荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

根津神社つつじまつり/2024年

2024年04月30日 | 散文

つつじ苑内を散策しています。つつじ山を巡ります。

苑外の丘の頂上の家がもうすぐ完成です。いいなあ! こんな家に住みたいなあ!

つつじを観賞しながら歩きます。

あやめの青がアクセントになります。

見下ろす遊歩道は、巡礼者の行列の様です。

つつじ越しに楼門を見下ろします。

ここからの景色が人気です。渋滞します。

花の向こうは、鷗外楼(森鷗外旧居)移築の為の庭の造成工事中です。

すっかり夏の陽気です。慌ただしく春が行きます。四季の国が、夏と冬だけになってしまいそうです。

見上げるつつじ山です。

楼門が輝きます。

今年のつつじまつりでした。

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「文京つつじまつり」大盛況

2024年04月30日 | 散文

「根津神社入口」の交差点です。平日なのにゾロゾロと人が途絶えません。

うわあ~! もう20年くらいこの祭りを見ていますが、境内を出た人の列は初めて見ます。プラカードを持っている神職の話では、30分くらいの待ち時間らしいです。

鳥居を潜ります。正面につつじ山が見えます。

幾重に折り返す行列です。正面に民家が見えます。

何度も折り返します。

入苑チケットはここ数年同じデザインです。値段は書いていません。使い廻しが利きます。今年は500円です。

強気です。昨年までは300円だったと思います。その前は200円で、はじめの頃は100円でした。300円までの入苑料は、この景色と比べて安いと思っていました。でも、、今回は値上げし過ぎだろう⁉と思っても、この盛況だと強気になるのは分かります。

入苑しました。白いつつじが清々しいです。

新緑が艶やかです。今日は夏日です。

例年より季節の足が早いです。既に早生の花が散っています。晩成の花が盛りです。

今年も春が短かったです。

苑内を巡ります。

 

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阪神甲子園駅周辺

2024年04月29日 | 散文

一夜明けました。昨夜は甲子園球場横のホテルに泊まりました。

甲子園正面入り口がメジャーリーグの球場みたいに綺麗です。39年前の面影は全くありません。あの、有名だった外壁にへばりついていた蔦が見当たりません。あれは、甲子園改修に伴って、全国の高校に苗の育成を依頼したと記憶しています。無いのだろうか?無いのだったら、それは、綺麗になった甲子園でも寂しいです。今回、甲子園球場を一廻りしていません。行っていない、正門から左翼外野に至る、外壁の何処かにあったら嬉しいです。

阪神甲子園駅に向かいます。チームショップが在りました。あ!ここもお洒落です。

振り返ります。

高速道路の下に甲子園球場が見える風景は39年前と変わりませんが、阪神・淡路大震災を受けて、街と一緒にこの周辺もずいぶん変わりました。この右側は土手でした。松林が有って、沢山の屋台が出てました。甲子園球場周辺は、綺麗なボールパークに変わっていました。

土手と松林が在った場所には、タイガースローソン建っていました。

改札口のすぐ傍です。

叔母の家に行きます。昨年亡くなった義叔父の仏壇にお参りします。39年ぶりに従兄弟に会います。飲んで語ります。

改札の向こうに、「岡田語」のCMが流れていました。

全種撮りました。関西らしい演出です。

甲子園球場を振り返ります。また来ることがあるだろうか?

ホームに上がりました。

高校野球甲子園大会を題材にした沢山の漫画のヒーローたちです。甲子園球場は、今年誕生100年になる聖地です。

阪神電車も綺麗になっていました。

今夜は叔母の家に泊まります。4回の「いつの間にか骨折」で背中が丸まって小さくなった叔母が、亡母とそっくりになりました。そんな体で、今回は驚愕の頑張りでした。

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阪神甲子園球場で試合観戦

2024年04月29日 | 散文

84歳の老人を伴っての観戦です。混雑を避けて早めに入場します。

甲子園球場のスタッフに、親切丁寧にエレベーターにまで案内してもらって、エレベーターを降りたら別のスタッフに席まで案内してもらいました。その後で、入場時に叔母の補助で持てなかったグッズを届けてくれました。スタッフの数が多く、ホスピタリティが整っています。

ここに来るまでも、席の周辺を見回しても、甲子園球場に居る最高齢者は叔母です。それどころか、杖を持った人は居ません。ゆっくりゆっくり杖兼買い物カートと足を運んで、アルプス席の階段を上がります。叔母は2005年の優勝の瞬間を、ここ甲子園球場で見ています。「死ぬまでにもう1回観たい阪神タイガースの試合」です。

綺麗な球場です。席もゆったりしています。ベンチシートでも脇に荷物が置ける広さです。前後の椅子の間隔も広く、通路が広いので、老人の負担も少いです。さて、正面レフト側の外野席の上部、画面中央のちょっと黒く見える部分だけが中日ドラゴンズのファンです。後は、360度(三塁側ベンチ上の内野席も含めて)全部阪神ファンです。他球団が、「甲子園は特別」と言うのが理解できます。

今年ここまで点が取れなかったタイガースが、森下のホームランを初め、嘘のように打ちます。

青柳は打たれても0点で凌ぎます。

悩める「春の大山」が、今年の初ホームランをバックスクリーンに打ち込みます。

今年初の楽勝です。叔母は大喜びです。

私と叔母は誕生日が一緒です。長女だった母と末っ子の叔母は14歳違いです。貧乏農家の子沢山です。叔母は母に育てられました。

そんなこんなで、叔母は母の子供である私達を気にかけてくれました。  正面の「わかさ生活」と「ZETT」の看板下の最上段席、あの僅かなスペースだけが中日ファンの席です。

客が少なくなるまで、ヒーローインタビューも見て、「六甲おろし」も歌って、危険が少なくなるまで待ちます。その後、再度スタッフのお世話になりました。

ホテルに帰って部屋で話します。10年数年前の、母の葬儀以来の対面です。深夜まで話します。

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甲子園歴史館/旧高校野球展示ブース

2024年04月28日 | 散文

8年前に訪問した際のリメイク版です。当時の甲子園歴史館は、高校野球のブースも有りました。

花形満です。
江夏が居て、田淵が居て、彼が入団しても、阪神は優勝できませんでした。
巨人にはONと星飛雄馬が居ました。
初々しい入団当時の顔です。


甲子園は高校野球の殿堂でもあります。


この頃のPL学園は強かった・・・。
もうPL野球部はありません。


清原のこのブースは撤去されたそうです。
バカなことをして・・・。


松坂大輔は決勝戦でノーヒットノーランをやってのけました。
「怪物」でした。

清原と、2体だけ設けられたブースです。

ダルビッシュと済美高校の死闘を思い出します。
決着は、9回裏ツーアウトランナー無しからの、逆転サヨナラ3ランホームランでした。
そのバットの主は阪神に入団し活躍を期待されたのですが、・・・厳しい世界です。


マー君と祐ちゃんの投げ合いに、野球を知らないオバちゃんまでもが興奮しました。


高校野球を語る時には外せない、学園のマドンナ、浅倉南。

「タッちゃん頑張れ!」

甲子園歴史館からバックスクリーン裏に出る事ができます。
こんな所にテラス席があるのを知ってた?

バックネットがあんなに遠い・・・。
ここまで球を飛ばすホームランバッターに改めて敬意を表します。

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甲子園歴史館

2024年04月28日 | 散文

以前は、名入レンガの傍、甲子園外野席下に「甲子園歴史館」入り口が有りました。今回、歴史館が移動していました。

球場外に独立していました。建物名は「甲子園プラス」だそうです。

入ります。

いきなり昨年の優勝フラッグが出迎えてくれました。

優勝カップです。

歴史を訪ねて回ります。

永久欠番の3氏です。

多くの名選手たちも居ます。以下1985年日本一の主力選手です。

名言の一部です。

見飽きませんでした。

以前来たときは、高校野球甲子園大会の歴史も展示されていましたが、今回は阪神タイガースだけの歴史でした。これはこれで堪能できました。歴史館から見る甲子園球場です。

高校野球の歴史の展示は次回に振り返ります。

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タイガース選手コラボ弁当と名入レンガ再訪

2024年04月27日 | 散文

タイガースショップを出ると「甲子園球場100周年」カウントダウン看板です。前回の60周年看板の前で長男の写真を撮りました。ベーブ・ルースの銅像が有りました。そうなんです。初めての日本一を見ずに転勤した年の早春のことでした。

その隣りです。小さな屋台です。もっと大きなショップだと思っていました。あんまり売れないのだろうか?まだ午後2時だからだろうか?周りは私達と同様の、試合前に甲子園球場を愉しむ人が多くいます。

弁当は全部一律1500円です。「聖也の笑顔もビーフも100%ハンバーグ弁当」、「森下の牛鍋風弁当」、「梅ちゃんの九州ええとこ捕り(鶏)弁当」、「サトテルのトリプル牛肉弁当」、「近本のタコ飯幕の内弁当」、「坂本のこだわり!厳選中華弁当」、「中野の生姜焼き✕チャーハン弁当」等々です。「近本のー」は、もうこの時間で売り切れです。近本は弁当も人気あります!

そして、「からあげ祭」です。

選手が続きます。

甲子園球場を見上げます。

爽やかな野球観戦日和です。

そして、ここに「タイガースファン名入レンガ」が有ります。

阪神・淡路大震災後しばらくして、阪神球団はファンに向けて、クラウドファンディング(そんな言葉が一般的に無かった頃です)を立ち上げました。甲子園球場大改修費用の募集です。「先着3千人に対して3万円/人? あるいは5千人に対して2万円/人?」だったか(記憶が不鮮明です)を募集しました。私も応募しました。あっという間に満口になって、阪神球団は1億円だかを集めました。商売上手です。 以下の写真は前回訪問時、8年前のものです。雨中の「甲子園歴史館」の前でした。今回は探すのに必死、かつ感動のあまり撮るのを忘れました。

募集時の「10年間(?)の保存期間」満了直前に、1度見に来ました。その時は試合を見ていません。それ以来の訪問です。有るだろうか?

手元に、当時送られて来て保管していた、探索に必要なシリアルナンバーを持って探します。有りました!まだそのまま残してくれていました。

感激ものです。

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甲子園球場タイガースショップ周辺

2024年04月27日 | 散文

39年ぶりに甲子園球場で阪神タイガースの試合を観ます。84歳の叔母とやって来ました。「死ぬまでにもう1回タイガースの試合を観たい」との思いに応える旅です。関東在住の私にしても、「死ぬまでにもう1回、甲子園球場でタイガースの試合を観たい」との思いの達成です。

1885年の日本一の年の10月1日付けで関東に転勤になった私です。優勝に感動したけど、現場に居なかった寂しさはずっと残っています。  阪神淡路大震災を経て街が変わりました。

甲子園球場も変わりました。みんな綺麗になりました。小汚かった球場周辺が、楽しいボールパークになりました。

「タイガースショップ」に入ります。

タイガースグッズの種類の多さに目を見張ります。

こちらは菓子類です。

ショップ前の甲子園球場外壁です。「野球よありがとう」看板です。

こんなところから野球観戦が始まりました。試合開始4時間前です。

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市川関所跡へ行く。

2024年04月26日 | 散文

「小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡」から市川橋を渡ります。

渡ればそこは千葉県です。

橋を渡り終えた所に「山崎パン中央研究所」が在りました。江戸川左岸土手沿いです。

海からの距離標識が有ります。

振り返ります。左に渡ってきた市川橋、写真の中央付近にさっき見た「小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡」の説明板が有りました。右の鉄橋の下が小岩菖蒲園です。こんな位置関係です。

土手上の遊歩道を行きます。こんもりと木が茂っています。多分あそこです。

やっぱりそうです。

左の建物が山崎パン中央研究所です。

こちらにも説明板が有りました。

絵もあります。

左下に「小岩市川の渡し・小岩市川関所」が描かれています。そして江戸川を右斜めに渡った所に「市川関所」、つまり今立っている、ここです。

背後は山崎パン中央研究所です。

建物の端に繋がる歩道が在ります。

行ってみます。

遊歩道です。「自転車の持ち込み、乗り入れは禁止」とのことです。残念です。ここに自転車を置きます。

中央研究所を見上げながら、

遊歩道を行きます。

石段を下ります。

塀の先は一般道に続いています。山崎製パンの歴史保存への配慮ですね。

戻ります。

市川関所跡裏です。

こんな散策でした。

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小岩市川の渡し・小岩関所跡

2024年04月26日 | 散文

江戸川の土手から「小岩菖蒲園」を眺めています。菖蒲はまだです。

背後に、菖蒲園から江戸川の土手を上がった所に、商店街への入り口が在ります。菖蒲見物客を相手に左右に店が出て、往時はさぞかし賑わったと思います。

降りた所が商店街のメイン通りです。鉄道の高架下です。

ここは京成江戸川駅です。東京の東端の駅です。

駅前の道は昔の街道でした。ここに商店街を造りました。

すぐに商店街が終わります。

と思ったら、角を曲がった突き当りの土手の下にも商店街看板が有りました。江戸時代には、この左右に旅籠や料理屋などが軒を連ねていたそうです。

説明板です。「御番所跡  ここは旧伊与田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するところで、南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡しが定船場となり、御番所が置かれたことから御番所町と称したと思われます。江戸時代後期の地誌『新編武蔵国風土記稿』の伊予田村の項にも関所は『江戸川の傍にあり、ここを御番所町とも云、対岸は下総国葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番所と云』と書かれています。  御番所町は『徳川実紀』延宝二年(1674)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるものと考えられます。 

かつては旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、鮨屋、あめ屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたと伝えられています。街道の江戸川に突き当たる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に『御番所町の慈恩寺道石造道標』が望めました。今も原位置にあり、道路の様子も旧状をとどめています。

そのほかにも、江戸川畔にあった常燈明(宝林寺内)や、関所役人中根家の墓(本蔵寺墓地)など、ゆかりのある旧跡がよく残っています。  江戸川区」

江戸川土手に向かいます。この付近に関所が在ったようです。

土手を上がります。

振り返る旧御番所町です。

土手上にも説明板が有ります。

鉄橋の下に堀切菖蒲が見える場所です。

説明板です。

ここに渡しが在って、川向うのあの辺りに「市川関所」が置かれていました。

今は、川下のすぐそこに、「市川橋」が架かっています。

対岸へ行ってみようと思い立ちました。

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「男はつらいよ」に見る帝釈天で変わったもの

2024年04月25日 | 散文

歴史ある帝釈天を中心にした界隈です。

帝釈天三門と「園田神仏具店」です。

<現在>

この商店街もけっこう店舗の改廃がありますが、ここは健在です。取り扱い商品がら、いつも賑わっていません。地元民相手の商売です。

お参りします。

<現在>

映画から約半世紀、帝釈天は変わっていません。

ただ、何も変わっていないように見えますが、ここだけは変わっています。満男に借りた「頭が良くなるバンド」を付けている源ちゃんの背後に有る貯水槽です。

<現在>

さくらの背後に「当山○講の石柱が立っていますが、

その石柱は背が低く、地中に埋まっています。そして、こちらの貯水槽の土台石には「庚申」の彫刻が施されて居ません。つまり、石柱が三門寄りに移動して埋められています。

何も変わらない帝釈天だと思っていましたが、他にも変わったものがあるかも知れません。

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谷中の「富士見坂」

2024年04月25日 | 散文

東京には各地に「富士見坂」が在ります。富士山が人々の暮らしと共にあったことがよくわかる名称です。

末尾に小さく「最近まで見えた」旨の記載が有りますが、もう10年前の話です。私は一度も、ここから富士山を見たことがありません。

坂の右に、ここから見えていた富士山の写真が並べられています。

先ずはこれから。「ちょっと昔の富士見坂」です。モノクロで、富士山が良く見えません。「富士見坂」の様子は良く分かります。現在と変わりません。

2番目からカラー写真になって、富士山が良く分かります。こんなに大きな存在だったんですね。

「夕暮れ時の空」です。

2012年の写真です。

必ずしも年代順ではありません。1998年と1994年の写真です。

「富士山眺望の変遷」です。「2013年の、本郷通り沿いのマンションが完成するまでは見えていた」富士山です。

そして、2013年春に、半分しか見えなくなって、2013年夏、遂に見えなくなりました。こんな歴史を教えてくれます。なんだか「本郷通りのマンション」が敵役みたいです。

あのお寺の大きな屋根の向こうに、今は見えない富士山が在るようです。

見えなくなった富士山を、現在は街灯で再現しています。

富士見坂を下ります。自転車で風を切って、気持ちいいです。

富士見坂の底、谷中の路地から振り返って見上げます。

昔と変わらない富士見坂です。

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餃子の自販機が有った!

2024年04月24日 | 散文

「だし自販機」が気になって、いくつか紹介しました。先日は「ラーメン自販機」に遭遇して紹介しましたが、追いかけようかどうしようか決心がつかないまま、なんと「餃子自販機」に遭遇しました。

しげしげと眺めます。

「浜庄」ってのが餃子のメーカーだと思います。

ええー⁉ 売り切れなんですか⁉ 「生産が間に合わない」⁉  ホントかな⁇  誰も並んで居なかったぞ⁇ 帰ったあとか?

美味しそうな女性の写真です。子供だね。「危険をブロック」しているらしいし・・?「保存料・着色料・化学調味料は使用していません。また、安全性に疑いのある原材料は使用していません。」とのことです。別に珍しい文言でもないけど。

ほう⁉「発酵の力  健康長寿」ですか⁉ 「滋味深いスープ 具に練り込んでジューシー」らしいです。

更に、「国産小麦を始め厳選素材で美味しい」らしいです。「だし」にしろ「ラーメン」にしろ、こういった新興の自販機は、小さな自販機の箱に精一杯アピールしていますね。で、売り切れなんですね?

相撲取りが買い占めたのだろうか?

伊勢ヶ濱部屋のすぐ傍です。

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「宮城野部屋」看板が無くなった。

2024年04月24日 | 散文

旧宮城野部屋です。ああ、やっぱり・・・。

玄関に向かって左に有った「宮城野部屋」の看板が無くなっています。看板を留めていた金属だけが残っているのが寂しいです。勿論、「燃えるゴミの日」に出したりはしていないと思います。捲土重来を期して、何処かに保管していると思います。ただ、ここには戻って来ないと思います。日本橋に土地を手当した矢先に事件が発覚しました。新しい部屋の場所は確保済です。

<在りし日の看板>

でも、門柱には部屋名がそのままです?こんなの簡単に外せると思うのですが・・・?

宮城野部屋を預かっている「伊勢ヶ濱部屋」です。元来相撲部屋の午後はどこも静かなんですが、なんか緊張感がある静けさなんです。

いつも2台停まっている乗用車が、あの日以来頻繁に居ません。忙しいのだと思います。

先日、ジャージ姿の伊勢ヶ濱部屋親方を部屋前で見ました。ずいぶん痩せたように見えました。

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「徳川ヴィレッジ」建築中

2024年04月23日 | 散文

「徳川ヴィレッジ」なる物が建築中でした。

ここは「徳川ドーミトリー」跡地です。

しっかりした基礎です。立派な建物ができるようです。

私、徳川ドーミトリーの解体に遭遇した時、もう女子寮に入れたい親や入りたい学生は居ないのでは? なんて言ってしまいました。

なんのなんの、ドーミトリーよりも立派な女子寮ができそうです。今度は1号館から4号館まで在ります。

需要があるんですねえ・・・!

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