荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

タイガース選手コラボ弁当と名入レンガ再訪

2024年04月27日 | 散文

タイガースショップを出ると「甲子園球場100周年」カウントダウン看板です。前回の60周年看板の前で長男の写真を撮りました。ベーブ・ルースの銅像が有りました。そうなんです。初めての日本一を見ずに転勤した年の早春のことでした。

その隣りです。小さな屋台です。もっと大きなショップだと思っていました。あんまり売れないのだろうか?まだ午後2時だからだろうか?周りは私達と同様の、試合前に甲子園球場を愉しむ人が多くいます。

弁当は全部一律1500円です。「聖也の笑顔もビーフも100%ハンバーグ弁当」、「森下の牛鍋風弁当」、「梅ちゃんの九州ええとこ捕り(鶏)弁当」、「サトテルのトリプル牛肉弁当」、「近本のタコ飯幕の内弁当」、「坂本のこだわり!厳選中華弁当」、「中野の生姜焼き✕チャーハン弁当」等々です。「近本のー」は、もうこの時間で売り切れです。近本は弁当も人気あります!

そして、「からあげ祭」です。

選手が続きます。

甲子園球場を見上げます。

爽やかな野球観戦日和です。

そして、ここに「タイガースファン名入レンガ」が有ります。

阪神・淡路大震災後しばらくして、阪神球団はファンに向けて、クラウドファンディング(そんな言葉が一般的に無かった頃です)を立ち上げました。甲子園球場大改修費用の募集です。「先着3千人に対して3万円/人? あるいは5千人に対して2万円/人?」だったか(記憶が不鮮明です)を募集しました。私も応募しました。あっという間に満口になって、阪神球団は1億円だかを集めました。商売上手です。 以下の写真は前回訪問時、8年前のものです。雨中の「甲子園歴史館」の前でした。今回は探すのに必死、かつ感動のあまり撮るのを忘れました。

募集時の「10年間(?)の保存期間」満了直前に、1度見に来ました。その時は試合を見ていません。それ以来の訪問です。有るだろうか?

手元に、当時送られて来て保管していた、探索に必要なシリアルナンバーを持って探します。有りました!まだそのまま残してくれていました。

感激ものです。

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甲子園球場タイガースショップ周辺

2024年04月27日 | 散文

39年ぶりに甲子園球場で阪神タイガースの試合を観ます。84歳の叔母とやって来ました。「死ぬまでにもう1回タイガースの試合を観たい」との思いに応える旅です。関東在住の私にしても、「死ぬまでにもう1回、甲子園球場でタイガースの試合を観たい」との思いの達成です。

1885年の日本一の年の10月1日付けで関東に転勤になった私です。優勝に感動したけど、現場に居なかった寂しさはずっと残っています。  阪神淡路大震災を経て街が変わりました。

甲子園球場も変わりました。みんな綺麗になりました。小汚かった球場周辺が、楽しいボールパークになりました。

「タイガースショップ」に入ります。

タイガースグッズの種類の多さに目を見張ります。

こちらは菓子類です。

ショップ前の甲子園球場外壁です。「野球よありがとう」看板です。

こんなところから野球観戦が始まりました。試合開始4時間前です。

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市川関所跡へ行く。

2024年04月26日 | 散文

「小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡」から市川橋を渡ります。

渡ればそこは千葉県です。

橋を渡り終えた所に「山崎パン中央研究所」が在りました。江戸川左岸土手沿いです。

海からの距離標識が有ります。

振り返ります。左に渡ってきた市川橋、写真の中央付近にさっき見た「小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡」の説明板が有りました。右の鉄橋の下が小岩菖蒲園です。こんな位置関係です。

土手上の遊歩道を行きます。こんもりと木が茂っています。多分あそこです。

やっぱりそうです。

左の建物が山崎パン中央研究所です。

こちらにも説明板が有りました。

絵もあります。

左下に「小岩市川の渡し・小岩市川関所」が描かれています。そして江戸川を右斜めに渡った所に「市川関所」、つまり今立っている、ここです。

背後は山崎パン中央研究所です。

建物の端に繋がる歩道が在ります。

行ってみます。

遊歩道です。「自転車の持ち込み、乗り入れは禁止」とのことです。残念です。ここに自転車を置きます。

中央研究所を見上げながら、

遊歩道を行きます。

石段を下ります。

塀の先は一般道に続いています。山崎製パンの歴史保存への配慮ですね。

戻ります。

市川関所跡裏です。

こんな散策でした。

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小岩市川の渡し・小岩関所跡

2024年04月26日 | 散文

江戸川の土手から「小岩菖蒲園」を眺めています。菖蒲はまだです。

背後に、菖蒲園から江戸川の土手を上がった所に、商店街への入り口が在ります。菖蒲見物客を相手に左右に店が出て、往時はさぞかし賑わったと思います。

降りた所が商店街のメイン通りです。鉄道の高架下です。

ここは京成江戸川駅です。東京の東端の駅です。

駅前の道は昔の街道でした。ここに商店街を造りました。

すぐに商店街が終わります。

と思ったら、角を曲がった突き当りの土手の下にも商店街看板が有りました。江戸時代には、この左右に旅籠や料理屋などが軒を連ねていたそうです。

説明板です。「御番所跡  ここは旧伊与田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するところで、南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡しが定船場となり、御番所が置かれたことから御番所町と称したと思われます。江戸時代後期の地誌『新編武蔵国風土記稿』の伊予田村の項にも関所は『江戸川の傍にあり、ここを御番所町とも云、対岸は下総国葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番所と云』と書かれています。  御番所町は『徳川実紀』延宝二年(1674)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるものと考えられます。 

かつては旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、鮨屋、あめ屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたと伝えられています。街道の江戸川に突き当たる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に『御番所町の慈恩寺道石造道標』が望めました。今も原位置にあり、道路の様子も旧状をとどめています。

そのほかにも、江戸川畔にあった常燈明(宝林寺内)や、関所役人中根家の墓(本蔵寺墓地)など、ゆかりのある旧跡がよく残っています。  江戸川区」

江戸川土手に向かいます。この付近に関所が在ったようです。

土手を上がります。

振り返る旧御番所町です。

土手上にも説明板が有ります。

鉄橋の下に堀切菖蒲が見える場所です。

説明板です。

ここに渡しが在って、川向うのあの辺りに「市川関所」が置かれていました。

今は、川下のすぐそこに、「市川橋」が架かっています。

対岸へ行ってみようと思い立ちました。

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「男はつらいよ」に見る帝釈天で変わったもの

2024年04月25日 | 散文

歴史ある帝釈天を中心にした界隈です。

帝釈天三門と「園田神仏具店」です。

<現在>

この商店街もけっこう店舗の改廃がありますが、ここは健在です。取り扱い商品がら、いつも賑わっていません。地元民相手の商売です。

お参りします。

<現在>

映画から約半世紀、帝釈天は変わっていません。

ただ、何も変わっていないように見えますが、ここだけは変わっています。満男に借りた「頭が良くなるバンド」を付けている源ちゃんの背後に有る貯水槽です。

<現在>

さくらの背後に「当山○講の石柱が立っていますが、

その石柱は背が低く、地中に埋まっています。そして、こちらの貯水槽の土台石には「庚申」の彫刻が施されて居ません。つまり、石柱が三門寄りに移動して埋められています。

何も変わらない帝釈天だと思っていましたが、他にも変わったものがあるかも知れません。

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谷中の「富士見坂」

2024年04月25日 | 散文

東京には各地に「富士見坂」が在ります。富士山が人々の暮らしと共にあったことがよくわかる名称です。

末尾に小さく「最近まで見えた」旨の記載が有りますが、もう10年前の話です。私は一度も、ここから富士山を見たことがありません。

坂の右に、ここから見えていた富士山の写真が並べられています。

先ずはこれから。「ちょっと昔の富士見坂」です。モノクロで、富士山が良く見えません。「富士見坂」の様子は良く分かります。現在と変わりません。

2番目からカラー写真になって、富士山が良く分かります。こんなに大きな存在だったんですね。

「夕暮れ時の空」です。

2012年の写真です。

必ずしも年代順ではありません。1998年と1994年の写真です。

「富士山眺望の変遷」です。「2013年の、本郷通り沿いのマンションが完成するまでは見えていた」富士山です。

そして、2013年春に、半分しか見えなくなって、2013年夏、遂に見えなくなりました。こんな歴史を教えてくれます。なんだか「本郷通りのマンション」が敵役みたいです。

あのお寺の大きな屋根の向こうに、今は見えない富士山が在るようです。

見えなくなった富士山を、現在は街灯で再現しています。

富士見坂を下ります。自転車で風を切って、気持ちいいです。

富士見坂の底、谷中の路地から振り返って見上げます。

昔と変わらない富士見坂です。

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餃子の自販機が有った!

2024年04月24日 | 散文

「だし自販機」が気になって、いくつか紹介しました。先日は「ラーメン自販機」に遭遇して紹介しましたが、追いかけようかどうしようか決心がつかないまま、なんと「餃子自販機」に遭遇しました。

しげしげと眺めます。

「浜庄」ってのが餃子のメーカーだと思います。

ええー⁉ 売り切れなんですか⁉ 「生産が間に合わない」⁉  ホントかな⁇  誰も並んで居なかったぞ⁇ 帰ったあとか?

美味しそうな女性の写真です。子供だね。「危険をブロック」しているらしいし・・?「保存料・着色料・化学調味料は使用していません。また、安全性に疑いのある原材料は使用していません。」とのことです。別に珍しい文言でもないけど。

ほう⁉「発酵の力  健康長寿」ですか⁉ 「滋味深いスープ 具に練り込んでジューシー」らしいです。

更に、「国産小麦を始め厳選素材で美味しい」らしいです。「だし」にしろ「ラーメン」にしろ、こういった新興の自販機は、小さな自販機の箱に精一杯アピールしていますね。で、売り切れなんですね?

相撲取りが買い占めたのだろうか?

伊勢ヶ濱部屋のすぐ傍です。

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「宮城野部屋」看板が無くなった。

2024年04月24日 | 散文

旧宮城野部屋です。ああ、やっぱり・・・。

玄関に向かって左に有った「宮城野部屋」の看板が無くなっています。看板を留めていた金属だけが残っているのが寂しいです。勿論、「燃えるゴミの日」に出したりはしていないと思います。捲土重来を期して、何処かに保管していると思います。ただ、ここには戻って来ないと思います。日本橋に土地を手当した矢先に事件が発覚しました。新しい部屋の場所は確保済です。

<在りし日の看板>

でも、門柱には部屋名がそのままです?こんなの簡単に外せると思うのですが・・・?

宮城野部屋を預かっている「伊勢ヶ濱部屋」です。元来相撲部屋の午後はどこも静かなんですが、なんか緊張感がある静けさなんです。

いつも2台停まっている乗用車が、あの日以来頻繁に居ません。忙しいのだと思います。

先日、ジャージ姿の伊勢ヶ濱部屋親方を部屋前で見ました。ずいぶん痩せたように見えました。

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「徳川ヴィレッジ」建築中

2024年04月23日 | 散文

「徳川ヴィレッジ」なる物が建築中でした。

ここは「徳川ドーミトリー」跡地です。

しっかりした基礎です。立派な建物ができるようです。

私、徳川ドーミトリーの解体に遭遇した時、もう女子寮に入れたい親や入りたい学生は居ないのでは? なんて言ってしまいました。

なんのなんの、ドーミトリーよりも立派な女子寮ができそうです。今度は1号館から4号館まで在ります。

需要があるんですねえ・・・!

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神田川、今年の桜の見納めです。

2024年04月23日 | 散文

まだ4月11日の話です。

いつものように東京の桜の名所を観て回りました。最初は曇り空ばかりでしたが、後半は天気に恵まれました。神田川は、例年どおり面影橋からスタートします。

そもそも神田川の桜の開花は早いのです。もう花筏です。

遊歩道にも花が敷かれます。

下流に向かいながら観賞します。

今年の最後の桜になると思います。

見納めに相応しいです。

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「自由学園明日館」の庭から

2024年04月22日 | 散文

大ホールから庭に出ました。

庭を歩きます。

過ぎ急ごうとする桜を堪能します。

桜の根本に花壇が有ります。これは水仙の一種ですね。植物にも疎いです。

大ホールを外から観ます。

花壇に桜が降ります。

春です。

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「自由学園明日館」の桜

2024年04月22日 | 散文

間に合いました!「自由学園明日館」の花吹雪です。

四季折々に、大ホールから桜の木を観る為にやって来ます。

大ホールの2階から眺めます。幾何学模様の窓です。

机と椅子を見下ろします。

大人が座れない小さな机と椅子です。

1階に下りてきました。

窓枠が邪魔です。設計者フランク・ロイド・ライト氏は、桜を観ることを念頭に置いていなかったと思います。

でも現在の管理者は、窓枠を活用しました。ガラスの花瓶に季節の花を活けて、ここに置きました。

今日も好いです。

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「行船公園」の桜

2024年04月21日 | 散文

夕方の桜です。

桜の樹の下に「石田波郷」の句碑が有りました。「立春の米こぼれをり葛西橋」「早春や道の左右に潮満ちて」彼は江東区縁の俳人です。ここ江戸川区に句碑が有るのは、「葛西橋」の縁でしょうか?江東区と江戸川区を繋ぎます。

中央に大きな池を配した庭園です。

「源心庵」です。時々ドラマやCMに登場します。陽射しが柔かくなる時間帯です。

モミジにも夕陽が優しいです。

池を巡ります。

ここはツツジの名所でもあります。もうすぐ咲きそうです。

優しく暮れていきます。

やっと月10日の散策が終了しました。

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「新川」の桜が満開

2024年04月21日 | 散文

新渡橋から眺めています。新川です。徳川家康が江戸転封に際して拓いた運河です。下総の野菜や行徳の塩を江戸に送る運河です。この先で小名木川に繋がります。運河の両岸の桜が満開です。

橋の反対側でも眺めます。

浦安方面です。

この頃やっと青空が広がりました。

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「一之江境川親水公園」の桜

2024年04月21日 | 散文

水元公園から始まった、4月10日の話です。

親水公園の桜が満開です。

陽当りが良い公園です。

花筏が始まっています。

すっかり暖かくなりました。

遊歩道を歩きます。自転車乗り入れ禁止です。

自転車を押して歩きます。

ここ一之江境川親水公園の絵のマンホールです。

新緑が鮮やかです。

空が青いです。

カルガモが食事中です。堰に餌が溜まっているのでしょうか?

おっとっと、流されそうです。

親水公園が続きます。

満開の親水公園です。

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