荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「ジョイフル三の輪商店街」を往くー2

2017年03月31日 | 散文
前回からの続きです。

商店街を三ノ輪駅に向かって行きます。


閉店した魚屋の前に、隣の八百屋が商品を展示しています。


このパン屋は前回訪問時にも閉まっていました。
定休日かと思っていましたが、この雰囲気は「閉店」のようです。

もし、今日も定休日だったらすみません。

レトロ感ある風情が人気で、よく散策情報に紹介されていた店です。
(以前の写真)


更に進みますが、何となく元気が無いように見えます。






ここにも「就寝禁止」が出ています。

夜間にホームレスが寝入る商店街になってしまったのでしょうか?

ここは商店を解体して民家が建っています。

玄関の上にアーケードがある家です。

三ノ輪駅に来ました。




天候のせいではなく、寂しく三ノ輪を後にします。




商店街の一番暇な時間で人出が少ないのは予想していましたが、こんなに多くの店が閉店していたのは驚きです。
この街、たぶん大丈夫じゃないです。



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まだ染井吉野が咲かない。

2017年03月31日 | 散文
早々と開花宣言したのに、東京の桜が咲きません。
上野公園に来ています。
早咲きの「コマツオトメ」の原木の写真を撮っている外国からの観光客ですが、彼らは誰も知らない、日本人も殆ど知らないのがまだ咲いていない右隣の桜の木です。
これが大事!
日本の代表的桜ソメイヨシノの原木なのです。


そうだ、あそこに行ってみよう!
やって来ました。
ほら、咲いています!


駒込染井銀座商店街です。


鋭い人はもうお分かりですね。


ここがソメイヨシノ発祥の地なのです。


それにしては、ちょっと寂しい。



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六義園のしだれ桜は3分咲き

2017年03月30日 | 散文
六義園前です。

昨日と変わっていません。
今日は今年一番の暖かさなので期待したのですが・・・。

来週は帰省するので、今日でないと今年の六義園しだれ桜を見る事ができません。
入ってみましたが、ホントに3分咲きです。


去年は3月27日に満開になったのに・・・。
(去年の写真)


いつものように園内を散策します。
いつも見上げるこぶしの木です。




やっぱり花は青空が似合います。


おもしろい花ですが、名前を知りません。
相変わらず植物に疎いです。


池の対岸から見るこぶしの木です。


紅葉亭周辺です。




陽気と光はすっかり初夏のものです。






ちょっと間があって、


一列で渡ります。


茶屋です。


店前の看板です。


看板の裏側です。


ぐるっと園内を1周しました。
3分咲きのしだれ桜に戻って来ました。


今年の六義園しだれ桜の見納めです。


来年は満開が見たい!
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新中川の新金貨物線鉄橋

2017年03月30日 | 散文
3月末になりますが、桜は咲きません。
早々に開花宣言をしたものの、桜前線が停滞している東京下町です。

奥戸街道を走っています。
葛飾区と江戸川区の境に居ます。
葛飾区から新金貨物線の鉄橋を望みます。
「新金」とは、新小岩と金町の事だと思います。
鉄橋は江戸川区に入ってすぐの、新中川に架かっています。
川の土手を行ってみます。


江戸川区に来ました。
古い鉄橋の橋げたが残されています。


ちょっと好いです。


水辺に下りて行きます。
この坂辺りが区境です。


下町の風情です。


川向こうにはスカイツリーが見えます。
春はまだ遠く見える水辺の景色です。
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白山の円乗寺(八百屋お七の墓)

2017年03月29日 | 散文
白山のビルの谷間に円乗寺があります。
円乗寺には八百屋お七の墓があります。


今日が命日です。


お七の生家は駒込片町(ここ白山の隣町)で大きな八百屋を営んでいました。
天和2年、近くの寺院の出火(後に天和の大火)でお七の家も焼けてしまい、菩提寺であるここ円乗寺に避難しました。


その避難中、寺の小姓である佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になりました。


やがて家は再建され自家に戻りましたが、お七は佐兵衛に会いたい一心で付け火をしました。
焼け出されればまた円乗寺に避難できます。


放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年3月29日に、火あぶりの刑に処されました。
数えて16歳だったといいます。


中央は寺の住職が供養の為に建て、右側は寛政年間に岩井半四郎がお七を演じて好評だったので建立しました。


左側は近所の有志たちが270回忌の供養で建てたものです。

人の運の不思議を想います。
悲恋の主人公である彼女は大犯罪者です。
歌舞伎に取り上げられなかったらただの不良娘、ヤンキーだったのです。
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男はつらいよ/さくらの像

2017年03月29日 | 散文
柴又駅に居ます。
寅さん像の周囲はいつも人だかりがしていますが、今日はそれほどでもありません。


今日の主役はこちらです。
3日前(訪問は3/28)に寅さんの妹さくらの銅像が建立されました。


隣に居るのは「山田洋次監督公認」と本人が言っていた寅さん芸人の、・・・名前は忘れました。浅草芸人らしいです。
時々、TV新聞で見る人です。

彼の説明によると、
「見送るさくら像です」

「3日前に除幕式が行われましたが、ずっと雨でしした。今日が実質のお披露目です」


「倍賞千恵子さんの等身大です。倍賞さんは身長が155cm位なのですね」


「雨があがって、今日のお客さんは運がいい!これがさくらの晴れ姿です!」

寅さんみたいに何かの商売を始めそうです。

「山田洋次監督と倍賞さんがサインをして行きました」


「白のマジックインクですが、皆が触って、1ヶ月もすれば無くなってしまいます」


「いつもさくらは白いハイソックスにサンダル姿です。よくご覧ください。サンダルには『さくら』と書かれています」


「この像は、失恋して旅に出る寅さんを見送るさくらです」


「台座にシナリオがあります」


「倍賞さんの表情がよく表れています」

以上彼の説明でした。

こうしてさくらが駅前に立って、寅さんが改札を潜って電車に乗って別れるシーンなのですね。


見交わす兄と妹です。


寅さんとさくらの別れが駅である場合、さくらがホームに立って電車のドアが閉まって寅さんが行ってしまう・・・、というのじゃなかったっけ?








まあ、ホームに二つ銅像を建てる訳にはいかないものね。
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稀勢の里/優勝翌々日の風景

2017年03月28日 | 散文
稀勢の里が奇跡の優勝を遂げました。
絶対無理と思われた怪我から2連勝しての逆転優勝です。
感動しました。
弟弟子の高安が控室で男泣きに泣いている姿にも感動しました。

新横綱昇進の場所で優勝したのは貴乃花以来との事です。

その貴乃花は膝に大怪我をして本割で負けたにも関わらず、優勝決定戦で武蔵丸に勝った相撲が記憶に残っています。
勝った後痛みをこらえる顔は鬼の形相で、時の総理大臣をして「感動した!」と言わしめました。
ただ、無理が祟ったのでしょうか、その後貴乃花は優勝できませんでした。

今場所無理した稀勢の里は、しっかり養生して万全の体調に戻して欲しいところです。

優勝翌々日ですが、力士達がまだ帰って来ていないこともあってか、部屋の前は何にも変わった様子はありません。
相変わらず「見学お断り」の貼紙が出ています。


近所を廻ってみます。
前回紹介した蕎麦屋です。


やっぱり有りました。


その隣の寿司屋です。


TVでやっていた、稀勢の里が茶碗蒸しをいつも二個食べる店でしょうか?


その他には見当たりません。
部屋の周辺は住宅街なので、この商店街を往ってみます。


有りました、有りました。






商店街の途中に「水天宮」が在りました。
ここでも、稀勢の里の貼紙です。


商店街に戻ります。












元金融業の建物らしい雰囲気です。




JR小岩駅が見えて来ました。
商店街の端から端までお祭りの様です。

気持ちいいくらいの喜びぶりでした。
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「ジョイフル三の輪商店街」を往くー1

2017年03月28日 | 散文
都営荒川線の「三ノ輪駅」から「荒川一中前駅」の線路に並行して、駅間と同じ距離の商店街があります。
荒川一中前駅の踏切から向かいます。




寂れて行く商店街が多い中で、老人中心に、健闘していました。
商店街の入り口を入って行きます。





マンホールの蓋がオシャレです。


昼過ぎは商店街の人出が少ない時間帯です。




途中枝道があって、公園もあります。
よくトイレを利用します。


その前にある「ジョイフル三の輪会館」が閉鎖されています。
いわゆる商店街の中心施設ですが、どうしたのでしょう?

「立入禁止」だけでなく、「就寝禁止」とまで書いています。
尋常ではありません。

先を行きます。


ここでは解体工事中です。


砂場蕎麦店があります。


この店が、東京都内の砂場の総本店です。
歴史のある老舗店です。


その前の銭湯が閉店していました。

銭湯は日本の文化と思い、その存続を応援していたのに・・・。

次回に続きます。
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桜肉鍋の「中江」

2017年03月27日 | 散文
「土手の伊勢屋」の並びに馬肉屋があります。


桜肉鍋の中江です。


行列が絶えない天丼の伊勢屋ほどではありませんが、下町風情を醸す評判店です。
二つの店が並ぶことによっていっそう風情が増す一角です。


馬肉をその色合いから「桜肉」と呼びます。
看板に桜のデザインを配し、肉の文字を桜色に染めています。


最近、店頭に桜の花が咲くようになりました。
桜肉に相応しい雰囲気作りです。


日露戦争が終わった年に創業した老舗店です。


裏路地からは、スカイツリーが望める下町の風情です。
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土手の伊勢屋

2017年03月27日 | 散文
昨日はスポーツ界で歴史的な1日でした。
甲子園高校野球大会で2試合連続の引き分け再試合があって、大相撲では怪我をした稀勢の里が奇跡的な逆転優勝です。
感動した1日でした。

さて、久し振りにやって来ました。
土手の伊勢屋が営業中です。
ここはテイクアウトの窓です。


相変わらず客が待っています。


前回行った時お勘定時に「美味しかった」と言ったら、若い女性店員が「『美味しい』頂きました!」と声を張り上げました。


すると、客席にいた店員と厨房から「ありがとうございました!」と一斉の唱和がありました。


私は何か気恥ずかしかったです。
居酒屋でよくある、注文を受けた店員が注文を頂きましたと声を張り上げ、その声を聞いた店員全員が注文ありがとうございますと唱和するノリです。


明治22年に創業して有形文化財に指定されたこの店に不似合いの接客でした。
厨房の内外に若い店員が多く居たので、代替わりして方針変更したのかなと思って、それっきりにしていました。


今回確認したくて、勘定時に「美味しかった」と言ってみたら、普通の「ありがとうございました」でした。
店員さんも年配の方に代わっていました。安心しました。


相変わらずの繁盛店です。


並びます。
約1時間待ちました(店内に座ってからも暫く待ちます)。

人生経験が長くなると、我慢しないと良いことは巡って来ない、との心境になります。

並んだ行列脇のガラス戸のデザインが美味しそうです。


たまたまこのガラス戸脇に座ったので、内側からも撮らせてもらいました。


午後2時半迄に並んだ人を最後に「閉店」です。
夜の営業はやっていません。
私が店を出たら、暖簾を仕舞います。


閉店の時間です。

久し振りに美味しい天丼を食べました。
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上平井水門へ行く。

2017年03月26日 | 散文
荒川の東岸に来ています。
左に綾瀬川が流れ、黄色い「東四つ木避難橋」の上には、首都高速中央環状線が走っています。

この一帯はゼロメートル地帯なので、「避難橋」が必要になります。
橋の左側の土手下に住宅街があります。
屋根より高い綾瀬川です。

荒川の向こうを見ると、下町らしい風景です。


この土手を南下します。
中央環状線の「かつしかハープ橋」に向かって行きます。


振り返るとこんな景色です。


中央環状線の下には上平井橋があります。
橋の右側が、綾瀬川が中川と合流する所です。


その先に上平井水門があります。




只今工事中です。


振り返ります。


水門を下流側から見ます。




かつしかハープ橋が見えます。


下流側でも工事中です。


曳船が水門に近づいています。
こう見えて水の勢いが強いのでしょう、中々進みません。

長閑な景色です。

今日はこの高速道路下の土手道を更に進んで帰ります。
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今治藩主の墓を訪ねて霊厳寺

2017年03月26日 | 散文
今治藩主久松家の墓が今治市古国分にあります。
その時疑問に思っていた2代と5代以降の墓がどこにあるかが、生家にあった資料で分かりました。
なんと、自宅近くの霊厳寺にあります。
これも縁です。
早速訪ねてみました。




寛政の改革の実施者「松平定信」の墓がある寺です。


なるほど、久松家も徳川一門ですから、ここに墓があるのは納得です。
松平定信の墓所の手前に古い墓地があります。
桑名藩主松平家の墓がありました。


古い墓が並んでいます。


こちらは譜代大名の榊原家です。


こちらに「予州」との文字がありましたが、「本多家」の墓です。


この辺りには譜代大名の墓が並んでいます。


探していたら若い寺男が箒を持って掃除に来ました。


「久松家の墓はどちらですか」と訊いてみました。


「この辺りは昔『殿様墓』と言われていた古い墓が沢山ありましたが、太平洋戦争の空襲で破壊されて、残っているのはこれだけです。久松家の墓は聞いた事がありません」との回答です。

残念ですが、これ以上探すのは無理ですね。



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芋坂羽二重団子工事中

2017年03月25日 | 散文
漢字を羅列したタイトルは読み辛いですね。
解散後の新撰組隊員や彰義隊が上野のお山から逃げ落ちた芋坂にある、漱石や子規も通った羽二重団子が工事中です(下手な文章も読み辛いですね)。






工事前の羽二重団子の姿。




いつの間にか暖簾が変わっていました。


最近の暖簾です。




さて、今度の工事で、店はどんな風に変わるのですかね。
和泉鏡花もお気に入りの店だったようです。







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根津の路地裏が変わりました。

2017年03月25日 | 散文
根津の路地裏で新築マンションが完成間近です。


左下の、手を洗っている人に訊いてみました。

「ここって、サイタ質店があった場所ですよね」
「多くの人に叱られるんですよ。とんでもない事をしたなって」
大袈裟に答えてくれました。

「あなたは?」
「建築会社の者です。そんなに良い建物だったのですか?」

「ええ、蔵を持った、大きな質屋さんでした」
「皆に叱られて申し訳ない気持ちです」
まんざら大袈裟でもないようです。

消滅を惜しむ声が沢山あったと思いますが、持ち主に事情があってこうなったのだから、第三者がとやかく言う筋合いのものではありません。
主人が亡くなり、賃貸に出したけど借り手が無く、解体せざるを得なかったという経緯だったと思います。
その経緯はこちらこちらです。

こうして路地裏の景色が変わりました。
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池之端の喫茶店

2017年03月24日 | 散文
池之端の坂道に気になる喫茶店があります。
普通の民家の佇まいです。


室内に明かりが点っています。
今日は営業しているようです。


遠慮がちなユニオンジャックが好いです。


多分本格的な英国紅茶を淹れてくれると思います。


一度入ってみたい店なのですが、どうも喫茶店には一人で入り辛いのです。
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