あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

命の重さ

2015-11-03 20:05:48 | 日記
ニュースで、四人の子どもの死を知りました。

遺書を残し、いじめを苦に列車に飛び込んだという名古屋市の中学1年の男子生徒。
火事で焼死した宮崎県都城市の三人の小学6年生。この火事では、犠牲になった子の母親も亡くなっています。
未来ある子どもの早すぎる死には、心が痛みます。
その子が主人公となって描く未来が、途切れてしまったことに、深い悲しみを感じます。

名古屋市の中学生は、列車に飛び込む直前に家族と電話で会話したとのこと。
遺書を見て驚いた家族が、その真意を尋ねたところ冗談だと答えたそうですが、死を選ぶ道をとってしまいました。
血のつながった家族だからこそ、その決意を止まらせられなかったことに、やるせない思いをかみしめていることでしょう。
具体的にどんないじめがあったのかは、これからの調査で明らかになることでしょうが、死を決意するほど辛い思いを抱え込んでいたのでしょう。

焼死した子どもたちは、泊りに来るほど大の仲良しだったとのこと。
今日の新聞には、その家に住んでいて焼死した中村さん親子と面識のあった夫婦のことが書かれていました。

夫婦には、最愛の娘さんがいて、小児がんのため3才で亡くなったとのこと。
その時隣の病室にいたのが、中村さんの息子さんで、同じ病を抱えた子を持つ親同士、お互いに励ましあう仲だったそうです。
娘さんが亡くなってからも親同士のつながりは消えず、夫婦にとっては病を克服して成長する息子さんの成長が励みになっていたとのこと。
火災を知った時には、自分の目で確認するため、現場に駆けつけたそうです。
「今でも信じられない。パパとママと仲良く暮らしていたのに。うそであってほしい。」と思っているとのことでした。

このご夫婦にとっては、中村さんの息子さんの成長する姿に 娘さんの成長する姿が重なって見えていたのだと思います。
心をよせた母子の死の重さを痛感するからこそ、「うそであってほしい」という思いか込み上げてくるのだと思います。

親にとっては、わが子を亡くすことは 言葉にならないほど 辛いことでしょう。
そんな親の心の内を 中原中也は詩にしています。


  また来ん春

        中原中也

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るぢゃない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といひ
鳥を見せても猫(にゃあ)だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

         「在りし日の歌」より

此の世の光のただ中に いた わが子の姿は 忘れることはないのだと思います。
動物園で見せた わが子の姿 声 しぐさ。
そのすべてを通して 命の輝きを感じた ときだったのでしょう。
あの子が返ってくるのが 永遠にないということの 辛さ。
生命力を肌で感じる 春の訪れさえ 空しいものと感じる 空虚感。
親としての思いの内に 幼い命の かけかえのない 尊さや重さを しみじみと感じる詩です。

亡くなった子どもたちは どんな未来を描きたかったのでしょうか。