かって 巨人の長嶋選手が引退表明をした時には、これで一つの時代は終わったなあと感じたものです。野球が大好きだった私にとっては、小さい頃から背番号3は憧れの存在でありヒーローで在り続けていました。そのヒーローが球場で活躍する姿をもう見れなくなるということで、失恋にも似た悲しくさびしい思いでいっぱいになりました。
その長嶋選手に代わるヒーローが、私にとっては松井秀喜選手でした。新たなヒーローとなる松井選手が巨人軍に入団することを運命づけたのは、当時の巨人軍監督であった長嶋監督でした。ドラフト会議で指名権獲得のくじを引いたのです。私にはそのことも運命的なつながりのようなものに感じました。
以来、巨人軍時代の10年、大リーグで活躍した10年と、松井選手を応援してきました。ヤンキースが大リーグで優勝し、MVP(最優秀選手)に輝いた時には、さすがスーパーヒーローと心からその活躍を喜んだものです。
しかし、ゴジラと親しまれた強健な体力にも衰えが見られ、相次ぐケガもあり、思うように体が動かず『結果が出せなくなった』ことで、引退を決意したとのことでした。
いつかその時期はやってくるだろう と思ってはいたのですが、突然のニュースで驚いてしまいました。また一人の大切な心のヒーローを失うことになったのですから、とても残念に思います。
松井選手は、練習熱心で 勝負強く 野球選手としてはもちろん、礼儀正しく 穏やかな性格から 人間としても 選手や監督から 厚く信頼される存在だったようです。
朝日新聞のスポーツ欄には、松井選手のこれまでの活躍を振りかえる記事が掲載されていました。星稜高校でチームメートとして喜怒哀楽を共にした記者が書いたとのことで、友としての思いも込められていた 心を打つ内容でした。その末尾は、次のようにまとめられていました。
『 ~ 高校時代、松井の部屋の机には1枚の色紙が飾られていた。「努力できることが、才能である」。父・昌男さんから贈られた言葉。恵まれた体格におごらず、最後までその教えを貫きとおした打者だった。 』
いい言葉ですね。才能は特別な人に特別に与えられたものではない。誰でも、努力はでき、その努力を続けることが、才能である。その才能さえあれば、道は開ける。…… お父さんの色紙に励まされながら、松井選手は日々努力を積み重ね、偉大な選手としての道を歩み続けたのではないかと思います。
常に試合の前の準備や練習をおこたらず、素振りの練習も欠かさず続けていた 松井選手。努力を続けても結果が出せないことに 力の限界を感じると共に チームやファンに対して申し訳ないという思いから、 潔く 引退という道を選んだのではないかと思います。
今は、まず ゆっくりと体を休めてほしいと思います。
「 ありがとう 松井選手。20年間、ご苦労さまでした! 」
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