です。

外国人でも岡倉天心に関心があるのだろうかと見ていたら、流暢な日本語で、カメラのシャッター押しを頼まれました。

公園を取り囲んでいる住居に日が射しています。

初冬の風情です。

午後の日差しの中の「夕焼けだんだん」から谷中銀座を見ます。

平日は小父さん小母さんばかりですね。

西日暮里の酒屋を確認して帰路に就きます。


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