あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

再び 折々のことばから

2015-10-04 22:10:09 | 日記
「いい顔とは、生にはりついている死とのつきあい方が、素直にすけてみえる顔のことです」
                                
                                 森咲 和江

「死とのつきあい方が、素直にすけてみえる顔」とは、どんな顔なのでしょう。

鷲田さんの解説を 次に引用します。
「人はいのちを差配できると思い込むようになって、逆に、穏やかな顔で死ぬことも容易でなくなった。
 死は、一個のいのちの消失に尽きるものではない。土が生き物の死体を腐らせることで植物を育むよう
 に、人の死も『大きな摂理にくるまれたもの』としてあるはず。その死が『いのちの素顔』から遠ざか
 るばかりだと、作家は憂う。『大人の童話・死の話』から 」

医学の進歩とともに、かっては治療できなかった病気も克服できるようになったことは望ましいことなの
だと思います。しかし同時に、延命治療と称することで、限られた余命を延長することもできるようにな
り、命の長さを人為的に操作できるようになったことも確かです。そういった事実を指して、『人はいの
ちを差配できると思い込むようになった』と、指摘しているのでしょうか。

生きている以上、死の訪れは必然です。与えられた 一つのいのちの区切りとして、『大きな摂理にくる
まれたもの』である死を素直に受け入れ『穏やかな顔で死ぬことも容易でなくなった』ことが、いい顔が
見えなくなった理由の一つなのかもしれません。
いい顔とは、死と正面から向き合い、その区切りを 潔く受け入れようとする 顔なのでしょうか。

『いのちの素顔』とは、始まりがあって終わりがあり 終わりがあって新たな始まりがある いのちという
もののありようを指す言葉なのでしょうか。一つの終わりをどう受け入れるか、その心の持ち方によって
素顔は遠ざけられ、『大きな摂理にくるまれたもの』まで見失ってしまうのかもしれません。

河井酔茗の書いた「ゆづり葉」の詩をふと思い出します。

…… この譲り葉は 新しい葉ができると 入り代ってふるい葉が落ちてしまふのです
   こんなに 厚い葉 こんなに大きい葉でも 新しい葉ができると無造作に落ちる
   新しい葉にいのちを譲って   ………

新しい葉ができると無造作に落ちる ふるい葉の潔さ

子どもたちに 輝ける大都会も 読み切れないほどの書物も すべてのものが譲られるということ、
お父さんやお母さんたちは 何一つ持ってゆかず 
子どもたちに譲るために いのちあるもの よいもの 美しいものを 一生懸命つくっているということ

いのちが 新たないのちのために すべてのものをつくり そのすべてを譲っていく という
「大きな摂理」の内に 人間が生きて在る のだということを 語りかける詩なのだと思います。

死は、古いいのちが 新しいいのちに 潔く 席を譲るということなのかもしれません。
その心構えができている人が 
「死とのつきあい方が、素直にすけてみえる」顔の持ち主の一人と 言えるのでしょうか。 






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