荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

白山神社の紫陽花

2014年06月28日 | 散文
PCが修理から帰ってきた。
反応が遅いまま使っていたが、思い切って1週間我慢して修理に出しました。
やっぱり、反応が良いPCは使い易いなあとしみじみ思っています。



さて、梅雨の真最中である。
今年は紫陽花をゆっくり見ていない。
と言う事で、ここ白山神社に来ている。
ここは紫陽花の名所である。




色々な種類の紫陽花が咲いている。




代表的な青い色。




これも代表的な色であるが、よく見るとガクが小さい。




こんな種類の花もある。
中心のつぼみがビーズのようだ。




色違いもある。




こんな色もある。




この清楚さはどうだ。
線香花火を連想させもするが。




丸い花だけじゃなく、楕円形の花もある。




オーソドックな形であるが、宝石のようだ。
見飽きることは無い。




東洋大学が見える。



なるほど。
紫陽花祭りの提灯道が大学に続いている。




・・・何故かここ白山神社の境内にも孫文の碑がある。
ちょっとビックリ。












コメント

虎ノ門ヒルズへ行く

2014年06月14日 | 散文



先週、虎ノ門ヒルズが開店した。
早速行ってみる。
基本的に新しい物好きである。




マスコットキャラクター「トラのもん」だ。




ドラエモンじゃないので、耳があってしっぽが長い。
猫じゃなくて虎である。
従って縞がある。




人気者である。




暫くここで寛いだ後探索する。




地下の自転車置き場を探した(結局見つからなかった)後、やっぱり高い所へ行く。



エレベーターの中には見事な鯉と花のレリーフがあった。



51階に着くと「いらしゃいませ」と迎えられた。
「いやいや、レストランに来たのでなく、見物に来ただけですから」
廊下ですれ違う従業員が、胡散臭そうな顔を笑顔で覆って「おはようございます」と挨拶してくれる。
ちょっと居心地が悪い。



そそくさと目立たないよう窓際へ行く。
六本木ヒルズが見える。




東京タワーが見える。
レインボーブリッジが見える。
絶景である。




真下を見ると、こんな感じ。
足が竦む。

かなりの時間を51階で過ごしてしまった。
結局窓際で景色を見ていたのは我々だけだった。
・・・良かったのか?











コメント

3年振りの被災地/石巻

2014年06月14日 | 散文


前回の訪問と同じように、南三陸から石巻へ行く。

着いた所は野原である。
草原が広がっているだけで3年前の面影が全くない。




この方向にはこんな光景が広がっていたが、ここでも瓦礫がきれいに片付けられている。




この道の両側には沢山の住宅があった。




当時は、こんな光景が広がっていた。




瓦礫がきれいに片付けられた中で、1軒の家がぽつんと残っている。
窓が壊れているので、人は住んでいないと思う。
ここはもう帰って来られる土地ではないと思うのだが、何か事情があるのだろうか?




新しいお地蔵さんが立っている。
それにしても、1軒だけ残った家が寂しい。




観光バスも来ていて、犠牲者の関係者や震災を悼む人たちが祈りを捧げる場所となっている。
鎮魂の地である。




前回、この光景に感動した。




同じ場所を探したら、当時の看板と地面の文字がそのまま残されていた。




灯が点されている。
震災の瓦礫から取った火だという。

3年振りの被災地を訪ねた感想が纏まらない。
南三陸も石巻も人が住んでいた場所が原っぱになっている。
これは、復興が進んでいるのだろうか?
被災した土地を放棄した姿を見たが、槌音高く新しく建設されている街を見ていない。
復興の姿を見ていない。
もどかしい思いばかりで、気持ちの整理が付かない。





コメント

3年振りの被災地/南三陸町

2014年06月08日 | 散文




日本の文化には幾つかの「切りのいい」数字がある。その中で「3」は、最初に訪れる数字であると思う。東日本大震災から3回目の夏が来ようとしているが、震災直後に訪れてから1度も被災地に行っていない。行っていない理由は言い訳を含めて一杯あるが、最大の理由は「怖い」のである。
TVなどで紹介される現地のニュースは私の耳目に厳しい。どうもこの国は、この大震災の善後策の立案と遂行において、国民の期待に応えられていない。全く進展していなかったらどうしよう。それをこの目で確認するのが怖くて、訪問する勇気が出てこなかったのである。
そんな風に逡巡している間に時が過ぎてしまった。希薄になっていく世間の関心や国の政策に対する寂寥感や憤りや不安感がある中、「区切り」に背中を押されて、3年振りの再訪を決意した。できれば、「この国はまだまだ捨てたものじゃないよ」と思いたくて・・・。



3年前と同じルートで南三陸町に入る。
水門脇の家が倒れたまま放置されている。




南三陸町の中心部に近づくと「防災対策庁舎」が目に飛び込んで来た。
震災の遺産として残そうとしているとの話を聞いている。
周りは何にも無い。
予想以上にきれいに片付いているようだが、よく見ると家の基礎がそのまま残っている。
前回訪問時には、手前の空き地にぐちゃぐやになった志津川病院があったのを覚えている。




町のあちらこちらで、造成工事が始まっている。
津波対策で盛土をしている。




盛土のサンプルだろうか?
「盛土の高さ11m」の看板が立っている。




造成工事が進む一方で、壊れた堤防が放置されている。




津波に倒された鳥居もそのままである。





前回訪問時、このガソリンスタンドが営業しているのを見て、東北人の粘り強さに感動したものである。




これが今回見た姿である。
やっぱり廃業していた。




でも心配無い。
町の奥の方に新たに建設して営業していた。
この手前にはコンビニが新設されていた。
この辺りは津波が届かなかった高台なのだろう。




何も無いきれいな原っぱがある。




これが、震災時の同じ場所からの光景である。
3年の時間が風景を変えてしまっている。




防災庁舎には観光バスが来ている。
多くの人が亡くなった場所を見物するのは違和感があるが、町では貴重な集客モニュメントなのだろう。




今、南三陸町は震災後の町の存続手段を模索しているようで、観光に力を入れている。




駐車場を備えた「南三陸さんさん商店街」を造って観光客を呼び込んでいる。




商店はみんな同じ大きさのプレハブ建築である。




観光客相手のおみやげ屋と食堂が沢山出ている。




商店街を歩くと、商店の人の為に床屋がある。
他にも、写真屋やクリーニング屋や電気屋や花屋などがある。




数件の食堂が「キラキラうに丼」を販売している。
南三陸の名物なんだろうか?
ここ「志のや」でうに丼を食べながら、ご主人から震災後の話を聞いた。
この場所も津波が到達した場所である。
後1年経ったら移転しなければならないらしい。
色々な支援があるが、人の繋がりが一番嬉しいとのこと。
中越地震を経験した新潟の人達が何度も来てくれてありがたいとの事である。




ご主人に、3年前にこの看板を見て志津川小学校の生徒たちの健気さに泣いてしまった話をしたら、涙が出そうになって声が上ずってしまった。
あの子達は元気だろうか?
コメント

杉山家の引越し

2014年06月01日 | 散文

ペン画の大家である杉山八郎先生の家に転居の案内が出された。
家主がこの家を取り壊すらしい。
この家には時々お邪魔して、カレンダーを買っていた。
近くの根津郵便局から友人に贈るのが年末の私的行事である。
上り込んで絵を見せて頂いた事もあった。
もう来られなくなると思うとちょっと寂しい。




先生たち夫婦は1本裏通りに引越した。
やっぱり根津を離れられないとのこと。




根津1丁目の交差点に生花が飾られていた。
杉山アートルームの開設である。




・・・、先日先生から「ペン画特別展」の案内状を頂戴した。
今回は神楽坂で行うらしい。
神楽坂界隈を描いた幾つかの作品があるので、開催場に打って付けであると思う。




昔、神楽坂の本多横丁に「常盤屋」という料亭があったらしい。
今は石合氏の邸宅になっていて、氏のご厚意でここでの開催の運びとなったとのことである。
この家は「建築登録文化財」になっているらしい。
凄い所でやるんですね。
普通絶対に入れない。民家だし。




開催日の開催時間直後に入場したのでゆっくり鑑賞することができた。
旧料亭の広間で黒檀・紫檀の柱を眺めつつ、展示されている絵画越に庭を見ながら、良く冷えた麦茶をおよばれして・・・。




さて、根津のビルの5階に紫色の幟が見える。
ここが杉山アートルームである。




ビルの構造から、お邪魔するにはインターフォンを押して鍵を開けて貰わなければならない。
気軽に入れなくなったなあ・・・。

あ、展覧会の作品の紹介が無い。
コメント