青い空とわたし

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6日・思いを馳せる平城宮跡

2013年11月29日 22時13分41秒 | 青い空の日は旅立(全般)
11月21日(木)

G湯での朝。今日はネットで予報を見ても一日中、本当に晴れだ。 ヨシ。

奈良市中心から少し西の平城宮跡(へいじょうきゅうせき)が今日のメインだ。
とにかくこの駐車場は出発だ。



十数分で平城宮跡の朱雀門(すざくもん)の広大な駐車場に到着だ。ほとんど車がまだ停まっていない。それもそのはず8時30分開場で、ほとんど開場と同時だった。 まず、朝食だ。

向こうに見える↑のが朱雀門。

一昨日、飛鳥に近い橿原の藤原宮跡を見た。藤原宮から奈良盆地の北端に近いこの平城宮に遷都されたのが710年。784年に長岡京に都が移るまでの75年間を奈良時代という。奈良時代とは平城時代だ。


朝食も終わった。朱雀門まで歩いていこう。



▲ 朱雀門。1998年に復元された。平城宮の周りは築地塀(ついじべい)で囲まれ、12の門があった。朱雀門は正門。




▲ 朱雀門前の市中の想像図。大道芸人がパフォーマンスをしているのを、人々が見まもる。
この朱雀門から南へ朱雀大路が羅城門(らじょうもん)まで3.7km続き、それが平城京を成していた。




▲ 朱雀門の中に入り、前を見るとはるか向こうに(第一次)大極殿が見える。
実はすぐ手前を近鉄電車が横切っているのだが、これはいずれ迂回ないしは地下化されるらしい。


平城宮を散策する前に、朱雀門の外にある平城宮跡資料館へ行ってみる。




▲ 資料館の前には、遣唐使船の復元したものがある。せんとくんも。
平城宮、平城京の成り立ちをてっとりばやくお勉強できる。




▲ 資料館のあと駐車場に戻りチャリを再び出した。なんせここは広大だから、歩いて回ると時間がかかる。 





▲ さあ、周ろうぜ。目指すは向こうの大極殿(だいごくでん)だ。真っ直ぐには走れないから左回りで行く。




▲ 実際は向こうの大極殿だけ復元されている。あとは、ごらんのとおり野っぱら。1300年前の宮殿跡だから、当然だね。細かいことを言えば、この野っぱらの前は、ここは見渡す限りの「水田」だったのだ。

えっちら、おっちら漕いで着いたよ。



▲ 大極殿。2010年4月に9年の歳月をかけて復元。710年の遷都いらい1300年たっていた。




▲ 大極殿を横から見る。
大極殿は、宮殿の中で最も重要な建物で、天皇の隣席で重要な国家儀式が前の広場にて執り行われた。



▲ 大極殿前の国家儀式の想像図。


大極殿の中に入ってみよう。



▲ 即位の儀式や元日の朝賀(ちょうが)には天皇の玉座(ぎょくざ)である高御座(たかみくら)が置かれた。




▲ 玉座。あそこに座られたのだ。 ギョイッ。

大極殿から南を眺める。



▲ むこうに先ほどの朱雀門が見える。




▲ 大極殿の全景。


ここまで平城宮跡を見たあと、私はチャリオと宮跡を出て、ある所へ向かった。




▲ 近鉄百貨店・奈良近鉄店だ。近鉄大和西大寺駅前にあるのだが、場所がわからなくて聞きまわったよ。

向かったのはデパ地下1階。 あったよ、ヒロさん。



▲ 551蓬莱。ヒロさんが、関東が崎陽軒のシューマイなら関西は蓬莱の肉まんだと(スミマセン正しくは蓬莱の豚まんですゥ)、ブログで激賞する店だ。

セットになっていた豚まん2個320エン焼き餃子10個260エンを買い求めた。
クルマに持ち帰って夜食べてもいいのだが、せっかくの出来立てホカホカだ。
では、私のお得意のデパ屋上でのランチとしよう。



▲ お、ここの屋上は昔なつかしい遊園地になっている。ベンチを一人で占拠して、今日のランチを広げる。(今日はワンコインで済ませられなかったなあ・笑)




▲ 豚まん(左)。うーん??。開けてみると刻み菜が見えたりでサクサク感がウリかなと思ったけれど、そういう食感でもない。じゃ味? 肉の量?。??。特徴が判らない。白い皮が少し厚めだと思った。
餃子(右)。まずくはないけど、普通の餃子。それ以上でもない。

ヒロさん、残念ながら小生には、まずくはないけど・・という感想でした。

今日の昼食はこれでおしまい。(全部食べてしまった。偏ってない?)


大和西大寺駅の裏が、昨日行けなかった西大寺(さいだいじ)だ。そこへ走っていく。



▲ 西大寺本堂。東大寺に対する西の大寺として765年に創建されたもの。
右の階段は、今はなき東塔の基壇と礎石だ。もはや、規模では東大寺に比べることもできない。




▲ 西大寺付属の幼稚園ではないか。さっきから園児の声がしていた。先生に引率されて帰る時は、このお堂の前で「今日も御護りありがとうございます」とか唱えて、帰ったよ。 重要なのは規模じゃないんだよな。



西大寺のあとは、平城宮跡に戻って、宮跡の北側の道を東に一直線に走って宮跡の北東端の内裏(だいり)遺構の有る所へ来た。




▲ 内裏(左)。大極殿はあくまで儀式の所。居住した場所ではない。天皇の普段のくらしは、大極殿の東側の内裏で行われたとか。

役所(右)も別に省別に建物が建てられていたそうだ。




▲ 役所跡が一部復元されていて、中には机・棚などが設置してある。韓流時代劇を見ているようだ。



遺構を見たあと、平城宮の東に隣接する二つの古寺へ向かった。



▲ 法華寺(ほっけじ)。聖武天皇妃の光明皇后が総国分尼寺として創建。




▲ 法華寺本堂。本尊の十一面観音像は光明皇后がモデルといわれる、ふくよかな像だが開示の時期ではなく見れなかった。



▲ 法華寺敷地内にある「から風呂」。ここで光明皇后は千人の垢を流されたという由縁を伝える。さらに、らい病患者と皇后のエピソードは有名。

病は、生きているあいだの我々の最大の苦しみ。病に救済の手を差し伸べてくれる存在に、我々はいつの時代も無条件に光を見る。


次に、すぐ隣の古寺へチャリオを向けた。



▲ 海龍王寺(かいりゅうおうじ) 。これも光明皇后が玄を開基として創建したと伝わる。



▲ 明治時代以降、無住が続き廃寺同然になっていた。1953年に再建された。
門の中の壁は今も一部がくずれ、八重葎(やえむぐら)の蔓がはっている。
奇妙なことに、この廃寺イメージがこの古寺の大きな特徴になっているようだ。




▲ 土壁とこんもりした茂みが、地中海のパティオ風の雰囲気を出している。(お寺が)




▲ 境内に入るにはまた小さな門がある。




▲ 小さな西金堂(さいこんどう)。


ひっそりと、こじんまりしたお寺だった。

海龍王寺から北へ少しいくと、ウワナベ古墳、コナベ古墳があった。




▲ コナベ古墳。満々と水をたたえている。陵墓参考地なのでカタカナ名。このあたりは古墳が多いが、皇室の墓と宮内庁が認めたのが陵墓。陵墓であっても被葬者を特定できないのを陵墓参考地とよぶ。


さあ、予定していたところはほぼ回ったかな。
もう4時だ。日没になる。宮跡の駐車場へ戻らなくては、あそこは5時閉門だ。


▼ 朱雀門が夕日に照らされている・・





▼ Harmony が私を待っている。 おまたせ。





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▼ G湯で。三色そば(左)。それに、今日の昼は豚まんと餃子だけだったから、野菜も摂らなくては。豆腐サラダ(右)。




きょうも、よくチャリオと回った。また腕が少し痛いな。
でもチャリオ、お前のせいではないから。