青い空とわたし

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1日・山の辺の道をたどる

2013年11月18日 12時30分54秒 | 青い空の日は旅立(全般)
11月16日(土)

おはようございます。今日は晴天。

秋の大和路・歴史ロマンの旅の第1日は、山の辺の道をたどることに。
山の辺の道は、古事記や日本書紀にも登場する最古の道といわれる。

まずは、北の方の道、天理から歩き始めよう、ということで石上神宮(いそのかみ)の駐車場へクルマを置いた。



▲ 石神神宮は古代豪族物部氏の氏神だったところ。朝8時だったからか、境内はおごそかな神さびた雰囲気がただよう。




▲ しかし、ここの境内ではあっちこっちからコケコッコーの鳴き声が。ニワトリが約30羽、放し飼いにされているのだ。

コケコッコーの声を後にして、天理市内の方へ歩いて行った。


天理市は日本で唯一宗教団体の名称を市名とするところで、天理教の施設が集中しているようだ。



▲ 桜の紅葉が見事な通用門口の先には天理大学・小学校があった。続いて天理参考館という博物館も。建物は整然としてきれいだ。




▲ 天理教教会本部もある。宗教関係の建物は、見るものを訪れるものを圧倒し、頭を垂れさせるように壮大、華麗、神秘的なものが多い。


天理市をあとにして、クルマを少し南の崇神天皇陵前の駐車場へ移動した。




▲ 弘法大師の創建と伝わる長岳寺へ行く。楼門(重文)と本堂を映す放生池。紅葉の名所とあったのできたが、いまひとつか。


長岳寺のあと、山の辺の道を北上した。これが間違いだった。環濠集落を見に、萱生(かよう)環濠集落まで歩いて行ったのだ。昔外的の侵入を防ぐために周囲の濠(ほり)をめぐらした集落だ。歴史的に古代王朝の跡だと、私が勘違いして行くのにこだわったところ。帰ってから調べてみるとまったくの無関係だった。



▲ 萱生集落。濠の一部が今も残る。みかん畑の中をてくてく歩いていって、ある意味思い出になってしまったので一応アップしておこう。

萱生集落から今度は国道169に出て、崇神天皇陵の駐車場まで戻った。

駐車場から、JR柳本の駅の方へ少し歩いたところに、黒塚古墳があるので次はそこへ。
時間が2時間近く予定よりおしているので、古墳は駆け足的に見ることに。



▲ この全長約130mの前方後円墳は、平成10年の卑弥呼の鏡ともいわれるものが発掘されて、一躍有名になった古墳。古墳の頂上は発掘跡が、今はカバーをかけてある。




▲ 左は縦長の発掘跡を復元したもの。右は三角縁神獣鏡が33面も発見された。これらのレプリカが古墳に隣接する展示館で見られた(無料)。


JR柳本駅から桜井方面の電車12:33に乗った。ここから、山の辺の道が一応終了する桜井駅の一つ手前の三輪駅まで乗った。2駅280円ですぐだ。

お目当ては、大神神社(おおみわ)と三輪山(みわやま)の登拝だ。
大神神社は日本で最も古い神社のひとつ。古来本殿はなく、三輪山をご神体として仰ぐ古代の信仰形態そのものの神社だ。



▲ 大神神社の大鳥居。国道に面して建つ22mの鳥居は周囲に建物がないのでひときわ目立つ。
うしろの山が、ご神体の三輪山だ。


大神神社へは直接いかずに、その隣の狭井神社(さい)へ行く。



▲ 狭井神社。この本殿横に三輪山への登山口、(おっとここでは登山とは呼ばない)登拝口があるのだ。




▲ 入山初穂料300円を払うと、この三輪山登拝証をもらう。このたすきを掛けて登るきまりだ。




▲ 登拝口。ここから登る。横に金剛杖みたいなものがあるこれを持って。登拝中は、飲食禁止。撮影禁止だ。聖なる信仰の対象だからだ。
頂上447mには、岩場の中に祠(ほこら)があった。見晴はまったく無し。標高差は約400m。上までずっと、階段状になっており急登攀はなく登りやすい。1時間35分往復に要した。登拝者の7割方は女性。なんだこの山は(笑)。

余談だが、山の様子を伝えることは禁止がマナー。したがって「あと山頂までどれくらいですか?」とか「山頂は、晴れてましたか?」とかの通常の登山者どうしの会話はアリエナイ。たいていの一般登拝者は「コンチハ」を交わしていたが、白装束のホンチャン登拝者は無言だから、声をかけないように。




▲ 三輪山の登拝を終えたのち大神神社にも寄る。午後3時前。登拝は2時前までの規則だから、登拝を急いだゆえ。





▲ 3時過ぎ。お腹が空いた。無理もない。朝菓子パンを2個食べただけだから。
大神神社のすぐそばの食事処に入る。「大和名物 三輪そうめん」の看板を掲げている。




▲ 三輪はそうめん発祥の地だ。「冷やしそうめん」、「にゅうめん」の二つがメニューにあるので、違いは何か店員さんに聞くと、「にゅうめん」は暖かいそうめんだと。じゃあ「にゅうめん」。

ここのそうめんは、細い。これが三輪そうめんの特徴のようだ。ネギ、細いきのこ、わかめ、なるとがトッピング。味は、レモンかみかん汁が入れてあるのか、柑橘系の味と透き通ったスープで、食べやすい、飲みやすい。ヒロさん風に、スープ全部飲み干してしまい完食。

さあ、山の辺の道旅は続く。出発。

大神神社から、桜井の方へ少し南下。南の山の辺の道の始点の海柘榴市(つばいち)へ。



▲ 昔の海柘榴市が有ったあたり。海柘榴市とは、山の辺の道の他、街道が交わる交易の中心地、市場の有ったところとして、日本書紀、万葉集にも登場する。




▲ 道端に万葉歌碑が置いてある。



▲ 「むらさきは 灰さすものぞつば市の 八十(やそ)のちまたに逢へる児や誰」
  
   訳(紫染めには椿の灰を入れるもの。その椿のある海柘榴市で出会った乙女。あなたは誰?)

と問われ
   
  「たらちねの 母が呼ぶ名を申(もう)さめど 路(みち)行く人を誰と知りてか」

   訳(母から付けてもらった私の名前を教えてもいいけど、すれ違っただけのどこの誰かもわからない方に何と言えばいいかしら)

とかわす。

古代の市場では、男女が集まる。物々交換の機能だけでなく集団見合いの機能を市場は持っていた。歌を互いに詠み掛け合い、フイーリングが合うかを見る。この恋歌を掛けあう場を歌垣と呼んだ。歌を掛けあう、男女が垣根のように並んだから、歌垣と呼ぶようになったらしい。

歌垣で名を問うのは求婚を意味し、答えれば承諾。とはいえ、この作者不詳の万葉歌のように女性は一度ははぐらかすのが常だったよう。時代は変わっても乙女心は複雑だ(笑)。対して男性は、再度別の歌を作って意中の女性に結婚を掛け合ったのだろう。

なんという、古代ロマンだ。

あなたは名前をすぐ教えていませんか。それはいけない、はしたない。
あなたはすぐあきらめていませんか。それは草食的。もう少し男としてくいさがりなさい。(笑)


海柘榴市(つばいち)の地名は桜井周辺にもはや無い。海柘榴市観音堂に名を留めるだけ。

ああ、感慨にふけって時間をつぶしてしまった。
出発。再度、道を北上して戻る。駐車場まで歩いて戻るのだ(二駅分!)。




▲ こんな細い道。もろ山に沿った道も、「山の辺の道」にはある。女性一人歩きは無理だ。



狭井神社を過ぎて、もう一つのスポット檜原神社(ひばら)に到着した。



檜原神社は大神神社の摂社のひとつ。従ってここには本殿も拝殿もない。三ツ鳥居(左)を通して三輪山の頂上の磐座を拝するだけだ。




▲ しかし、私が檜原神社に来たのは三ツ鳥居の反対側を望むと、二上山(にじょうざん)が正面に見え、ここから見る落日は美しいということだったから。

しかし残念ながら、西の方向は雲がかかっており、二上山自体がぼやけていた。それでももう少し待てば、日没後、雲が茜色(あかねいろ)に輝いたかもしれないが、そこまで待っていると本当に暗くなって、駐車場に戻れなくなる。

実際、暗くなってきて、相撲神社のあたりからは山の辺の道をそれて、国道269号へ出た。



▲ 途中、景行天皇陵の前を通る。このスナップは感度を上げて明るいが、実際は午後5時を過ぎているので薄暗い。

景行天皇陵を過ぎて、次の崇神天皇陵の駐車場に戻った時は真っ暗。
それでも、この陵をまだ見ていないので見に行く。



▲ お濠に囲まれた崇神天皇陵。これも感度を上げているだけで辺りは暗い。正面の階段を上っていくときに、翌日も続く躓き(つまずき)が始まる(涙)。階段で、足をとられてコケタのだ。この時は「イテエー」で済んだが。


クルマを少し南下させ、橿原(かしはら)市へ入った。



▲ 橿原市福祉センター「やわらぎの郷」へ。センターへ入るといっても、入浴施設を利用するだけなのだが(笑)。400円。あとで調べると、それは市内人料金。市外人は900円だ。すみませんね、橿原市の納税者の皆さん。

入浴のあとは、かの大和三山の耳成山(みみなしやま)の駐車場に行くが見当たらず。次に藤原宮跡駐車場に行くも暗くて入れるのか閉鎖しているのか不明。次に行ったのが、天の(あめの)香久山の駐車場。5台しか停められないが、当然誰もいない。

突然の闖入者を嗅ぎつけた、隣家の犬が泣き騒ぐ。

「オイ、ワンコ。頼むから泊めさせてくれよな。」 もう完全な流浪の民・車上生活者のSoraだった(笑)。