荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

夏休み最後の水遊び

2015年08月31日 | 散文
ふれあい橋の向こうに、上半分が霞んで見えないスカイツリーが見えます。
小雨の中、カヌーを漕いでいます。

「こんな日に、よくやるよ」との声が聞こえそうです。

でも、釣りをしている家族がいます。



こちら、江戸川区側にも。

夏休み最後の日曜日だから、家族団らんの為に計画していたので、少々の雨でもやるのでしょうか。

こちらの小父さんは、アオサギと一緒に釣りを楽しんでいます。

釣った魚を貰っているのでしょうか?
サギは離れる様子がありません。

雨が強くなりました。
急いで帰ります。
あれ?合羽を着て釣りを続けている人が居ます。



おや?こちらでも菅笠で・・・。
自分の事は放っておいて、「よくやるよ」と思います。
ちなみに、カヌーはそもそも水遊びなので、少々濡れても気になりません。

釣りもそうですか?
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根津で、なんとなく秋

2015年08月30日 | 散文
空気がヒンヤリとしています。
自転車で切る風が気持ちいいです。

根津に向かいます。
先ずは不忍池に行きます。
蓮の花が咲いていますが、夏の押しつけがましさはありません。
中央に浮御堂、右に上野精養軒が見えます。

左に見えるマンションのモデルルームに行った事があります。
そんな経験があると、毎回特別な思いで見てしまいます。

さて、いつものように、井戸を見ます。


例によって、こちらからも。


お地蔵さんに挨拶して走ります。


根津教会もしっとりと佇んでいます。


日本医大大学院を左に曲がります。


店の飾り付けが変わりました。


根津神社のお参りは外せません。


お参り前に、東大野球部のグランドを見上げます。


唐門が柔らかい光に包まれています。


森鴎外が寄付した水飲み場が静かに佇んでいます。


光の中の乙女稲荷と透かし塀です。



路地です。
子供の遊び道具がありました。

その先に、井戸が見えます。

この家で使っています。


更に路地を往きます。
向こうから子供を乗せた自転車が来ました。


ギャラリーに出ました。

ここから先は千駄木になります。

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奉納踊りの準備

2015年08月29日 | 散文
根岸の御行の松不動尊の前です。
奉納踊りがあるようです。
盆踊りの様なものでしょうか?

境内に入ってみます。

ここは、正岡子規が愛した松があったお不動さんです。
子規の句が書かれた石碑があります。

「薄緑お行の松は霞けり」

まだ小さな三代目の御行の松です。
子規が見たのは初代です。
「青々と冬を根岸の一つ松」
「春の水音無川と申しけり」

以前あった句と違うのがあります。
以前は、上記のも含めて春夏秋冬を歌った句がありました。
時々替えるのでしょうか?

初代の松の根っこです。
掘り出して祀っています。
子規が見た松です。

この根の一部で作った不動明王像を不動堂に祀っています。

不動堂を見ます。


お賽銭は上げないけど、お参りします。


境内を振り返ります。
今日の踊りは、やっぱり、盆踊りでしょう?
舞台がそうだもの。

で、三代目が、子規が愛した御行の松の大きさになるのはいつでしょう?
その頃日本はどうなっているのでしょう?
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下谷神社で、なんとなく秋

2015年08月28日 | 散文
上野に向かって走っていたら、鮮やかな朱色の鳥居に行き当たりました。


朱色の鳥居をくぐって、下谷神社へ行きます。


夏とは違う光の中の本殿です。


光が自己主張していません。


本殿脇の参道です。


光が柔らかいです。


正岡子規の句があります。

「寄席はねて上野の鐘の夜長哉」

本殿から鳥居を振り返ります。

なんとなく、秋です。
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蕎麦屋で教わった秋

2015年08月27日 | 散文
根津の蕎麦屋へよく行きます。
もう10年くらい殆ど毎週行っていますが、帰省していたので、1ヶ月振りの訪問です。



えっ!お客が居ない。

たまたまですが(すぐに満席になりました)、こんなの初めてです。

いつものように、せいろを注文します。
そしていつものように、生け花を鑑賞します。
この店は、蕎麦が美味しいだけでなく、おもてなしの心を感じます。
そのひとつが女将さんの生け花です。
今日はお客が居ないので、写真を撮らせて貰いました。
秋明菊です。

いつも早めに、季節の到来を教えてくれます。

こちらは、藤袴です。
秋の七草です。

障子の桟に活けています。
このセンスが好きです。

で、こちらが鶏頭と、なんだったっけ?
女将さんに2回も訊いたのに、もう忘れてしまいました。

秋の到来を教えてもらいました。
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妙見島へ行く

2015年08月26日 | 散文
旧江戸川下流に島があります。
東京都と千葉県の境にある浦安橋を通る度に見下ろしていました。
ここ妙見島は東京都江戸川区に属しています。
昔「ブラタモリ」で訪問していた島です。
ずっと気になっていたので、一度行ってみる事にします。



先ずは、外観から。
島の北端です。



島の東側を見ながら、東京側の堤防を南下します。
島はコンクリートの護岸で固められています。



どうも、殺風景な島です。



浦安橋から展望します。

工場と倉庫ばかり見えます。

島内へ入って行きます。
高い護岸が目に付きます。
ひょっとしたら、海抜ゼロメートルかも知れません。
ひっきりなしに車が走っています。

トラックが多く、自転車では走り辛いです。
トラックは、産業廃棄物や残土を運んでいるようです。
左の塀の中は、産業廃棄物処理場みたいです。

島の東側にマリーナがありました。
レジャーボートが繋留されています。
向こうに、市川市のマンションが見えます。

ここからの景色はいいですね。

マリンクラブがありました。
やっと、工場・倉庫以外の施設がありました。
さてどこかでビールでもと思いましたが、ぱっと見、それらしい店が見当たらないし、埃っぽいし・・・。
どうも、ブラタモリのようには、楽しい事を見つけられません。

・・・帰る事にします。
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ゲートブリッジ

2015年08月25日 | 散文
自宅からゲートブリッジが見えます。
完成前からずっと、気にして見ています。
橋の開通から、先日見た景色までを報告します。

2012年2月、開通した日に行ってみました。

思っていた程の混雑では無かったですが、みんなゆっくり走ります。

歩道を歩く人が凄かったです。



橋を越えた所で振り返りました。

改めてこうして見れば、車も多かったのですね。

自転車で見に行きました。
まだ工事中だった岸壁から見上げました。



海釣り公園からも見上げました。

寒くて釣り人は居ません。

橋の歩道を歩きました。
ゲートブリッジは自転車で通行できません。
自転車で行って、エレベーターで橋まで上がるのです。
寒いのに、この人出でした。

みんな新しいもの好きです。

メチャメチャ寒く、歩道の水溜りが凍っていました。



橋上から東京湾を展望しました。



夜にも行ってみました。





そして、先日の帰京時に上空から・・・。













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片頭痛

2015年08月24日 | 散文
帰京してから片頭痛が酷い状態で続いています。
頭が痛いと、何にもやる気は起きません。

数日前の夜中の2時半頃、痛さに耐えられなくなって(4~10秒の間に1回、唸るような痛みに襲われます。説明するのに必要だろうと数えていました)、119番で今日の救急病院を訊きました。
病院に電話したところ「今、救急車で危ない状態の患者が搬入されたので診れない、明日外来で来てくれ」とのこと。


痛みを紛らせる為に、部屋の中だけでは物足りず廊下に出て階段等を歩き回りましたが、効果ありません。
ふと思いついて、ネットで調べたところ、脳血管が膨張して痛みが発生するとのこと。
従って、冷やして血管を収縮させること及び光の刺激を避けること、との記述がありました。
部屋を真っ暗にして、痛い頭頂部と首筋に氷を当てて冷やすとともに、以前、膝が痛くなった時に貰った「ロキソニン」を飲みました。
全くの素人療法です。
すると、あら不思議、朝までぐっすりです。


そんな状態だったのでカヌークラブが開催するボランティアに出掛けましたが、やっぱり、午後3時過ぎに痛くなり始めました。
打ち上げもそこそこに家に帰って病院に行こうとしましたが、診察時間を過ぎています。
昨夜の療法を再試行しましたが、全く効果なく、痛さでほとんど眠れません。


朝を待ちかねて、前日119番で教えて貰って電話した病院へ行きました。
初診受付で「頭が痛い」と言うと、脳外科を案内されました。
カヌー仲間の脅しもあって、それはそれでいいと思いました。
CTスキャンを撮って、異常が無いことが確認できました。一安心です。
貰った薬を飲んで寝ていると、痛みが和らぎました。

翌日の夜、二男一家が来たので、久し振りに350mlだけビールを呑みました。
するとその夜、再び前夜と同様の痛みが襲ってきました。
今朝を待ちかねて内科医へ行きました。
自ら、風邪気味である旨と自分で行った処置(部屋を暗くして、氷で冷やして、ロキソニンを飲んだ)及び脳外科へ行った話をしました。
その女医さんが言うには、「ロキソニンはいい薬です。何にでも効きます」とのこと。
従って、ロキソニンを含む処方箋を貰いました。

薬局へ行くと、40分待ちの表示です。
処方箋を提出した足で、図書館へ行きました。
帰省している間読んでいなかった「私本太平記」の4、5巻を借り出しました。

そのまま薬局へ帰ると、何と90分待ちの表示です。
月曜日は病院と薬局が混むんですね。
私は予定どおり薬を貰って自宅に帰り、在庫分からロキソニンを飲み始めました。
今、痛みはありません。
太平記を読み始まました。
でも、夜が怖いです。
痛みはいつも、2時半頃起こります。

帰京後、こんな数日を送っています。






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好きな商店街―4

2015年08月21日 | 散文
東京下町に商店街はいっぱいあります。
通りすがりの街が多いので、2度と行く事が無い街もあります。
そして、思い出せない街も・・・。

「日の出会商店街」

どこにあるのか忘れました。
やっぱり直ぐに整理した方がいいですね。

「アサヒ商店街」

押上にあったと思います・・・。

「横山・橘通り共栄会」

馬喰横山駅の近くにあります。

「五番街」

ニューヨークだけじゃない。
小岩にも「五番街」は有ります。

「学園東通り旭街商店街」

足立区千住旭町にあります。
けっこう道幅が広くて長い商店街ではあります。

「柳原銀座中央通り会」

千住柳原1丁目にありますが、あまり商店がありません。
病院が多い街です。

「柳原千種通り」

千住柳原1丁目から2丁目にかけてあります。
狭い通りの商店街です。
木密度が高い商店街と聞いて来てみました。
・・・なるほど。

「柳原商栄会」

前出の柳原千種通りとクロスして続いています。
狭い地域に商店街が多くあります。
駅からちょっと離れていて孤立している地域だからでしょうか?

「フードプラザ大橋」

京成電鉄千住大橋駅前にあります。
鉄道の高架下で、直進すると改札口で、後ろは国道4号線です。

「鐘ヶ淵通り商店街平和会」

木密度が高い墨田区3丁目周辺。
東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前の開かずの踏切から望みます。

「南千住仲通り商店街」

南千住駅と日光街道を結んでいます。

「根津観音通り商店街」

文字通り根津にあります。
根津は「谷根千」と呼ばれて観光客が多い所ですが・・・。

「大島八丁目中央商店会」

文字通り江東区大島八丁目にあります。
わずか150m程度の小さな商店街です。

「田端高台通り商店街」

JR田端駅西側の崖の上にあります。
この道を進むと、古河邸に行き当たります。

「牡丹町笑栄会」

江東区牡丹にあります。
永代通りの裏道で、車が少ないのでよくママチャリで走ります。
車が少ないと言う事は、人通りも少ない事象に繋がっています。
ここは、故小津安二郎監督生誕の地です。

商店街のみなさん、頑張って下さい。
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好きな商店街―3

2015年08月20日 | 散文
東京の古い商店街が見直されています。
効率的でないが、人情味のある商店の良さを求める空気があります。
商店街の人達は誰も店を辞めたくはありませんが、後継者と再投資等の問題を解決しなければ、回復は叶いません。
第三者の都合だけでは、復活はできません。
そこで商売をして、生活が成り立つ構造造りが必要です。
勿論、自らの改革も必要です。


「鳩の町商店街」
向島にある元青線があった街です。

若者たちが工房を開いたり、イベントを開催したりしていますが・・・。

「昭和橋通り商店街」

亀戸6丁目にあります。

「亀七通り商店街」
ご推察の通り、亀戸七丁目にあります。

商店街かと思うほど人通りが無いです。

「荒川仲町通り商店街」
荒川3丁目にあります。



この商店街は店の一角に祠が祀られています。
江東区千石にあります。

商店街の名前は分かりません。
商店街の表示が無い、不思議な商店街です。

「高橋夜店通」
「のらくろ生誕80年祭の」垂れ幕があるが客が居ません。
商店街の名前と違って、昼間だからでしょうか?

でも今日は、日曜日恒例の歩行者天国だのをやっていますが・・・。
ちなみに、「たかばし」と読みます。

「大島銀座通り商店街」
大島2丁目のJR貨物線鉄橋を覗くと見えます。

下町の雰囲気たっぷりです。
「おおじま」と読みます。
地名は難しいです。初めて行ったのでは分かりません。

「大正通り商明会」
墨田2丁目にあります。



「八広新中通り」
墨田区八広にあります。



「十間橋商店街」
墨田区京島にあります。

スカイツリー建設当時はけっこう賑わっていました。

「大島らかん通り商店街」
江東区大島の明治通の南側にあります。



「市場商栄会」
通称「業四市場」

ここもスカイツリー建設当時は賑わっていました。

「せんわ通り商店街」
台東区千束にあります。




「千親会」
上記「せんわ通り商店街」の近くにあります。

よく見ると信号が壊れていますね。

みんな頑張れ!
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高速道路と害獣

2015年08月19日 | 散文
生家は海も山も近く、更にちょっと走ったら湿地帯があり、色々な湿地植物を見る事ができます。




このようにのんびりした田舎ですが、のっぴきならない事情があります。
若者が居ません。
年金以外、確とした収入がない限界集落です。
その村で、高速道路の建設が進んでいます。

過疎地を走る高速道路です。

高速道路の向こうに瀬田山・笠松山が見える地域の一部地主には、山林の買収が完了しています。


高速道路の用地買収は、思ってもみなかった、高額収入です。
売却した地主は、他にこれといった収入源がないので、道路を見上げては、ホクホクです。

高速道路が完成しようがしなかろうが、もう興味はありません。
彼らは高速道路を利用しません。
新居浜市へ行くにも一般道路を使います。
お金を使わない事もありますが、過疎も相まって通行車輌が少なく、到着時間が高速道路とあまり変わらないそうです。

そのちょっと先の用地買収から外れた畑に、こんな縄張りがあります。

害獣から、なけなしの食料を守る電気サクです。
対象は猪です。
ここ数年で急増しています。
何でも、イノブタとの混血により、年2回出産し、しかも子沢山だとか。

大事な食料を守る為に、檻も設置しなければなりません。


生きていく為には、太平記の舞台も高速道路も関係ありません。

限界集落の姿です。

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萬翠荘

2015年08月18日 | 散文
伊予松山城の麓に、洋館が建っています。

「よろずのみどりのやかた」と言う意味の命名です。

大正11年に、松山藩主の子孫である、久松定こと(言べんに莫ですがタブレットでは出ません)伯爵が建築した別邸です。

いわゆる、自宅松山城の敷地内に、殿様の新たな住居の1つとして建てたものです。

陸軍駐在武官としてフランス生活が永かった彼の、フランス好みをふんだんに取り入れた建物です。

室内に入ります。
受付で撮影の了解を確認しました。
正面に大きなステンドグラスがあります。


階段を上がって行きます。


奥にバルコニーに面した、明るい部屋があります。


昭和天皇が皇太子時代に宿泊し、朝食を召し上がられた部屋です。
2面が窓になっています。


隣の広い部屋に肖像画が飾られています。


久松定こと伯爵は、小説「坂の上雲」に登場します。
彼は、偶然の結果ですが、主人公の一人である秋山好古と日本の運命に関わります。

明治期の若様定ことはフランスへ留学する事になります。
松山藩はお付きとして、陸軍将校である秋山好古を指名します。
好古は悩みます。
当時の日本陸軍はドイツの制度を採用していました。
フランスへの留学は、陸軍の出世コースから降りる事を意味します。
しかし、大恩ある松山藩の要請を断る事ができません。

出世を諦めて行ってみると、騎兵の技術・制度は、フランスがドイツを上回っている事を知ります。
好古は、陸軍にレポートを書き続け、フランス式騎兵を正式採用させます。
後に日露戦争で騎兵隊を指揮し、当時世界最強と言われた、ロシアコサック騎兵隊と互角の戦いを展開するのです。


バルコニーの向こうに百貨店が見えます。
松山の中心地にあります。


久松家は、昭和の時代になって、お殿様として再登場します。
定武氏が愛媛県知事となって、数期県政を担います。
私は彼から(県教育委員会が知事名義で)奨学金を受けました。



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松山城へ

2015年08月17日 | 散文
父と二人暮らしの生家に、二男が来ました。
92歳の誕生日のお祝いに孫達が集まります。

松山城へ行った事がない二男を、約40年振りに案内します。
つまり、最後に行ったのは、彼が生まれるよりもずっと前です。
城山を登るには、徒歩とリフトとロープウェイがあります。
帰りの下り坂は徒歩として、登りは、爽快感もあって、リフトにします。




降り口からは、当然歩きですが、頂上まで随分歩きます。




こんなに歩いたっけ、と言いながら歩きます。


幾つかの門があります。


流石は15万石のお城です。


3万5千石の今治城とは、全然違います。


頂上に着きました。


ゆるキャラ「よしあき君」です。
築城者の加藤嘉明です。

「彦にゃん」みたいなものですか。

入場料を払って、天守閣ゾーンへ入ります。


天守閣までいっぱい歩きます。


流石15万石。
今治城とは違います。


まだかよ、と言いながら歩きます。




天守閣に上がりました。
櫓の向こうに松山の街を見ます。




城門を見ます。

流石15万石、今治とは・・・。

天守閣内の様子です。

流石15万石、お盆とは言え、見学者が多いです。
今治とは・・・。

ここ松山城は、江戸時代の天守閣がそのまま残っている、全国12のお城の1つです。



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石打て峠

2015年08月16日 | 散文
私の生家の裏奥にある山を越えると、数年前に亡くなった母の実家があります。
山越えの道は、くねくねと曲がりくねった、雑木に覆われた暗い道でした。
自転車に乗れるようになると、夏休みなど、一人で母の実家に泊まりに行きました。
くねくね道が面倒な場合は、小さなせせらぎ沿いの山みちを、自転車を押して峠まで上っていました。
その入口を峠から見下ろしたところです。
40数年前まで通った道です。

おそらくこの先の道は消滅していると思います。
昔のくねくね本道を今の道路が串刺し状に貫いていますが、その旧街道の全容も、最早定かではありません。

ここが峠です。随分明るくなりました。

実は此処が怖い場所で、峠に上がっても、ここまでの苦しい行程に一息入れる事なく、一気に坂を下りました。

昔の処刑方法には惨いものが多くあって、土に埋めた罪人の首を、通行人にひと引きずつ鋸で引かせた、などというのもあったようです。

そう、ここは、罪人に対して、通行人に石をぶつけさせた場所なのです。
故に、「石打(いしぶ)て峠」と言います。
ふるさとは、怖い歴史もある場所なのです。
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古代山城、永納山に登る

2015年08月15日 | 散文
西暦663年に起きた白村江の戦いに百済との連合軍として敗れた斉明天皇は、百済の亡命貴族の指導のもと、西国に城を築きます。
日本最古の古代山城です。
このタイプの城は、愛媛県に1つしかなく、四国にも3つしかない貴重な遺跡です。

前回の帰省時に、世田山に登った後、その案内板を見つけました。
ずっと気に掛かっており、猛暑の中ですが、湯ノ浦温泉道の駅の自販機でポカリを飲み干して、登る決心をしました。
道路の向こうが世田薬師です。
その向こうに世田山がそびえています。


標識に従って進みます。
この切り立った崖が、既に古代山城の遺構でしょうか?


山みちへ入ります


いきなり倒木が道を塞いでいます。

しばらく、誰も登っていないようです。

直ぐに、行き止まりの表示です。

この山、思ったより、手強いかも知れません。

案内板に従って行きます。


あの山を目指します(後で分かるのですが、あそこは山頂ではありません)。


途中、展望が望めます。


このように、瀬戸内海からいきなり立ち上がった山塊で展望が利くとともに、左手に進むと国分寺がある等、交通の要衝です。

山城を築くのに、格好の立地だったのでしょう。

山城として、ここ永納山と一体化していた医王山を望みます。


なんと、倒木に案内板があります。

やっぱり手強そうです。

山頂かと思ったら、違いました。


最初に目的地と誤った山です。


一休みして、西にある世田山・笠松山を見ます。

太平記の舞台です。

瀬戸内海を見ます。

平地島が霞んで見えます。

さあ、出発します。
山城跡らしい岩場が見えて来ました。


城跡だったら、ここだと思いましたが、山頂ではないようです。
向こうに、まだ山があります。


道が続いています。

ここまで来たら引き返せません。
渋々腰を上げます。

山頂のようです。


三角点です。
しじみ蝶が迎えてくれました。

標高僅か132mの小山ですが。

改めて、世田山・笠松山を見ます。


改めて、医王山との位置関係を確認します。


でもね(口調が疲れています)、ここでは狭いでしょう。

城は造れないですよね。
古代山城は、さっきの、手前の山ですよね。

休む日蔭もありません。
せっかくの山頂ですが、とっとと手前の岩山へ引き返します。


やっと腰を下ろしてふと見ると、登山口で持って来た杖に、手の汗が滲みついていました。


帰り道、医王山を見上げます。
古代山城跡を確認するには、この山にも登らなければなりませんかねえ。


この山、厳しそうですよ。

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