荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

真夏日の立石仲見世商店街

2023年06月30日 | 散文

真夏日です。立石仲見世商店街にやって来ました。見事にシャッターが下りている商店街には誰も居ません。涼しいです。この涼しさは、寂寥感から来るのでしょうか?通じるものがあるように思います。

 

ここは子供食堂です。帰郷していたので1ヶ月ぶりの訪問です。子供食堂が在って安心しました。周囲の状況から存続が心配になります。

 

28日の訪問です。「どんと市」が30日にあるようです。例年はアーケードに飾り付けが有ったけど、昨年は無くなりました。それでも抽選会場を設営していて、寂しいながらもバーゲンセールの雰囲気がありました。今年はまだ設営されていません。

 

大半の店がシャッターを下ろしているこの商店街は、時々店舗の交替があります。ここはシューズチェーンだったのが、シューズも洗えるコインランドリーになっています。

 

この時間営業しているのは、老人向けの衣料品店とお惣菜屋です。

 

 

缶酎ハイの看板はもつ屋の絵です。

 

この店です。行列ができる人気店です。まだ開店前です。

 

裏に回りました。手前に、立ち食いの寿司屋の行列があります。奥には先程のもつ屋の客が、もう屯っています。

変わりない光景ではありますが、、、

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真夏日の浅草風景

2023年06月30日 | 散文

真夏日の浅草神社です。

 

涼し気な「夏詣」の看板です。

 

説明を読みます。なるほど!

 

お参りします。そこで立ち止まってスマホを見ないでください。待つ間暑いです。

 

作法に従って茅の輪を潜ります。

 

手水舎が涼しげです。

 

今年の夏もがんばろう!

 

藤棚のミストシャワーに集まります。

 

宝蔵門前は外国人ばっかりです。

 

 

 

かっぱ橋商店街です。七夕飾りを設営中です。

 

4年ぶりの夏祭りです。

コロナ9波を気にしながら...。

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国分寺にて、

2023年06月29日 | 散文

国分寺の石段を上がります。

 

鐘楼脇に石柱が有ります。

 

脇屋義助廟への道しるべです。

 

横から見ます。これから推察するに、脇屋義助には現在に至る子孫が居るようです。

 

弘法大師握手像です。私は握手する資格がありません。修行なんて縁遠い生活です。

 

国分寺にお参りします。小学1年生の遠足の場所ですが、その時の記憶は殆どありません。

 

隣に神社が有ります。

 

余談:他の場所に在った福島正則を祀った神社を合祀しているそうです。

 

脇屋義助廟の方向を見ます。

 

脇屋義助はここで病死しました。正面遠くに横たわるのは、彼が赴任予定だった、世田城が在った世田山・笠松山連山です。

南朝方には無念の景色です。

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国分寺塔跡

2023年06月29日 | 散文

脇屋義助廟から国分寺へ行く途中です。脇屋廟からすぐの場所です。

 

「史跡伊予国分寺塔跡」です。

 

当時の内務省の管理物件です。今では文科省だと思います。

 

大きな石がゴロゴロしています。

 

 

説明板です。

 

柱を立てた凸状の突起が分かります。

 

 

人によっては国分寺よりこちらに興味があると思います。私みたいに。

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脇屋義助公の廟

2023年06月28日 | 散文

故郷にこんな偉い人の墓が有るのを知ったのはホンの10年くらい前です。

 

道案内はほとんどかすれています。

 

脇屋義助公の廟です。

 

由来書が有ります。風化して見づらいのでざっと転記します。「南北朝時代、楠正成、新田義貞(元征夷大将軍)らの連合軍を破った足利軍は戦勝の余勢をかって京都に攻め入った。足利尊氏は持明院統の北明天皇を皇位につけて政権の合法性をはかり、後醍醐天皇を幽閉して北朝中心の体制を固めた。密かに脱出した後醍醐天皇は、大和吉野に吉野朝廷を開いた。そして足利尊氏追悼の綸旨を諸国の武将に発した。ここに南朝と北朝の両皇統が並び立ち、諸国の武士は南北の二派に分かれて熾烈な抗争を各地で展開した。しかし戦況は南朝方に不利に展開、新田義貞、北畠顕家などの有力な武将が相次いで討ち死にし、後醍醐天皇も崩御した為、南朝方の勢力は急速に衰えていった。

そこで後村上天皇は失った戦力を四国で回復すべく、新田義貞の弟脇屋義助を南軍の総大将として伊予にくだした。今張(今の今治)の浦に上陸した脇屋義助はしかし、上陸直後に病に斃れ、国分寺に急逝した。享年38歳。これを好機とみた阿波の守護細川頼春は総勢7千の大群を率いて、南朝方が最後の砦とたのむ世田・笠松城を七方から攻めた。ついに世田城は落ち、大館氏明(脇屋義助の甥)らは山中で自刃した。ここに雌雄は決した。」太平記に詳しく書かれています。

 

隣に石柱が有って、貝原益軒の賛文が刻まれています。

 

廟堂の真裏が脇屋義助の墓所です。

 

そしてその奥に一群の墓が有ります。脇屋義助同様、敗者の墓所です。

 

福島正則が唐子山に建てた城を引き継いだ城主、小川裕忠夫妻と、

 

家来の墓です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付いて破れました。勝利した徳川家康から伊予半国20万3千石の所領を与えられた藤堂高虎は、国分城を壊して石垣等を運んで現在の今治城を建築しました。

 

帰り際、脇屋義助廟と孝子七造の石碑の間に、こんな石柱が有りました。...読めません。達筆なのは結構ですが、楷書にしないと残したい事柄が後世に伝わりません。

 

脇屋義助廟から緑の杜が見えます。あそこが脇屋義助が病死した国分寺です。

事の成り行き上行きます。近くなので。

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吉野朝忠臣脇屋義助公廟への道

2023年06月28日 | 散文

今治藩主の墓を出たらこんな石柱が有ります。南朝に味方した脇屋義助の廟所と国分寺へ、山道を抜けて行く道です。

 

右の山の頂上に今治藩主の墓がある古道です。

 

急な山道です。途中で自転車を押して歩きます。前回迄は自転車で登り切ったのですが、、、

 

山道を上がった所に道しるべが有ります。右から上がって来て、左に行きます。

 

下り坂の途中、溜池の土手に道しるべが有ります。

 

子供の頃から行き慣れた道です。土手上の道です。当時は道しるべが有りませんでした。

 

目的地の傍です。背景の墓地が目的地なのですが、ちょっと止まります。「孝子七造生誕地」の石碑です。

 

裏面にプロフィールが記載されています。「阿部七造翁文政12年7月17日此の生る。安政3年より明治末期迄加藤庄屋に勤め忠実親に孝養なす。安政6年今治藩主松平定法公より孝子として金一封を賜る。安政3年和同開珎百余枚発掘す。大正11年7月13日95歳にて逝く。屋敷跡を保存し、永く翁の精神賞揚せんと此処に記念碑を建立す。  国分寺第52世 光等 敬白  昭和37年9月吉日」...その屋敷跡を知りません。無くなったと思います。

我が家に有った「桜井の史跡と歴史」なる薄っぺらい作者不明の冊子に記載されていて、初めてその存在を知りました。

詳細はこちら。

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今治藩主の墓で、

2023年06月27日 | 散文

右にある4代目の墓からお参りします。墓石の形は3基とも同じです。霊巌寺にある2代目の墓石ともよく似ています。

 

4代目の墓所から初代と3代目の墓を見ます。

 

 

3代目の墓です。

 

斜め後ろの山は唐子山です。ここに福島正則が城を築き、藤堂高虎が今の場所に今治城を造りました。その後明治まで、久松家の所領でした。

 

3代目の墓所から初代の墓を見ます。

 

初代の墓所です。ちょうど今、大河ドラマで「どうする家康」を放映しています。この久松家は、徳川家康の母於大が久松長家と結婚したことから始まる家系です。久松長家と於大の3男の2男です。長男は伊予松山藩主になりました。於大と長家の孫、家康の異父弟の子供、甥にあたります。

 

 

 

帰郷したら行きたかった場所の一つでした。乾いていない日陰に気をつけて、滑らないように下ります。

 

自転車の場所まで戻りました。

ママチャリの新品が買えるくらいの配送料を出して、東京から送った自転車が役に立っています。けっこう放置しているのに錆が出ていません。品質が良いです。

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今治藩主の墓へ行く。

2023年06月27日 | 散文

旧国道沿線に案内板が有ります。

 

 

紫陽花の季節です。

 

石段の参拝路を行きます。結構急坂です。雨ばっかりの晴れ間なので滑り易いです。

 

緑が濃い坂道です。

 

頂上が見えて来ました。

 

山頂の墓所です。

 

説明板を読みます。

 

周囲の枝が払われて、昔から有った展望所からの見晴らしが良くなりました。

 

瀬戸内海国立公園の海です。青松の林は唐子浜です。

 

さて、お参りします。中央に、久松家初代今治藩主久松定房が鎮座しています。左に3代右に4代の墓が有ります。2代は江戸城の城代家老を務めて、深川の霊巌寺に眠っています。5代以降は全て霊巌寺に葬られています。歴代「定」の付いた名前を持っており、現15代もそうらしいです。

この話、続きます。

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瀬戸内海国立公園 青松のサイクリングコース

2023年06月26日 | 散文

帰郷時の写真が沢山残っています。振り返り記事を掲載します。結構永くなりそうです。

瀬戸内海国立公園のサイクリングコースです。青松の間を走ります。

 

左に唐子山です。

 

海岸に茂る松林です。

 

 

 

煉瓦の建物が在ります。

 

もう文字が読めません。

 

ここは「唐子浜海の子の家」です。十数年前に、海の難所であった来島海峡に置かれた灯台守の官舎を移築したものです。

 

海に有るのがその「赤灯台」です。お互いに役目を終えてここに移築されました。背景は「しまなみ海道」を形成する島々です。

 

正面に浮かぶのは「比企島」です。背後の島々は知りません。多島海なので島が多過ぎます。子供には覚えられませんでした。

 

右手の島は「兵市島」です。小学生の頃同級生の親戚が住んでいましたが、もう60年くらい前から無人島です。

 

正面から眺めます。好い風情です。

 

南側のコンクリートは桜井漁港の岸壁です。

梅雨の晴れ間の瀬戸内海国立公園です。

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変わり続ける東京の街

2023年06月26日 | 散文

あれはなんだろう?飯倉の坂です。曲線で構成したビルが在りました。コロナ禍でも東京の街は変わり続けていました。背後の超高層ビルは、外部が完成したばかりです。奥にもう1棟建設中です。

 

この曲線で構成されたビルは初めて見ます。私がコロナ禍で行動範囲が縮小していた間に造られたのでしょう。

 

面白いです。楽しい設計です。

 

坂を下って行きながら見ます。

 

 

横断歩道と結ばれたビルも同じ設計に見えます。

 

ツインビルです。

 

美しい曲線です。

 

 

 

 

こちらもそうみたいです。

 

同じ造るなら、楽しいデザインが好いです。

 

やっぱり東京って、いつ行っても変わらない下町や、こういった変わり続ける都心が在って、住んでいて楽しいです。

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貴生堂の存在感

2023年06月25日 | 散文

姿の好いビルに遭遇しました。とても好みです。「資生堂」の古いビルかと思いました。

 

資生堂じゃなくて、よく見たら「貴生堂」です。

 

とてもお洒落です。何の商売でしょうか?

 

向こうに昭和通りの上を走る首都高速上野線が見えます。人気のない真夏日の午後です。

netで調べたら、眼鏡・貴金属店のようです。netは便利ですね。

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木密エリア不燃化促進事業

2023年06月25日 | 散文

いつの間にか更地になっていました。スカイツリーが見通せます。

 

いつもの事ですが、ここに何が建っていたのか全く思い出せません。よほどの特徴でも無いと、ただの景色としてしか捉えていないものなんですね。

 

この界隈は「木密地域」です。木造住宅が多く、おまけに密集しているので、狭い道路に消防車や救急車が入って行けません。予想されている首都直下型地震の際には、大きな被害が予想されています。

都は、数軒の土地に集合住宅を造って住み、住民+アルファの部屋を賃貸にして建設費を捻出するとともに住民の収入源とする。そして公園や駐車場等の火除け地を設けて延焼を防ぐとともに、道幅を広げて緊急車輌の通行を可能にする事業を提案しています。しかし、後継者の居ない老人はこのままで良いと考えるし、また土地の相続が行われていなくて地権者が複雑で纏められないなどが実情のようです。計画はしたものの、改善工事が進まないまま10年くらい経過しています。

 

どうやら1歩進んで、UR都市機構が土地の買い取りに乗り出したようです。私が立っている場所は、看板の青い部分の上方を斜めに走る四ツ目通りと、青い部分の右側を走る明治通りの交差点です。

 

青い部分の下方に、「キラキラ橘商店街」も含まれています。

 

更地の隣の建物です。当然対象地区です。

 

この界隈は銭湯を利用する住民が多いです。

 

木密度が高い地区です。

 

軒を接して暮らしています。

私の好きな界隈で残しておいて欲しい風景ですが、私の思いはしょせん第三者の利己主義に過ぎません。最近は各地で頻繁に地震が発生しています。一刻も早い対策が必要です。地震は待ってくれません。

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天徳寺の板碑

2023年06月24日 | 散文

病院の帰りです。

 

ここには「板碑」が有ります。

 

境内に菩薩像が立っています。

 

その側です。木漏れ日の下に立っています。陽射しが反射して文字が見にくいです。

 

石の塔婆です。「板碑」というだけあって、この薄さです。躓いたら割れそう、折れそうです。

 

お参りを終えて門前から見上げます。虎ノ門ヒルズと関連の超高層ビルです。

 

お寺の正面にそびえる高層マンションです。

 

虎ノ門アパートの並びです。

ビルの谷間の街です。

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愛宕神社裏参道

2023年06月24日 | 散文

森ビルの超高層ビルが3棟そそり立っています。山より高いビルです。

 

愛宕神社です。

 

若い女性の参拝者が多いです。

 

こちら側にも超高層マンションがそびえています。

 

裏参道を帰ります。

 

階段です。昔は山肌に参道がへばりついていたのだと思います。

 

夏日なのに涼しい木陰の参道です。

 

隣の住宅が近いです。

 

お寺の屋根が見えます。解体新書を書いた杉田玄白の墓が有ります。

 

愛宕山トンネルが見えて来ました。

 

都心に在るトンネルです。愛宕山を貫きます。

 

裏参道から見上げる超高層マンションです。

 

振り返ります。

 

トンネル脇の案内板です。

 

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虎ノ門のアパートが消失していた。

2023年06月23日 | 散文

神谷町駅から徒歩で病院へ向かいます。路地の正面は虎ノ門ヒルズと、最近完成した森ビルの超高層ビルです。年に1度の検査の結果を訊きに行きます。

 

ここです。

 

このアングルで一番多く眺めたと思います。

 

周囲の高層ビルの谷間の路地です。この一角だけが低層住宅街です。

 

ここに素敵なアパートが在りました。昨年来た時に解体工事の準備をしていました。その時から覚悟していました。今は駐車場ですが、やがてビルが建つと思います。周囲を見れば仕方ないなあと思います。

小さな土地なので、以前のようなアパートが建てば良いのにな、と思っています。

在りし日のアパートです。

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