20日に79歳の誕生日を迎えられた皇后様が、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せられたとのこと。その中に、五日市憲法草案にふれたお言葉がありました。
この憲法草案は、明治の初めに庶民の手でつくられた民衆憲法草案です。かって色川大吉さんによって見出されマスコミにも紹介されたものでした。草案の討議の場に加わっていた一人が、栗原市志波姫出身の千葉卓三郎でした。若かりし頃にこのことを知り、明治時代の初めに、民衆の側に立った憲法が考えられていたことに、深い感動を覚えたことを思い出しました。
この1年の中で印象に残ったことは という質問に対し
「五月の憲法記念日にをはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。……
〈 昨年1月に五日市郷土館:東京都あきる野市 で目にした民間による五日市憲法草案に言及。明治憲法の公布に先立ち、地域の教員や農民らが討議を重ねて書き上げたという草案には、基本的人権の尊重や教育の自由の保障、言論の自由、信教の自由、地方自治権などについても記されていたと紹介し 〉
近代日本の黎明期に生きた人々の政治参加にへの強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。」
と答えています。
江戸時代の封建社会から四民平等の社会へと急激な時代の変化の中で、自由と平等の社会を夢見た人々の熱い思いが、憲法草案に込められているように感じます。しかも、国家という抽象的な視点からではなく、民衆の側から人権や自由の在り方について問い返しつくりあげていった憲法草案なのですから。
国があって人があるのではなく、人があって国がある。政治家のよく使う言葉に国益という言葉があります。国の在り方を論じる時に、そこで暮らす人々のことが見えているのだろうかと疑問に思えることがたびたびあります。
人々が自由で平等で等しく幸福を享受できる社会、そんな社会を理想とする中でこそ、憲法は論じられるのではないかと思います。また、同時にそこで認められる権利は、自国民だけではなく他国の人々にも人間としての普遍的な権利として認められるものでなければならないと考えます。国益などという狭小な論理で考えられるものをはるかに超えた 世界に開かれた憲法であるべきだと思います。今の憲法には、その理念が生きていると思えるのですが……。
改正を唱える政治家の目には、どんな理想社会が映っているのでしょうか。憲法論議の行方を五日市憲法草案を考えた人々の想いに立って 注意深く見守っていきたいと思います。