あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

『ゆずり葉』の詩を読む

2018-11-08 23:41:28 | 日記
 先日、河井酔茗さんの詩『ゆずり葉』の読み合わせを終えました。
 
 うれしかったのは、生徒さんの一人の方が 自宅にある語源辞典を使って『ゆずり葉』のことを調べ、
それをまとめた手書きの資料を私に届けてくださったのです。また、この方の家では、新年を迎える時に 
鏡餅の下に ゆずり葉を枝ごと敷いて、お供えしていたそうです。
いただいた資料によると、『…民俗学的にも、新葉と旧葉の交代を、子の成長に伴う世代交代にたとえて
めでたい木として、葉を正月に飾ったり、正月を待ちわびる童謡に詠み込んだりしている…』とのこと。
 詩を通して学びの連帯ができたことに、大きな感動を覚えました。共に学び合う仲間としての絆を 
これからも深めていきたいと思いました。


  ゆずり葉
              河井 酔茗
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー。

子供たちよ。
お前たちは何を欲しがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽の廻るかぎり
ゆずられるものは絶えません。

輝ける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つもってゆかない。
みんなお前たちにゆずっていくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。

以下、読み合わせの中での主な発問や取り上げた言葉、留意した点について その概要をまとめてみたいと思います。

【1・2連】
〇なぜ、ゆずり葉という名前がついたのでしょうか。
〇2連で こんなに という表現が強調するように二度使われていますが、どんな作者の思いがこめられているので
 しょうか。
 → 風雨にさらされながら それだけ厚く大きい葉になったのに
〇無造作に落ちるとは、どんな落ち方なのでしょうか。
 → 辞書的な意味では「むずかしく考えないで気軽にする様子」とあり、落ちることが
  ごく自然で当然のように
〇何のために 落ちるのでしょうか。
 → 新しい葉にいのちをゆずるために

※古い葉も、昔は生まれたての新しい葉の頃があったのですよね。そうして同じように自分にいのちをゆずって
くれた古い葉があり、そして今度は自分が古い葉になりいのちを譲る側になった。まるでいのちのバトンを受け
渡すように、繰り返し、その受け渡しのリレーが行われてきたのだと思います。

【3連・4連】
〇子供たちがゆずり受けるものには、どんなものがあるのでしょうか。
〇4連の最後に、『子供たちの手は まだ小さいけれど-』 と書かれていますが、おしまいの棒線の代わりに 
 言葉で表現すると、どんな言葉が入るでしょうか。
 → すべてのものを受け取るのには、今はまだ小さい手ではあるけれど、やがて ゆずられた すべてのものを受
  け取ることのできる 大きな手を持つ人(大人)になっていくことでしょう。

【5連】
〇次に5連の場面について考えたいと思います。ここは、ゆずりわたす側に焦点をあてて書かれていますが、世の
お父さん、お母さんたちは、どんなものを どんな気持ちで造っているのでしょうか。

※形あるものだけでなく、目に見えない 子供に注ぐ愛情や いのちの大切さ 美しいものやよいものを感じ取る
豊かな感情も含めて つくり・ゆずり渡しているのでは…
2連にあるように、無造作に落ちるゆずり葉のように 何一つもっていかないのですね。

【6連】
〇6連の最後に「気が付いてきます」とありますが、子供たちはやがてどんなことに気がついてくるのでしょうか。
→ ゆずりうけたものの すばらしさ・よさ・美しさ・大切さ
 ゆずり受けたものを造ってくれた 父母や人々の思いや願い
 ゆずり受けたものを造ってくれたことに対する感謝の思い
 いつかは、自分が譲り渡すものを造る側になるのかもしれない

【7連】
〇子供たちがもう一度ゆずり葉を見る時は、どんな時でしょうか。
→ 自分が 今度は 譲り渡すものを 作る側に立っているのだと 気づいたとき
 ゆずり葉のように、昔から 繰り返し ゆずられる側から ゆずり渡すものを造る側へと その一生の営みを通して 
 受け継がれてきた 大きな流れの中に 今自分が立ち 生きているのだと 感じたとき

※ゆずり渡すもの・ゆずり受けるものは、果たして目に見えるものだけなのでしょうか。
親がわが子にそそぐ愛情も 美しいものを美しいと感じたり、善いものを善いと感じたりする 感情や心の動きも 
子供たちは受け取っているのだと思います。
たくさんのものと一緒に その思いまで 含めた すべてのものが、ゆずり・ゆずられる流れの中で、親から子へ 
大人から子どもたちへと受け継がれてきたのではないでしょうか。
その流れの中に、私たちは 今生きているのかもしれません。
子供のころにはすべてのものをゆずり受け、自分が親や大人になることで ゆずりわたすものを造りながら…

この詩も 86年前に河合酔名さんが造り、私たちがゆずり受けたものの一つでもあるのですね。

未来に生きる子供たちに、どんなものを造りゆずり渡していくのか、改めて造り手の立場で考えてみたいと思います。
また同時に、ゆずられたもののすべてを受け取ることはできませんが、少しでも多くのものを受け取ることのできる 
大きな手を持ちたいものです。潔く無造作に葉を落とすまでに、まだ時間がありそうなので…。