荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

水元公園/印象派ならどう描く?

2015年04月30日 | 散文
待望久しい新緑の水元公園です。
やっぱりこの季節は好いですね。
私が好きな景色ですが、印象派ならどう描く?






































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ふるさとー3/漆器の街で

2015年04月29日 | 散文
ふるさとの小さな限定された地域に漆器の街がある。

大きな屋敷や、住居とは別に土蔵を持った複数の商家があった。

久し振りに訪ねてみたら、商売を続けている家が随分少なくなっていた。



現在も商売をしている店の一つである。

実は、この街が「割賦販売発祥の地」である。
値の張る漆器の商いを通じて、分割払いを考案したそうである。
小学生の頃学校で習った。
昔は裕福な街だったので天神祭りも活気があった。

子供の頃と比べて、街が随分明るい。

この辺りは土蔵が並んでいて薄暗い通りだったが、多くの家が無くなって、直接日差しが当たっている。

取り壊さないで売りに出している家もある。

住んでみたい家ではあるが・・・。

街を巡ってみる。



家が少なくなったせいで妙に明るい。
ポストのある家は新聞屋兼雑貨屋だった。

向こうの空き地に何があったか思い出せない。
この小さな地域には郵便局も警察署もあったが、その場所を見付ける事ができなかった。

道端に首が無くなったお地蔵さんが祀られていた。

地域の来歴からして古いものだと思う。

彫刻を施した漆器製品を見掛けるが、そういった仕事をしているのだろうか?



僅かに土蔵が残っている。



現在も使われているかは不明である。



そんな中、この一角は両側の家が現在も商いを続けているようで、昔の面影を残している。



反対側から見てみる。
画面右側は、卸商の家とその土蔵である。



大きな構えだ。



現役の店である。



看板にも風格がある。



向かいの家は土蔵を持った製造販売業である。



ここは小中学校の同級生の実家だ。
中学を卒業してからも何度か訪問したことがあったが、立派な庭がある、昼間でも薄暗い大きな家だった。
今でも庭の手入れが行き届いているのが塀越しに見えた。
弟が居たので彼が家業を継いでいるのだろうか?

今日久し振りに家の前に立って、改めて思う。
彼女って、お金持ちのお嬢さんだったのね。





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ふるさとー2/海辺で

2015年04月28日 | 散文
故郷は半農半漁の村で、少しだけ商人の町である。
海岸近くに天満宮がある。
私はこの広大な境内の一角にある保育園のOBである。

毎日鳥居をくぐって通った。
従って、この天満宮は子供の頃からよく遊んだ場所である。

天神様に行けば必ず在る牛の像がここにもある。



学問の神様だけあって、筆塚がある。

成る程と思うが、他の天神様では見ない。

そして、ウグイスの像がある。
道真公の梅に因んだものだと思うが、これも他で見ない。

住民の信心の深さを物語っており、また、これらの物を捧げる裕福さがあった事も想像できる。

広大な敷地の四方に鳥居があり、奥の鳥居の向こうは、かつて漆器製造販売で栄えた町家が並んでいた。



町家と反対側にも白砂青松の浜が続いて、やはり遠くに鳥居がある。



本殿の左側の鳥居の向こうは海である。

そこには海水浴場があって、泳いだり魚釣りをしてよく遊んだ。

海岸から見るとこんな感じ。

菅原道真公が大宰府に流される途中、この浜に上陸した。
地元の漁民が接待しようにも敷物が無い。
そこで、漁具の綱を円盤状に巻いたものを間に合わせに敷物として提供した。
その由来から、ここを「綱敷天満宮」と言う。

子供の頃、随分遊んだ漁港である。
向こうに唐子山が見える昔ながらの風景であるが、堤防が改修されて新しい。

あの山には昔砦があった事から子供の間で「4と9の付く日に登ると、お姫様の幽霊が出る」との伝説があった。
中学生になってから(やっぱり怖かったので大きくなってから)何度か登ったが、何も起こらなかった。

新しい堤防の突端まで来てみた。
港の外側の海を見ると、足が竦んだ。

向こうに「しまなみ海道」の来島大橋が霞んでいる。
手前の白砂青松の浜には、昔レジャー施設があって、夏休みには貸しボート屋のアルバイトをした。

今日は、堤防の上でコンビニおにぎりを食べた。

海岸脇の街中に行ってみる。
かつては、商店と民家が混在した、賑やかな「町」であった。

親戚の家が洋品店を営んでいて、羽振りの良さを羨ましく思っていた。

一角にこんな標識が立っていた。

矢印の方へ行って海岸に出ると、サイクリングロードができていた。

海に向かって真っすぐに幾筋かの通りがある。



道路を進むとやがて漁港が見えて来て、海に出る街の造りになっている。



小学生の頃までは、沖に見える島に同級生の親戚1家族が住んでいた。



海に向かう道路は整然としているが横方向の道路は複雑で、今でも迷路である。



小中学校の同級生の実家があった。
彼の兄が親の後を継いだと思う。

入口の張り紙には「3月31日で閉店する」旨書かれていた。
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ふるさとー1/山里で

2015年04月26日 | 散文
ふるさとの駅である。

農村と漁村が大部分で、少しだけ商人の町の駅である。
予讃線開通時は、ここが終点であり始発駅だったらしい。
地場産業に携わる商人のお蔭で、昔は裕福な町だった。

2番乗り場の景色は映画に出てきそうだ。
盛んにウグイスが鳴いている。

緊張感の欠けらも無い。
のどかそのものである。

タイミング良く1時間に1本の電車が止まって、




数人の客を乗せて出て行き、



そして無人駅が残された。



久し振りに、小中学校(隣接している)の裏にあるお寺山に行ってみた。

実家の菩提寺でもある。

この石段はここ十数年に出来たものである。

子供の頃には無かった。

その頃はこちらに石段があったが、今は坂になっている。
一時期、こちらから踏切を渡って車を通す為に改造したらしい。

山上に新しい道路ができた今は、踏切に車が進入できないようにポールが立っている。

子供の頃、お寺山に呼び出し、呼び出されて、時々喧嘩をした。
この境内が少年の「決闘」の場であった。
当時は薄暗くて、誰も来なくて、学校から近くて、決闘に便利な場所だった。

本堂が立て替えられて、庭も随分綺麗になっている。
何より、日差しが差し込んで随分明るい。

お寺山を下りて帰ろうとしたら、踏切の向こうにこんな看板があった。
「伊予国分尼寺塔跡(県指定史跡)
奈良、天平時代に建てられた国分尼寺(法華寺)境内の東南隅にあたる。
因みに、創建当時の法華寺は今の桜井小・中学校を中心に広大な寺域を誇っていたが、江戸時代の初めに、現在地に移った。」

へー!知らなかった。
学校はお寺の跡に建てられていたの(看板の左奥が学校である)!
国分尼寺塔跡はすぐ近くである。先ほどの駅の斜め向かいである。
これは、行かなくては。

田畑の中の小さな丘の上にある柿木の下に案内板が立っている。
読んでみる。
「<史跡 国分尼寺跡>
聖武天皇の勅願(天平13年・741年)により、天下諸国に国分寺国分尼寺の造立が命ぜられた。当時国分寺(北約2km)建立と共に、国分尼寺を建てられた。国分尼寺は、法華滅罪之寺といい、尼僧10人を置き、妙法蓮華経を奉じ、民の憂苦疫病、飢餓を救い国家の鎮護と国民の平和を祈ったといわれている。
方形の敷地に、巨大な花崗岩の自然石が6個約2mの間隔に並び、赤土石灰土を底から固めて礎石をすえてある。石には柱口の加工はしていないが、整然と間隔をおいて並んでいる。なお付近から布目瓦の破片などが出土している。
昭和31年1月3日 指定 愛媛県教育委員会」

へえー!知らなかった。
今から1,274年前、大化の改新から約100年後、平安京遷都の約50年前、万葉集編纂の約30年前、鑑真和上来日の12年前、東大寺大仏造立の11年前、僧行基が貧民救済に活躍した時代の事である(これを機に日本史を調べてみました)。
こんな凄いものがあったの!?

成る程、表面が平らな石が並んでいる。



更に「史跡伊予国分尼寺塔跡地」の石碑が立っており、その裏には「昭和24年10月建立」と書かれている。
へー!知らなかった。
私が生まれる前から石碑が建っていたのである。
線路脇の小道が通学路だったので、9年間かよった道路のすぐ近くである。
「あそこに何か在るな」とは思っていたが、道草大好き少年であったが、ここに来た事は無かった。
「学校の先生も親も近所の古老も、誰も教えて呉れなかったぞ!」
「そんな事は無いだろう、小中学校自体が法華寺の跡地にあるのだから、少なくとも担任や社会科の先生は教えた筈である」
自問自答は続く。
そして結論、「どうせ子供の頃からひとの話を聞いていなかったのだろう」。

私って、結構凄い所で生まれ育っていたのね。
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都電荒川線―3/宮ノ前駅から王子駅へ

2015年04月24日 | 散文
宮ノ前駅である。

「宮」とは八幡神社の事だと思う。

近くには「女子医大通り商店街」がある。

人通りは少ない。

こんなスナックがあった。



こちら側にもポスターが溢れている。

夜は演歌カラオケ全開だろうなあ。
私はちょっと入れそうにない。

小台駅の風景。
上下線の駅が小台大通りを挟んで位置する。

都電では上下線駅が離れているのは珍しい事ではない。

反対側の駅で上下線電車が揃った。



明治通りの近くにどりーむすぺーす商店街がある。

綺麗な街だが人通りが無い。

荒川遊園地前駅。

あらかわ遊園へは行った事がないが、今日も行かない。

荒川車庫前駅から荒川車庫を望む。

古い電車が置いてあって、現役当時の「銀座」の行先が書いてあったりする。

電車が荒川車庫へ入って行く。



梶原駅。

線路は明治通りを横断している。
明治通りは交通量が多い。


ここは上下線が大きな道路を挟んだ位置にあるので、駅近辺の顔が違う。



こちら側の駅のすぐ脇に「ショッピングモールかじわら」があった。



ショッピングモールの線路のこちら側には上中銀座商店会がある。

つくづく庶民の生活と一体化した路線であると思う。

栄町駅風景。

なんとなくのんびり感がある。

そして王子駅前駅に着いた。

この辺で、次回につづく。
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道後探訪

2015年04月22日 | 散文
松山なら道後温泉である。
道後温泉本館を見ておきたくて、久し振りに訪れてみる。
昨日と同様、路面電車に乗って道後温泉駅まで行く。

小さな駅である。
ここから道後温泉本館は近い。

さすがは温泉街。
駅前に「足湯」がある。

足湯の隣りには時計台がある。

時報どきになると、時計台がせりあがって「夏目漱石/ぼっちゃん」の登場人物が現れる。
マドンナも赤シャツも野太鼓も居る。

観光客が足を止め、止めた足を湯に浸す。

時計台脇には、松山には欠かせない正岡子規の像がある。
野球姿である。
さすがは野球どころ。

「まり投げて見たき広場や春の草」

時計台前の道路に沿ってなだらかな坂を歩いて行くと、道後温泉本館が見えてくる。



いつもながらの、時代を感じさせる威容である。

改めて、立派な建物だと感心する。

入口脇に入浴券販売窓口がある。

料金は休憩部屋によって異なる。

こちらで靴を脱いで、入浴券を渡して入って行く。
要は「銭湯」である。

私は出身県人でありながら、1度しか入った事がない。
それも、得意先を接待しての入浴であった。

この建物は、今年の「えひめ国体」終了(10月10日)後、耐震工事を含めた改修に入る。
その工事は2024年まで続く。

今夏の帰省時には絶対入ろうと誓う。

本館前にお土産を売る商店街がある。

アーケードを振り返ると、正面に道後温泉本館が見える。

商店街の角に電飾の案内板が光っている。



覗いてみると、ここにも温泉がある。
知らなかった。

道後温泉本館の工事中はこちらが賑わうのだろうか?


L字になった商店街は平日の午前なのに、けっこう賑わっている。

L字に沿って進むと、道後温泉駅に出る。
つまりこの商店街は、道後温泉駅と道後温泉本館を繋げているのだ。

運良く「坊ちゃん列車」に乗れた。

JR松山駅まで行って、これまた久し振りに実家へ帰る予定である。









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つつじ祭りが始まった

2015年04月22日 | 散文
根津神社のつつじ祭りが開催されている。



平日であるが、それなりに人出もある。



つつじ園の入場者もそこそこある。



屋台も「今や遅し」と構えている。



でも、まだこの程度の開花です。
ここのつつじは種類が多いので長く花を楽しむことができますが、見頃には10日ほど早いです。
お奨めは連休後半。
この頃になると、ここ根津神社のつつじと、上野東照宮のぼたんと、亀戸天神のふじが同時に楽しめますよ。

この時期は、普段に増して、行き付けの「よし房凛」が混む。
店は客を捌く為に、「ふじ祭り限定メニュー」になり、紙おしぼりになる。
ちょっと嫌だな。
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松山へ行く

2015年04月21日 | 散文
久し振りの松山である。
松山空港に都市伝説の水道が実在していた。

蛇口を捻るとポンジュースが出てくる。
さすがは蜜柑どころ!

さて、夕方のJR松山駅である。


路面電車に乗りたいと思った。

電車乗り場はJR松山駅前の地下道から行く。

短い地下道には、数年経った今でもドラマ「坂の上の雲」のポスターが貼ってある。

正岡子規と秋山兄弟は松山の誇りであり、観光資源でもあるのだろう。

地下道から明るい先を見上げると「坊ちゃん列車のりば」の看板があった。

ここだ。

反対路線に路面電車が止まっている。



料金は何処まで行っても一律160円である。



城下町によくある「大手町」駅で、伊予鉄電車が通過する。
路面電車は踏切で止まって待つ。

この電車は路面電車と同じ運営会社であるが、独自の専用軌道を持った、普通の電車である。

車窓から見る伊予鉄の線路。

この線路はバブル期のTVドラマ「東京ラブストーリー」の別れのシーンの駅に通じている。

市の中心地「大街道」で下車する。
西日に映える路面電車。

自転車通勤の人が多いエコな街でもある。

私立女子中・高校の正門。
学校の奥が城山である。

城下町の風情がある。

秋山兄弟生誕地の案内看板がある。


こちらにもある。

親切な街である。

で、行き着いた。



ところが、開館時間は午後5時までとの事。
外から撮る。

兄好古の騎馬像。

兄に向き合う、弟真之の像。
何故か屋根付きである。

彼らは故郷の偉人であるが、司馬遼太郎の小説を読むまでその存在を知らなかった。
主人公の一人である正岡子規については学校で教わり、何か行事がある毎に俳句を作らされた。
秋山兄弟については、戦後民主主義を教える学校教育の場では、軍人の話はタブーだったのかも知れない。

街中にある子規の句。
「春や昔十五万石の城下町」

ビルに書くほど愛されている。

「坂の上の雲ミュージアム」
子規と秋山兄弟と日本の青春時代が展示されている。

ここも見学時間を過ぎていた。

松山城のお堀である。

西国は日没が遅いが、もう午後6時を過ぎている。
飲み会の時間が迫っている。

夕暮れが近づく街の中央の山上に、天守閣が鎮座している。
久し振りに登ってみたかったけど・・・。

さあ、飲みに行こう。
二番町でみんなが待っている。











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都電荒川線ー2/荒川区役所前駅から熊野前駅

2015年04月19日 | 散文
荒川一中前駅を出ると薔薇が咲いた線路が続く。



荒川市役所前駅の向こうにスカイツリーを望む。

この駅が都電とスカイツリーのツーショットのベストポジションだと思う。

荒川二丁目駅。

この路線一番の緑が多い駅である。

荒川二丁目駅に向かう路地の入口にこんな記念碑があった。

古さから今生天皇の皇太子時代のものだと思う。

荒川七丁目の踏切風景。



踏切から荒川七丁目駅を覗く。



都電は、京成町屋駅脇、京成本線高架下を走る。



賑わう町屋駅周辺。



電車から見えるイタリアンレストラン。

いつも行列ができているので、町屋で下りて入ってみた。
安くて美味しかった。

町屋二丁目駅に止まっている都電。



東尾久三丁目駅での乗車風景。



都電は、日暮里・舎人ライナーの熊野前駅脇を走る。



熊野前駅の向こうに舎人ライナーが走る。



すぐ近くに「はっぴーもーる熊野前」がある。

と言うところで、次回につづく。







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都電荒川線―1/三ノ輪駅から荒川一中前駅

2015年04月15日 | 散文
都電荒川線界隈をさまよう報告です。
何度も徘徊した結果を纏めたものなので、季節がバラバラです。
ご勘弁ください。

都電はもう荒川線しか残っていない。
従って都電と言えば、自動的に三ノ輪-早稲田間を約1時間で走る荒川線を指す。
先ずは、三ノ輪から・・・。

梅沢写真会館下の入り口を入って行く。

レトロな写真館の下には、レトロな商店が並ぶ。



写真館ビルのトンネルを抜けると三ノ輪駅が見える。



お気に入りの三ノ輪駅風景を紹介する。
雪の日の三ノ輪駅。



薔薇の季節の三ノ輪駅。

踏切脇で小父さんが腰かけて煙草を吸っている。
のんびり感が好い。

夕方の三ノ輪駅。

雰囲気好いでしょう。


話を戻す。
いつもすぐには電車に乗らない。
先ずは、駅に向かって右側にある「ジョイフル三ノ輪商店街」を歩く。



古い商店街であるが、他の多くの商店街と違って、ここは活気がある。

買い物客が多い。

このパン屋は、この商店街を紹介する多くのメディアに登場する。
レトロを求める人が紹介している。

私もその一人。

進んで行くと、漬物屋の隣りに「砂場」がある。
「鴨抜き」でビールを飲むのが、この店での私の基本姿勢。
店内の雰囲気は、終戦直後から昭和20年代の東京を感じさせる。

・・・どうやら東京に数ある「砂場」の本家らしい。
そんな話を聞いた事がある。
地味だが三ノ輪もやる!

砂場の向かいに銭湯がある。

銭湯は下町のシンボルであり、残って欲しい日本の文化である。

そんな商店街を終点まで歩いて左に出る。
商店街のアーケードが1駅間とほぼ同じ長さである。

振り返り見た商店街のアーケード。

一方、商店街の外の風景はこんな感じです。

僅か300m程の駅間の線路脇に、薔薇の花咲く小道がある。

その小道を歩くと、そこには小さな工場があって、メダルのようなものを機械が打ち出していたりする。



第六瑞光小学校のグランド前を走る都電。

その線路脇を歩くと、

すぐに「荒川一中前駅」の踏切に出る。
1駅分歩いてここから電車に乗ることが多い。
さて、今日は何処まで行こうかというところ・・・。
以上、「三ノ輪」~「荒川一中前」間の風景です。
ここだけでなく、全線線路脇に薔薇を植えていますので、これからの季節が訪れ時です。

本件は全駅を訪問します。
従って、次回につづく。






















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根津教会

2015年04月13日 | 散文
根津の路地に教会がある。

木造建築ということもあってか街に馴染んで佇んでいるが、ちょっと目立つ。

やっぱり西洋建築だけあって、窓の造りがそれっぽい。



雪が降った翌日の根津教会。



4月になったら、早々と教会の向こうに鯉のぼりが泳ぐ(もう泳いでいますよ)。

日本の行事風景に対しても違和感は無い。

初夏はこうなる。



夏はこうなる。



そして、秋はこうなる。

(変わり映えしないか・・・。)

建物の解体や新築で周辺の景色が随分変わったが、教会は時間の経過のなか、ずっと同じ姿で佇んでいる。



・・・杉山八郎画伯を偲んで。
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あしたのジョーのふるさと再訪

2015年04月11日 | 散文
「いろは会ショップメイト」が西日を受けている。
ここが「あしたのジョー」のふるさと、山谷の商店街である。

久し振りに覗いてみた。

サチがモジモジと恥ずかしそうに迎えてくれる。



段平が「酒粕がおいしいよ」と教えてくれる。



外国人の二人連れが歩いている。

決してここは観光地ではない。
彼らは「あしたのジョー」を知って来ているのだろうか?

それにしても、人が通っていない。
店が開いていない。

普通、商店街で移動販売車が営業するか?
路上で物を売るか?

閉じたシャッター脇には、ちばてつやの描いたポスターが雑に張り付けられている。

もったいないなあ・・・。

進むにつれて通行人が減り、とうとう人通りが途絶える。

向こうに数人がたむろしているのが見える。
そこは日雇い労働者の溜り場だ。

ここ「日本キリスト教団日本堤伝道所センター」で時々炊き出しをやるので、自然と商店街の東口の一角に日雇い労働者が集まるようになったようだ。



伝道所センターの上に「再開発反対」の垂れ幕が架かっていた。
え!再開発するの!
だから商店の多くが閉まっていて、街に人通りが無いのか・・・。

労働者たちは、みんなどうするのだろう。

もう、ここへは帰れなくなる。

ふるさとが無い矢吹丈は、何処へ行ったら良いのだろう?

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井戸のある風景

2015年04月08日 | 散文
池之端にある浜寿しを左に入ると、さらにビルの裏側を入って行く路地がある。



池之端は井戸の街である。
ここに大好きな井戸の風景がある。
薄暗く狭い路地の真ん中に現役の手押しポンプがあって、その向こう側にちょっと広い路地があって、家が両側に並んで建っている。



通り抜けて振り返るとこんな感じ。



こちら側にも現役の井戸がある。

・・・ある日、工事が始まった。

古い民家が取り壊されて新しく家が建てられるようだ。



引き続きこの井戸を使うようである。

嬉しい。

着々と工事は進む。



このバイクで仕事に来ているのであろう職人さんに「この井戸残すんですねえ、嬉しいです」と声を掛けたら、一言「ああ」との返事で、顔も上げずに作業をしていた。



ほぼ完成した家が分譲中である。



井戸の向こうの風景が新築住宅に変わったが、引き続き好きな景観を提供してくれている。

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観桜2015年総括

2015年04月05日 | 散文
随分桜の報告をしました。
例年に無く毎日桜を求めて走り回りました。
1つずつの報告は面倒なので、既報の後の活動を纏めて報告します。

さくら観に今日は何処まで行ったやら。

「北の丸公園」







「千鳥ヶ淵」






ボート乗り場です。



「靖国神社」





「不忍池」







「岡倉天心記念公園」







「谷中霊園」



「隅田公園」





「山谷堀公園」





「隅田川堤」



「猿江恩賜公園」





「仙台堀川公園」








「木場親水公園」



「行船公園」





「一之江境川親水公園」





「鹿骨親水公園」



「江戸川堤」







「帝釈天」





「帝釈天参道」



「柴又駅」

もう直ぐ、さくらが追いかけて来る。


「上野公園」




ソメイヨシノの原木も満開!

騒動の全てはこの樹から始まった。







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水元公園の桜

2015年04月02日 | 散文
桜の命は短い。
都内はあらかた回ったので、水元公園の桜を見に行く。

公園脇道路の桜。

鐘楼脇の桜。



霞みか雲か、朝日に匂う。



みんな楽しそう。



家族と花見をしている。



こちらでも。



そうか、春休みだ。



桜の下でなくても花見は楽しめる。



遠くに桜を見ながら楽しめる。



サイクリングも楽しそう。



水辺に佇む桜。



対岸の桜。



ついでに。
水元公園は印象派が似合うと思う。



ほらね。



おまけ。
小父さんからドジョウを貰っている白鷺が居た。

みんな幸せそう。
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