あの青い空のように

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B型肝炎訴訟和解決着について 思うこと

2011-07-02 12:03:01 | インポート

 6月28日に,B型肝炎訴訟について政治決断という形で,和解決着が図られました。

 この訴訟の原告団代表である谷口三枝子さん(61)が語った「この22年間は地獄だった。生きて今日を迎えられるとは思わなかった。」という言葉の内に,これまでのすべての思いが込められているように感じました。

 谷口さん自身は27歳で結婚し,2児に恵まれ平穏で幸せな生活をおくっていましたが,39歳の時に発症し,二人のお子さんも母子感染だということが分かりました。床をはい,洗い物があっても動けず,4階の部屋から身を投げかけたこともあったとのこと。症状が落ち着いた頃には長男の方が肝炎を発症したり,娘さんも発症の不安を抱える状況の中,地獄のような苦しい毎日だったようです。

 それでも,同じ苦しみを乗り越えてきた仲間に元気を与える役はできると考え,原告団の代表として頑張ってこられました。その後娘さんも肝炎を発症しましたが,代表としてのあいさつ文をパソコンでまとめるなど,代表としてのお母さんを側面からがっちりと支えてきました。

 6月29日は娘さんの31歳の誕生日で,「この日の和解が母としてのせめてもの贈り物になった」とのことでした。

※恥ずかしいことですが,B型肝炎をめぐる経緯や訴訟の経過については,今回の和解によっ て初めて分かったことがたくさんありました。注射針や筒の使いまわしによる感染の危険性については,1953年に世界保健機関(WH0)が警告を出し,87年には同じ注射筒での集団接種をやめるよう勧告を出していたとのことでした。旧厚生省ではこれを受け,遅れて88年に注射器全体の交換の指示を出しました。89年に集団予防接種による感染が原因であるとし,10地裁で患者の方々が国を提訴する訴訟が始まり,2006年に最高裁で国の責任を認定する判断がなされています。

 にもかかわらず,和解協議が始まったのは10年の7月で,やっとこの6月28日に和解合意書の調印という形になりました。政治決断がもっと早ければという思いを原告団としては感じたようです。

 東京原告の女性(42)は菅首相に「子供を持てないことは,お金に換算できるでしょうか」と問いかけたそうです。受け止めるにはあまりにも重い言葉なのではないかと思いました。なぜもっと早く国の責任を認め,和解に応じて救済の対応ができなかったのかと思いました。

 今回の和解を通し(原発事故の問題も含め),改めて国民の命や健康を第一に考える国であり,政治であってほしいものだと痛感しました。そのためにも,国民の一人として,さまざまな社会的な問題や出来事に対して,常に関心をもち情報を的確に把握しながら,自分なりの判断と行動ができる主権者としての国民でありたいと思いました。

 まずは,財源の問題もありますが,和解合意に基づいた速やかな救済策の実現を望みます。