荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

黒谷の棚田

2016年08月31日 | 散文
愛媛県庁の「えひめの棚田」HPには「くろだに」と記載されていますが、地元では「くろのたに」と呼んでいます。
生家から一番近い棚田です。

棚田の向こうに朝倉ダムが見えます。


この集落には、大雑把に言って3ヶ所に棚田が分布しています。






一部は畠に転換したり、耕作放棄地になったりしていますが、多くの棚田が現役で稲を作っています。






しかも、泉谷のようにボランティアに支えられているのではなく、地元の農家の手だけで耕作しています。


朝倉ダムが昭和46年に着工され、工事の為にトンネルを掘って道路を造りました。


ここは僻地と言われた私の祖母の生家より更に奥の秘境でした。


道路の開通によって、今治市の中心地まで車で30分の距離になりました。

若者が離村する事なく仕事に通えます。

黒谷集落は他の棚田集落と違って、村から先の道が在りません。
行き止まりの集落です。
隠れ里である場合生き延びる事を目標にして暮らしており、逃げる事を念頭に道を造っているようです。
今まで見てきた棚田集落は他所へ通じる道があります。
ここは踏み止まって最後まで戦う集落だったようです。

公民館の壁にある地図です。
大きく朝倉ダムが描かれていますが、冒頭の写真のとおり、集落はダムのずっと奥です。

この全ての道が、棚田や畠の先で終点になります。
他所へ通じる道はありません。

公民館の脇に急な石段があって、黒谷庵へ上がります。




ここに村の由緒書きがあります。
棚田の位置付けに関する部分を要約します。
「鎌倉幕府は全国を平定すると守護地頭を配置して各地の管理に当たらせます。
初代伊予の守護職は源頼朝の側近近江源氏佐々木三郎盛綱ですが、彼は同時に5ヶ国の守護地頭に任じられた為、伊予の運営はその被官であった長井斎藤氏に委ねられます。
長井斎藤影忠は険峻に砦を構築し、その奥地のここ黒谷盆地を兵たん補給基地としました。」
こんな歴史的背景があります。

黒谷庵の脇には大正時代迄使っていた小学校跡があります。


黒谷庵から見る集落です。


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頓田川河口/大潮の日の夕映え

2016年08月31日 | 散文
大潮日の干潮と夕方が同時に訪れるタイミングは滅多にありません。




いつもよりずっと河口から離れて、海の奥に入れます。




やっぱりこの景色が好きです。












故郷の山川海はありがたきかな。
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下津池の棚田ー2

2016年08月30日 | 散文
一番上の家の下にはきれいな棚田が続いています。


もうすぐ収穫です。


一方、こちら側はもう田んぼではありません。
畠になっていますが、作物がありません。

眼下には国道が見えます。

畠の下にコンクリート製のタンクがありました。
生活用水だと思います。

時代が下って、情報が豊富になって他所の生活を知ると、このような生活はしたくないと思考し始めます。
若者は軽労働と文化的生活に憧れます。
こんなに国道が近いと尚更です。

棚田の地域に戻ります。


田んぼが続きます(上部に偶然トンボが写っていました)。


美しい棚田ではあります。






通り過ぎるとまた、田んぼでなくなった地域に来てしまいました。

つまり、棚田は集落の中心部にしか残っていません。

こちらも荒れています。


そのまま通り過ぎると、


小さなお地蔵さんがありました。


お参りして、お地蔵さんの裏から見上げます。

棚田を維持するのは大変のようです。
農村そのものを維持する事自体大変です。
ここや千町のように目に見える所に道路ができると、若者は流出します。
そして、こんなしんどい所には、二度と戻って来ません。
今、多くの棚田はボランティア活動に支えられて維持できています。
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下津池の棚田ー1

2016年08月30日 | 散文
千町の棚田を出て、更に山奥に向かって走ります。


道路脇の看板です。
高知が近いです。


トンネルを抜けます。


正面右手の丘に神社があります。
神社手前の道は笹ケ峰への登山道です。

後で、左に上がる小さな道を行きます。

先ず、神社の境内から棚田を観ます。


先程の小路を上がって行きます。


お墓だと思います。


少ない水を大切に扱っています。


棚田が見えて来ました。


更にこの石段を上がって行きます。


あの民家に至る道です。

猪避けの扉でしょうか?
夜には閉鎖するのでしょう。

更に上がって行きます。


たんぼの中にもお墓があります。

狭い土地の極限まで米を作る想いが伝わります。

一番上の家の前から集落を望みます。


農道を歩きます。


全ての棚田が生きている訳ではありません。


畠に転換したものの、作物を作っていません。


ここでも棚田及び村の維持が困難になっています。


ここにもお墓がありますが、荒れています。

この一族は離村したのでしょうか?

次回に続きます。
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千町(せんぢょう)の棚田ー2

2016年08月29日 | 散文
棚田を観ますが随分荒れています。

ここの景色を見ると、泉谷の棚田(「日本の棚田100選」に選ばれています)は良く手入れされている事が分かります。

耕作放棄地でしょうか、雑草が繁っています。




もうたんぼではありません。


この辺りは、復興碑があったくらいなので、昔の放棄地のようです。
杉林になっています。


そんな中、棚田を探します。


この辺りだけきれいな棚田が残っています。








かつては千枚田と言われたここ千町の棚田ですが、その多くはたんぼでは無くなっています。
この辺りのように、たんぼから畠に転換した場所も多くあります。

そして、前出のような多くの耕作放棄地が・・・。

いずれ近いうちに、棚田が無くなってしまう地区だと思います。

棚田越しに、やって来た国道を望みます。
やがて、全てが山野に戻る雰囲気です。
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道端で去り行く夏

2016年08月29日 | 散文
名残のピーマンです。
朱と緑の鮮やかさに惹かれて撮りました。

この配色って、神社の杜と鳥居ですよね。
赤くなったピーマンは甘いそうです。
老幼なじみが教えてくれました。
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千町(せんぢょう)の棚田ー1

2016年08月29日 | 散文
「愛媛県庁/えひめの棚田」HPでは「せんじょう」と記載していますが、その漢字から「せんぢょう」だと思います。

加茂川を遡って高知へ抜ける道を走っています。

大昔、川は山塊を穿って、その岸に人々は古道を成しました。
その道をベースに造った国道だと思います。

目的地は多分あの山懐です。


村の入口にいきなり「復興」碑がありました。

一度は廃村になった村かも知れません。

この村は来歴がはっきりしています。
戦国時代に土佐から山を越えて土着した伊藤氏が拓いた村です。
数えきれない程の段々式水田があって、「東予の千枚田」として知られています。
「えひめの棚田」HPより。

この伊藤氏以外にも、道の途中に、開拓・復興に尽力した人々と思われる表彰碑があります。
皆で復興した村のようです。

つづら折りの坂を上がって行きます。


自然石を砕いて積み上げています。




気の遠くなるような年月を費やした作業です。


棚田がありました。


一気に上まで行ってみます。
思っていたよりも人が住んでいて、途中何度か車とすれ違いました。
一番上の集落の入口です。

この道の左手に伊藤家のお墓があったので、開拓者の子孫の集落だと思います。
水の管理上、棚田は上に在るほど有利です。
力のある者が上の棚田を所有したと思います。

思っていた以上に廃屋が点在しています。




ここから先は車では行けません。

引き返しながらHPに言う「数えきれない程の」棚田を観ます。

次回に続きます。



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画像フォルダが満杯

2016年08月28日 | 散文
またフォルダが満杯になってしまいました。
でも今度は慌てません。有料化を決断しました。
gooの案内を良く読むと当初の1ヶ月は無料との事ですが、その期間は「1ヶ月間」ではなくて、登録した日の月末迄です。
このタイミングでは無料期間の残りが少な過ぎです。
9月初めまで我慢します(セコいでしょう?)。
既に登録していた写真の活用と、残してもしょうがない「今日の、昨日の、昼食、夕食」等を削除して凌いでいます。

さて、私が死んだ時の有料の解約を初め記事の処分を誰かに頼んでおく必要があります。
そろそろ遺言状の準備ですかね。
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棚田で想う。

2016年08月28日 | 散文
水平360度、上下約45度棚田の中に居ます。
四国に多くある落人伝説を想います。

何らかの理由があって山中深く逃れて来た人々は、外部との接触を絶ち隠れ住みます。


食用になる獣も少ない土地です。
生きていく為家族を養う為には農耕が必要です。
稲作に不適な土地に先ず水を引きます。

何処から引いたのでしょう?
雨水を溜める池が必要です。

やっと引いた水をせき止めます。


せき止めた土地の土を小さく砕いて稲作に適した泥に変えます。


小さな田が出来ると、それを潤した水を一つも漏らす事の無いように誘導して、また田を造ります。


それを延々と毎日毎日繰り返します。数世代を経て繰り返します。


人里から隠れた暮らしです。


手伝いなんかありません。


一緒に逃れて来た一族だけでの作業です。


病気になっても怪我をしても医者は居ません。

多くの大人が早く死んだと思います。

栄養状態も悪いだろうし、不作・凶作もあります。


乳幼児の死亡率も高かったと思います。


他人に感づかれずに棚田を造るには土地に限界があります。


おのずと人口が制限されます。


子供の間引きや姨捨の風習があったかも知れません。


結婚できない若者が居たでしょう。


望まない結婚をした娘も居たでしょう。


近親結婚の弊害もあったと思います。


どうして、そんな暮らしを続けたのでしょう?


己の業を子孫に残し、同じ苦しみを伝えて良いものかとの葛藤も生じたでしょう。


一方で、いつかの代に晴れて隠れ里を出る時が来ると思っていたのでしょう。



源平或いは戦国時代から暦が折り重なって誰もこのような里の人を敵視しなくなった頃、開けた人里に下りる機会が巡って来ます。


新たな土地を入手する為にはお金が必要ですが、彼らは外部との交流を絶って、貨幣と縁遠い暮らしをして来ました。


もともと貨幣と交換できる程の収穫はありません。


繰り返し繰り返し続けられた暮らしをまた繰り返すしかありません。


代を経る人々はまた次の代に託します。

語り伝えられた先祖の意思は昔物語りになります。

伝承されるうちに、やがて伝説となります。

落人伝説として今に伝承されます。

上下左右棚田に包まれた谷でそんな事を想います。

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登泉堂へかき氷を食べに行く。

2016年08月27日 | 散文
今治に美味しいと評判のかき氷屋さんがあるそうです。
家に居ても冷房病になりそうなので妹とやって来ました。


猛暑日の午後なのに、炎天下にこの行列です。




この時期は評判の氷イチゴがありません。
6月末で終了です。それでもこの人出です。

イチゴの次に人気の「いよかんミルク」を食べました。
期待どおりの味です。
行列も納得です。

暑い中並んで待つ人の為に、日傘を置いています。

この心遣いがありがたい。

東京でかき氷と言えば谷中の「ひみつ堂」です。

「ひみつ堂」と比べて味に遜色ありません。
違うのは、カップルや若い女性連れが圧倒的に多いひみつ堂と、椅子の上に胡坐をかいて氷水をすすっているお爺さんを初めとする中高年の男女が多い事ぐらいですかね。

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晩夏の泉谷棚田ー2

2016年08月27日 | 散文
棚田を散策しています。

これは、朱色の花ですが、彼岸花のように見えます。


畦道にも咲いています。


この農道を行きます。


ゆっくりと歩きます。


初秋の雰囲気です。


谷を降りて行きます。






・・・360度棚田です。








四国には各地に落人伝説があります。
ここがそうだかは分かりませんが、彼らの歴史に想いを馳せます。

次回に続きます。
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晩夏の泉谷棚田ー1

2016年08月26日 | 散文
久し振りに来ました。

息を呑む景色です。

内子から近い泉谷棚田です。


稲がやや黄色っぽいです。


そろそろ実りの季節でしょうか?


水車小屋も静かに佇んでいます。


やっとここまで育ちました。




稲作に不向きな場所に住んで、途切れそうな命と技術を綿々と繋いできた棚田です。


今日は少し歩いてみます。


畦道には案山子が居ます。


数軒の子孫が守ってきました。

たんぼの1枚1枚が小判に見えます。

家の上にも棚田があります。

大切な大切なたんぼの一つ一つです。

移動するに従って里の表情が変わって行きます。










もう栗が膨らんでいます。

平野より季節の巡りが早いようです。

次回に続きます。
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内子で蕎麦を食べる。

2016年08月25日 | 散文
お腹が空いたら今日の目的を思い出しました。
ここへ入ります。


大きな店です。




たまたま蕎麦屋さんがありました。
そうなのです。高速に乗って蕎麦を食べに来たのです。

座敷主体ですが、10数人が座れる大きなテーブル席もあります。

いつものように盛りそばを大盛りにしました。
美味しいです!
四国では美味しい蕎麦を期待していませんでしたが、嬉しい期待外れです。

ただ、ちょっと量が少ないです。

2階もあるようです。
トイレは庭の奥にあります。

老舗のようです。
また来たい店です。




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内子座

2016年08月25日 | 散文
内子座への道です。


イベントの準備中です。

そういえば観光ガイドの人が、翌日から文楽が始まると言っていました。

道路の左手が内子座です。


長い修繕期間を経てやっと再開したそうです。
歴史ある建造物を眺めます。




正面から見上げます。




真新しい幟が色鮮やかに翌日の開演を待っています。


振り返ります。


今日は翌日の準備の為に、中は見学できません。


雰囲気は十分伝わります。




名残惜しく振り返ります。

猛暑日の風景です。

この後、今日の目的地へ行きます。
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内子を歩くー3

2016年08月24日 | 散文
散策が続きます。
こうやって見ると、随分急坂の街です。


覗いてみます。


家の中に観光ガイドが居ました。

「暑いから人が居ないのでしょうねえ」なんて話しかけました。
「お盆の間は多かったけど随分観光客が減ったね。ここ以外にも歴史保存地区が整備されたしね」
「内子座が人気があるじゃないですか」
「急に手ぶらで来ても観られないしね。予約してからじゃないとね」
「えっ、東京の人!? 今日は東京の人が多いね」
・・・暫く話が続きます。
とうとう家の外に出て案内して頂きました。

さて、和蝋燭の店です。


前回訪問時は老人が座っていましたが、今日は若者が居ました。


店主は7代目とのこと。


この路地が気になります。


入って行きます。


この先のブロック塀の右に山本家がありました。

公道なのですね。

この後内子座へ向かいます。
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