秋葉神社を訪ねてやって来ました。もう30年くらい前、東京に越してきて暫くして、ママチャリで散策を始めた頃に偶然行き当たりました。その時からずっと気になっていました。
もう一度行きたい、と思っても、方向音痴の私は再訪できません。確か5年位前の桜が咲く頃、偶々遭遇したのが2度目です。今日は目的地としてやって来ました。今は便利になったものです。スマホのナビに導かれてやって来ました。
秋葉神社は秋葉原語源の社です。火の神様でもあります。これくらいの知識しか持ち合わせていません。
社務所で貰った由緒書が手元に有ります。この写真は節分の光景のようです。
「明治二年、神田相生町(現代の秋葉原駅近く)より出火した火災は近隣八ケ町にもおよぶ大火災になったという。それ以前にも火災は度々起きており、この大火を機に東京府において対策が進められることになり、先例にならい一帯に『火除地』を設けた。
さらにその中央には『火防の御宮』が建てられ、明治三年十月十五日東京府知事が斎主となって鎮座祭が執り行われた。これが現在の秋葉神社(当時は鎮火社)の御創建である。明治六年八月には旧社格制度のうち郷社に列格。以来東京一円の火災鎮護の祈祷所として広く崇敬を集める。 (余談:創建の10月15日は跡取り孫の誕生日です。この話を教えてやりましょう。)
神社が『秋葉さま』と親しまれたことから、この地は『秋葉の原』『秋葉っ原』等と呼ばれるようになっていたが、鉄道延線及び駅設置計画のため、明治ニ十一年に神社は現在地に遷座。そして元の鎮座地に建てられた駅には『秋葉原』の名が残された。つまり元々当社は現在の秋葉原駅のある地に鎮座されていたものであり、『秋葉原』の名前の起源となったのである。」
なるほど、地元都民は今でも「秋葉原」を「アキバ」と呼びます。
お参りします。
社紋に注目します。今日は決心してやって来ました。
お守りを求めて、宮司に尋ねます。年をとると、己のルーツが知りたくなります。「我が家の家紋がここ秋葉神社の社紋と同じなんです。故郷でも一族だけの家紋で、中年になった頃に見た幕末時代劇で、勝海舟の家紋だったことに驚いたくらい珍しい家紋です。30年くらい前にここで出遭って以来、ずっと気になっていました。18歳で家を出たので、我が家の歴史を知りません。どういう謂れの社紋でしょうか、教えて下さい」
宮司が言うには、「確かに珍しい『丸に剣花菱』です。父の跡を継いで神職に就きましたが、我が家の家紋とは違います。社紋は母方の家紋を用いたもので、詳しいことは分かりません」・・・呆気なく終わりました。
でも、更にこんな縁もあります。やはり30年くらい前、「秋葉神社の社紋が我が家の家紋と一緒だった」と、常滑の製陶会社の役員だった岳父に話したことがあります。彼は驚いて、「秋葉神社は火の神様で、毎年鎮火祭にお参りしていた。不思議な縁だねえ」とのことでした。
再びパンフレットです。岳父はこの祭りに参列していたんですね。
東参道から退出します。
次の鎮火祭には行ってみようと思っています。できれば跡取り孫に見せてやりたいです。