荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

新橋駅前

2014年12月27日 | 散文
膝を痛めてから1ヶ月が過ぎた。
土日以外は殆ど毎日病院へ通っている。
たまたま飛び込んだ整形外科は新橋駅前にあるので、仕事帰りの夕方に行く事が多い(呑み会の日は昼休みに行く)。

新橋は別名「サラリーマンの街」である。
病院の周辺は、夜になると急に賑やかな呑み屋街になる。


呑み屋街の中に烏森神社があるが、何故か正面の通路が閉鎖されている。

多くの人はこの正面の道ではなく、呑み屋の路地から横に神殿前の鳥居の前に出る。


いつも多くの人がお参りしている。
この近辺の関係者が多いのだろうが、それ以外にも、お賽銭箱まで行かないで、あるいは鳥居を潜ることもなく、前面の路地をちょっと立ち止まって、正面に向き直って手を合わせて、おじきして行く人が多くいる。
通行人のざっと、3割くらいの人がそうしている。
信仰心が無い私にとっては、ちょっと意外である。

そして、その私が思うに、彼らは信心しているのでなく、日本人の道徳というか作法として行っているのではなかろうか?
つまり、鳥居の前を通る時には神殿に向かって挨拶しなければならないという。
わが身を振り返って、只々反省しきりである。


治療を終えると、外はすっかり暗くなっている。
駅前のSL広場は待ち合わせの名所であるが、圧倒的にオヤジが多い。
いや、オヤジだらけである。

イルミネーションが似合わない。


そんな中で、ある日の一枚に心が温まる。
表情はよく見えないのに、やっと会えた喜びがこちらにも伝わって来る。
良かったね!と素直に思う。

お幸せに・・・。

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鏡の海

2014年12月20日 | 散文
時々四国へ行く。
膝が痛くても仕事は待ってくれない。
四国へは飛行機で行く。

爆弾低気圧の影響で、九州までも含んで、各地で大雪が降っている。
自宅マンションの池にも氷が張った。
空のダイヤも乱れていると、昨夜のTVニュースで言っていた。

今日はいつもより早く自宅を出る用心深さである。
膝が痛い事もあるし。

飛行機に乗って見ると、全くの晴天である。

荒川が見える。
海が随分静かである。
静かを通り越して、真っ平らだ。
瀬戸内海みたい。


アクアラインの海ほたるがきれいに見える。

周辺の海に日が当たっている。
波が無いので船の軌跡もきれいに見える。


光輝く海の中に江の島が見える。
暫く行っていないなあ・・・。

向こうに三浦半島が見える。
城ケ島にも暫く行っていないなあ・・・。


西に向かうに連れて雲が増えてくる。
それでも雲間の日差しは、ずっと海を照らし出している。
モコモコの雲の向こうに海が色付いて光っている。

それにしても、それぞれが独立して綿あめ状になった雲が、こんなに沢山あるのは珍しい。
初めて見るかも。


いつものように暫く眠って目が覚めると、随分西に移動していた。

瀬戸大橋だと思う。
だったら向こうが四国である。


相変らず海は鏡状態である。
そして相変らず雲が多い。
鏡の海に雲の影が映っている。

パッと見、島と雲の影の区別が付かない。


しまなみ海道の橋が海面に映っている。

周囲には雲影が映り込んで幻想的な光景となっている。


しまなみ海道が四国に上陸した。

造船所が見える。
我がふるさとの街だ。


半島の先端(右端)のC字の浜で、夏の日に家族と、友人と、泳いで、釣りをして、スイカ割りをした。

C字の中央に小さな島があって、途中神社がある山道を暫く走らないとたどり着けない、隠れ里的な風光明媚な場所である。


島影と雲影の先、光る海の奥に、富士山の様な島が見える。

見飽きる事の無い幻想的な景色を堪能して、さあ、仕事する?
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杉山八郎先生

2014年12月13日 | 散文
昨日忘年会から帰宅すると、喪中報告が届いていた。
「今年は多いな・・・」と手に取ると、八郎先生の死去を知らせる葉書だった・・・。
それは12月2日に亡くなった事を告げていた。
秋の日、神田での展覧会開催の1週間前に、根津を散歩されていた先生に偶々お逢いして、立ち話をしたのが最後になってしまった。

10数年前偶然この画集に出逢ってから、先生が絵に描いた対象物を見たくて、ママチャリで現場を探しに行ったのが街歩きの始まりであった。


今はない本郷館を知り、取り壊しから再建までを見続けた。



佃島の佃煮屋さんを知った。

あれ以来、故郷へのお使い物はいつもここ田中屋である。


とうとう厚かましくもご自宅を訪ねて行って、お茶をご馳走になったり、大きな梨をお土産に頂戴したりした。



そして、10数年経った今でも、ほぼ毎週本郷・谷根千・池之端を初めとした「東京」をブラブラしている。



街歩きの楽しさをお教え頂いて以来、歴史に興味を持つようになり、随分趣味の幅が広がった。

全く先生のお蔭である。


「よし房凛」のおかみさんに話を聞かせて貰った。
「お亡くなりになる前日に奥様がお一人でお見えになって・・・。いつもお二人で来られるので『先生はお留守ですか』と聞いたら、具合がお悪いとおっしゃっていた次の日でしょう。びっくりしちゃって・・・」

先生の家へ行ってみた。
先生は今年の初夏に引っ越しているが、私には以前の家が先生の家だとの思いが強い。
先生が住んでいた家は取り壊されて、跡地には計画通り鉄筋コンクリートマンションが建設中である。
職人が忙しそうに働いている。
当たり前だけど、先生が亡くなっても普段と変わらない街の営みである。


写真は画集の表紙に描かれている根津の「はん亭」である。

先生の数ある作品の中で一番好きな絵だ。
実物に忠実に描いた傑作である。
実は、何度かご自宅にお伺いして、やっと譲って頂いたこの絵が我が家にある。
代表作をお譲り下さったと思っている。


私の趣味の幅を広げて下さった先生に感謝致します。
そしてご冥福をお祈りします。
天国でも素敵な絵を描いてください。



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瀬戸の夕焼け

2014年12月06日 | 散文
時々四国へ行く。
膝が痛くても仕事は待ってくれない。

田舎の交通事情は悪化する一方で、目的地へ行く電車(ホントはディーゼル車)は1時間に1本しか走らない。
空港から直通の路線バスはすでに廃線になっているのでリムジンバスで移動する。
このバスは事前に予約しておかないと運行しない。
そんな移動中のバスから見た風景である。

急に景色が黄色くなってきた。
日没が近い。
バスが海岸沿いの道路に出た。
夕日が海に沈んで行く。


風景が段々赤みを増して来た。
瀬戸内海は波の小さな真っ平らな水面である。

静かな海の静かな日の入りである。


誰も居ない海はちょっと寂しいと思っていたら、カップルが居た。
ロマンチックだね。

平日の5時過ぎである。
勤め人が来られる時間ではない。
近隣のみかん農家か?
漁師か?
いいなあ。


ホテルに着いたらバリイさんとクリスマスツリーがお出迎えしてくれた。
さあ、温泉で温ったまろう。
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