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あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

なでしこジャパン 優勝おめでとう!

2011-07-18 09:15:12 | インポート

今朝の決勝戦を見て,あきらめずに戦い続けて勝ち取った優勝に 深い感動を覚えました。

試合は,アメリカの圧倒的な攻撃力の前に日本が苦戦する形で展開し,得点もアメリカが先取点を入れれば日本が追いつくといった流れでした。

2:2の同点で延長戦を終え,PK戦で決着がつくことになりました。

PK戦の前の選手・監督の表情を見て,私はなでしこジャパンが勝つような予感をもちました。

日本の選手は笑顔とリラックスした表情を見せていたのに対し,アメリカの選手は硬く厳しい表情を見せていました。この違いがPK戦に反映するように感じたからです。

延長戦も同点に追いついたという前向きな気持ちが,PK戦に臨む日本の選手たちの心に余裕を与え,反対に有利にゲームを展開しながら追いつかれてしまったというあせりが,アメリカの選手たちの心に生まれたのではないかと思いました。

アメリカの一番手の選手のPKを止めた時点で,日本の勝利を確信しました。勝利を決定づけるPKが決まった時には,胸の中に熱い感動があふれました。

決勝トーナメントのドイツ戦の前に,日本チームは東日本大震災のビデオを見て,気持ちを奮いたたせたとのことでした。チームの勝利が日本に元気と希望をおくることにつながるという高い目標を共有することで,モチーベーションを高め,戦いに臨んだのではないかと思います。

決勝戦も,その目標に向かって最後まであきらめずに戦い続けることができたことが,優勝という結果につながったのではないかと思います。

試合後に選手たちが競技場を回りながら掲げる横断幕には,日本に寄せた世界中の人々の支援に,感謝するメッセージが英語で書かれていました。

しかし,何よりのメッセージは,チームが一丸となって勝ち取った勝利だったのではないかと思います。世界の人々の心に 感謝の思いを伝えることができた 見事な優勝だったと思います。

すばらしい感動を与えてくれた なでしこジャパンに 心から感謝!です。

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けんかだっていいから 会いてえよ <被災地から>

2011-07-15 09:38:49 | インポート

震災が起きてから4ケ月余り経ちました。仮設住宅が建ち,漁港ではカツオ等の水揚げができるようになり,復興へ道は少しずつ目に見える形で進んできたような印象があります。町づくりそのものを具体的に進めて行く上での課題や新たな課題等も山積しているようですが,一日も早く被災された方々が希望をもち笑顔で生活できる環境が整うことを願います。

一方では放射能で汚染された食肉の流通問題も生じ,福島の方々の心労は休まることがないのではないかと思います。丹精込めて育てた牛も,作物も,船から水揚げされた魚も,市場に乗せて売ることができない状況の中,新たな形で風評被害が拡大し,安全なものまで市場から締め出されることが心配になります。そこで生きるための術さえ奪われていくことは,どんなに辛いことでしょう。また,避難地域に指定され,もどりたくても故郷の地に足を踏み入れることのできない福島の人の悔しさや悲しさを想います。

いい方向へ変わりつつあるものと何も変わらないものがあり,さらには時間が経過することで,悪化するものまであるのですね。何とかならないのかとこらえきれない憤りを感じます。

今日の新聞の「鎮魂を歩く」のコーナーに,岩手県山田町の船越漁協に勤めていた夫婦のことが掲載されていました。二人は職場結婚だったそうですが,奥さんの繁子さん(40)は津波で亡くなり,残されたのはご主人の敏明さん(41)と長男の一史さん(12),隼人さん(8)の男ばかりの3人です。敏明さんは,几帳面な繁子さんに家のことをすべて任せていたことを後で実感します。それだけなくてはならない,大切な妻であり,母であり,かけがえのない存在だったのだと思います。3人そろって泣いたことが,これまで4回あったそうです。

繁子さんが行方不明だった震災3日後,「もう会えないと覚悟しろ」と告げ,3人でだきあった時。遺体が見つかり,花と線香を手向けた時。火葬の時。葬式で喪主の挨拶をした時。

それでも,ふとした時に思い出がよみがえるそうです。着ていた服を見つければ卒業式の日のこと。おけが出てくると,一緒に子どもたちを風呂に入れた時のこと。食事の時に,よくけんかになったこと。

「でも,ほんとにいなくなるとよ。けんかだっていいから,あいてえよ。」

敏明さんの思いが切々と伝わってきます。小さい子どもさんたちも,ふと同じ思いになる時がたくさんあるのではないでしょうか。三人の心の中に,今でもしっかりと繁子さんは生きているのだと思います。

記事の中に,笑顔の繁子さんと自宅の一画にかかっている繁子さんのブラウスの写真がありました。ブラウスと一緒になって,今でも繁子さんが3人の男たちを家の中で温かく見守っているような気がしました。

繁子さんのご冥福と 男3人の幸せを 心から祈ります。

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なでしこジャパンの活躍と 脱原発について

2011-07-14 08:36:16 | インポート

○ 元気をくれた サッカー女子チーム

サッカーの女子W杯準決勝で,なでしこジャパンが3:1でスウェーデンを下し,見事決勝への進出を決めました。今朝は,少し早目に起きて,この試合の後半をリアルタイムで見ました。

男子並に巧みなパスワークやテクニックで相手をかわし攻撃する選手のプレーと得点シーンには,感動を覚えました。改めて感じたのは,サッカーがチームプレーであるということです。連動しながらのパスワーク,体を投げ出しての防御等,攻守ともに一つのボールを中心にしながら連携・協力してプレーする姿に,心を一つにしたチームプレーのすばらしさを見出すことができました。

『一人はみんなと みんなは一人と』 一本の糸で心がつながっていることを,試合を見て実感しました。

17日が決勝戦で,相手はアメリカです。勝敗を抜きにして,なでしこジャパンのすばらしいチームワークを楽しく見ながら,じっくり応援したいと思います。

○ 脱原発社会の実現を 願って

菅首相が,昨日の記者会見で,原子力を含むエネルギー政策について「脱原発」社会を目指す考えを表明しました。辞任の時期が話題になってから,原発稼働の前提条件としてストレステストの実施を提起する等,最後の抵抗といった感じで改革的な言動が目立つようになりました。

しかしその言動には,共感を覚えるところがあります。「計画的,段階的に原発依存度を下げ,将来は原発がなくてもやっていける社会を目指す」という考えには,全く同感です。

今日・明日のことではなく,将来のあるべき日本の姿を見据えて,未来に生きる政策を講じていくことが,今はとても大切なのではないかと考えるからです。

放射能汚染を心配することのない,クリーンな環境の中で生活できる未来でありたいものです。

原発の耐用年数は,40年と言われています。40年経過したものから廃炉化していくと,すべての国内の原発がなくなるのは2050年になるそうです。それまで,原発を使い続けるかどうかは議論の分かれるところですが,ドイツのエネルギー政策を参考にして,もっと早期に「原発ゼロ」の社会が実現することを望みます。

震災と原発問題を契機に,節電の大切さと太陽光など自然エネルギーの活用の必要性が,社会全体に浸透してきたのではないかと思います。今は,国民の一人としてエネルギー政策に主体的に関わっていける時期なのではないかと思います。受身的に電力を受け取る段階から,個人レベルでも受け取る量をコントロールし,電気をつくって送ることができるということを考えて行動できる段階にまで高まって来たように思います。

未来をつくることに主体的に関わっていける自分でありたい と思っています。

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付属池田小 遺族の伝言 を読んで

2011-07-09 14:18:19 | インポート

朝日新聞の記者有論というコーナーに,遺族の伝言を扱った記事がありました。

今から10年前の2001年6月8日,大阪教育大学付属池田小学校で,不審者が児童8人を殺害するという悲惨な事件が起きました。その遺族の言葉がいくつか取り上げられていましたが,今なお,最愛の子どもを失った悲しみや喪失感は消えることがないようです。

○長女を失った母親の言葉

「あの時に止まった時間と,今生きている時間。体の中に二つの時計があって,広がる落差に悲しみは深まる一方なんです。」

○遺族である父親の言葉

「いまもエアポケットのように自分を見失う瞬間がある。」……仕事中でも,車の運転中でも,娘のことを考え始めて意識が沈み,海におぼれるような感覚になるのだとのこと。

これからも二つの時計を抱えて生きなければならないのは,想像もできないほど辛く悲しいことなのではないかと思います。

それでも,今生きている時間の中で,母親は傾聴と歌と朗読で傷ついた人の心を癒すNPOの法人を立ち上げ,「一人ひとりの悲しみに寄り添えるようになりたい」と活動しています。

父親は,中高生を対象に「命の教育」と題した講演をするようになり,「あなたのたちの命はかけがえのないものです」と訴えています。

東日本大震災を取材した記者は,二つの時計を抱えて生きていく被災地の遺族の方に,「頑張れ」と声をかける違和感をぬぐえなかったとのこと。

そこで,池田小事件の遺族に,愛する人を突然失った被災者に,どのような言葉をかけますかと尋ねたところ,ある父親は次のように語りました。

「生きることに罪悪感を持つ方もいるでしょう。私もそうでした。そして生きる意味を一生懸命探した。でも,生きる意味というのは必要ないんです。生きる意志さえあれば大丈夫なんです。」

10年間,愛するものを失った悲しみや喪失感を抱きながら,自らの生きる意味を問いかけた上で語られる言葉に,ズシーンと心に響く重さがあります。

世田谷事件で愛する妹の一家4人を失った,入江杏さんの描いた絵本『ずっと つながっているよ』の一節を思い出します。

   いつでも いっしょに いたんだね。 

       風にも,水にも,光にも。

   いつでも いっしょに いるんだね。

      空にも,地にも,昼も,夜も。

   どんなに遠く はなれていても,

      ずっと つながっているから。

          ありがとう,わすれないよ。

入江さんは,亡くなった四人と今でも確かにつながり,これからもずっとつながっていることを感じることで,再生の一歩を踏み出し,生きる意志を見出すことができました。

二つの時計を抱いて生きる人が,生きる意志をもって歩んでいける未来であってほしいものです。

   

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映画「禁じられた遊び」を見て

2011-07-07 08:10:35 | インポート

「禁じられた遊び」は,フランスのルネ・クレマン監督によって1952年につくられた映画です。第二次世界大戦の記憶が残る時代の作品です。かって見たことのある映画だったのですが,改めて見ることで,この映画の魅力を新たに見出すことができたように思います。

主人公は,両親と愛犬を戦闘機の機銃掃射によって亡くした5歳の少女ポーレットとミシェルという少年です。ミシェルは,死んだ愛犬を抱いてさまようポーレットと出会い,その身の上を知って同情する心優しい少年です。裕福ではないのに両親に熱心に頼み,ポーレットを家に置いてもらうことにします。

ポーレットは,ミシェルを頼り,ミシェルもポーレットを実の妹のように大切にします。ポーレットは,死んだらお墓に入るというミシェルの話を聞いて,死んだ愛犬のお墓をつくります。お墓の十字架はミシェルがつくってくれました。やがて,ミシェルの兄さんが不慮の事故でなくなり,ミシェルもポーレットも葬儀に参加します。そこでポーレットは,教会にある立派な十字架を見てそれを愛犬のお墓に飾りたくなります。その思いを察したミシェルは,その十字架を盗もうとしますが失敗します。

お墓は死んだ人が寂しくないように集まってつくられているんだというミシェルの話を聞いて,ポーレットは死んだ愛犬も寂しくないようにしてあげたいと思います。ミシェルは,他の生き物も(死んだものだけでなく)周りに埋めて,ポーレットと一緒にお墓をつくります。お墓に必要な十字架は,墓地から運んできました。廃墟の一画に十字架があちこちに立つきれいな墓地ができあがります。しかし,やがて本物の墓地の十字架がなくなったことが明らかになり,ミシェルが犯人であることがわかります。

そして,いよいよ別れの日がやってきます。ポーレットが戦災孤児であることがわかり,施設の担当者が迎えに来ます。その人に連れられて駅まできたポーレットは,人ごみの中で「ミシェル」と呼ぶ声を耳にします。がまんができなくなったポーレツトは,大好きだったミシェルのことを思い出し,涙を流しながら「ミシェル!」と呼びながら人ごみの中に消えて行きます。

ギターの名曲「愛のロマンス」の切ないメロディーが,切々と心に響いてきます。

愛する両親を亡くし,愛犬を亡くしたポーレットにとって,寄り添うように面倒をみてくれたミシェルを失うことはどんなに悲しいことだったのでしょう!

涙でくしゃくしゃになったポーレットの顔と人ごみの中に消えて行く小さな後ろ姿が,今でも心に浮かんできます。

戦争によって 両親と愛犬を失ったポーレット。その一人ぼっちになったポーレットのために「禁じられた遊び」を一緒に行なったミシェル。

許されない遊びだったのにもかかわらず,二人のつくった墓地が,まるでファンタジーの世界のように美しい風景として心に残ります。

最後のポーレットの後ろ姿に,震災で両親や兄弟姉妹を失った子どもの姿が重なります。

未来がその子どもたちにとって幸福なものであることを,心から願わずにはいられません。

『子どもが幸せである世界が,大人も幸せな世界である』ということを 改めて思います。

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