11月20日(水)
G湯での朝。ご覧↓のとおり晴れていた。
今日は、西の京とよばれる薬師寺、唐招提寺、西大寺のあたりを自転車で回る当初予定だった。
しかし、G湯前の往来の激しい国道24号を見てると、自転車はおじけづいて止めた。
歩いていこう! 軽いほうがいいや、ということで折り畳み傘もクルマの中に置いて出発。
▲ 地図上では、G湯から真っ直ぐに西へ行けば唐招提寺に着くのだ。歩き始めるとすぐ水田・畑の広がる風景になった(左)。しまったな、これなら自転車の方が楽だ・・。20分ほど歩くと、南北に流れる秋篠川を渡る所まできた(右)。ここから南へ少し下れば薬師寺だ。
薬師寺に到着。北の與楽門から入る。雨が降ってきた。あちゃー。今日は帽子も被っていないから、もろ雨に打たれる。回廊で雨宿りしたりしていたが、止みそうにないので周り始める。
▲ 金堂。 薬師寺は薬師の名が示すとおり、天武天皇が皇后の病気回復を願って建立を発願した(680年)のが始まり。その後平城遷都(710年)に伴い飛鳥よりこの地に移された。金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並んでいた。なかでも階と階のあいだに装飾的な裳階(もこし)を施したこの金堂や塔の美しさは、「龍宮造り」と呼ばれたとか。
ま、確かに浦島太郎の竜宮城みたいではある(笑)。
まず、金堂に入ってご本尊の薬師三尊像を拝しさせていただこう。この薬師三尊像は、古代金銅仏像の最高傑作と称される国宝だ。
▲ 外からのスナップ。
出典:Google検索画像
▲ 薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩だ(左)。
私の目を捉えたのは、両脇侍(わきじ)の日光・月光菩薩。ともに、中央の薬師如来の方向へ腰をひねって立つ。そのひねり方がなんとも動的で・・。それにインドは暑いからだろうか、なぜ菩薩様はこうお召しを付けてられないのだろうか。黒光りするお肌も美しいままに・・。
と、私は増々煩悩に捕われるばかりだった(笑)。
他にも薬師三尊はあった。内へひねったポーズもほぼ同じ。しかし、薬師寺の三尊が最も写実美に溢れている。これは見る立場は色々あれども、最高傑作だ。
▲ 西塔。これは焼失したものを、昭和56年に453年ぶりに復興したもの。
本当に見たいのは、やはり”凍れる音楽”という愛称を持つ東塔だ。東塔は薬師寺当初から、唯一そのまま残る建物だからだ。
▲ しかし東塔は現在修復中で、おおいがすっぽり被さり、中はまったくわからない。
そのかわりか、現在は東塔の塔頂の相輪と水煙が公開展示されていた。
▲ 「東塔水煙降臨展」9.16~11.30
▲ 左が相輪。相輪の上に被せられるのが水煙(右)。
▲ 水煙は美術の教科書等に出てくる。透かし彫りの飛天たちが舞い飛ぶ姿を描いている。
▲ 飛天。 飛雲の中を、笛を奏で、花をまき、衣をひるがえして舞う飛天が24人が、透かし彫りになっている。 いわば日本版エンジェルだ。
水煙を鑑賞したあと、與楽門を出て近くの近鉄西の京駅前に行った。傘を売っている店がないか見つけにだ。売っている喫茶店があったが、売り切れ。そうだろうな。突然の雨だもんなあ。
しょうがなく、濡れるままに少し北の玄奘三蔵院伽藍へ歩いていった。
▲ 玄奘三蔵院伽藍は新しい。薬師寺は法相宗。法相宗の始祖が西遊記で有名な玄奘三蔵。その三蔵を祀るところだ。中には、平山郁夫画伯がシルクロードのような壁画を描いてあった。
雨の中、唐招提寺へ向かう途中、食事処があった。
▲ 蕎麦切り よしむら。
▲ 自家挽き国産そばに、色んな野菜が入ったかき揚げと豆腐。さすが関西の味、どれも丁寧な作りで美味だった。 (寒い外から中に入ったため、カメラレンズが曇って写真がボケている)
この店で傘500エンを売っていたので買った。
これで安心と思って外に出ると、雨は止んでいた。
更に北へ歩くと突き当たりが唐招提寺だった。
▲ 突き当たりを右に曲がると、松林に囲まれた唐招提寺の南大門の前になった。
▲ 門をくぐると砂利道の先に、大きく構えているのが金堂だ。井上靖が「天平の甍(いらか)」と呼んだ、大きく豊かに広がりながら簡素な美しさをもつ屋根が特徴だ。
▲ 正面に並ぶ八本のギリシャ風エンタシス列柱の吹き放ちも、その簡素な風情が魅力だ。
さまざまにヒビの入った太いエンタシスに触れると、陽を浴びた柱からぬくもりが伝わった。
▲ 今度は陽が出てきた。天平の甍を見上げる。
唐招提寺は、中国からの鑑真和上の開いたお寺(759年)。
金堂の裏の方には鑑真和上の御影堂がある。
▲ 御影堂のあたりの小道は、紅葉できれいだった。
▲ 陽が出て、明るく映える金堂をもう一度眺めながら、唐招提寺をあとにした。
ここからさらに北にある垂仁天皇陵まで歩いていこう。
▲ 右横を近鉄電車が走っていく、野っぱらみたいなところを歩く。
▲ 第11代垂仁天皇の陵とされる巨大前方後円噴が、広い濠に浮かんでいた。
まだ早いが、今日は頭も体も濡れたから、これで引き揚げよう。
残りは、また明日回ろう。
G湯Pで連泊となった。
G湯での朝。ご覧↓のとおり晴れていた。
今日は、西の京とよばれる薬師寺、唐招提寺、西大寺のあたりを自転車で回る当初予定だった。
しかし、G湯前の往来の激しい国道24号を見てると、自転車はおじけづいて止めた。
歩いていこう! 軽いほうがいいや、ということで折り畳み傘もクルマの中に置いて出発。
▲ 地図上では、G湯から真っ直ぐに西へ行けば唐招提寺に着くのだ。歩き始めるとすぐ水田・畑の広がる風景になった(左)。しまったな、これなら自転車の方が楽だ・・。20分ほど歩くと、南北に流れる秋篠川を渡る所まできた(右)。ここから南へ少し下れば薬師寺だ。
薬師寺に到着。北の與楽門から入る。雨が降ってきた。あちゃー。今日は帽子も被っていないから、もろ雨に打たれる。回廊で雨宿りしたりしていたが、止みそうにないので周り始める。
▲ 金堂。 薬師寺は薬師の名が示すとおり、天武天皇が皇后の病気回復を願って建立を発願した(680年)のが始まり。その後平城遷都(710年)に伴い飛鳥よりこの地に移された。金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並んでいた。なかでも階と階のあいだに装飾的な裳階(もこし)を施したこの金堂や塔の美しさは、「龍宮造り」と呼ばれたとか。
ま、確かに浦島太郎の竜宮城みたいではある(笑)。
まず、金堂に入ってご本尊の薬師三尊像を拝しさせていただこう。この薬師三尊像は、古代金銅仏像の最高傑作と称される国宝だ。
▲ 外からのスナップ。
出典:Google検索画像
▲ 薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩だ(左)。
私の目を捉えたのは、両脇侍(わきじ)の日光・月光菩薩。ともに、中央の薬師如来の方向へ腰をひねって立つ。そのひねり方がなんとも動的で・・。それにインドは暑いからだろうか、なぜ菩薩様はこうお召しを付けてられないのだろうか。黒光りするお肌も美しいままに・・。
と、私は増々煩悩に捕われるばかりだった(笑)。
他にも薬師三尊はあった。内へひねったポーズもほぼ同じ。しかし、薬師寺の三尊が最も写実美に溢れている。これは見る立場は色々あれども、最高傑作だ。
▲ 西塔。これは焼失したものを、昭和56年に453年ぶりに復興したもの。
本当に見たいのは、やはり”凍れる音楽”という愛称を持つ東塔だ。東塔は薬師寺当初から、唯一そのまま残る建物だからだ。
▲ しかし東塔は現在修復中で、おおいがすっぽり被さり、中はまったくわからない。
そのかわりか、現在は東塔の塔頂の相輪と水煙が公開展示されていた。
▲ 「東塔水煙降臨展」9.16~11.30
▲ 左が相輪。相輪の上に被せられるのが水煙(右)。
▲ 水煙は美術の教科書等に出てくる。透かし彫りの飛天たちが舞い飛ぶ姿を描いている。
▲ 飛天。 飛雲の中を、笛を奏で、花をまき、衣をひるがえして舞う飛天が24人が、透かし彫りになっている。 いわば日本版エンジェルだ。
水煙を鑑賞したあと、與楽門を出て近くの近鉄西の京駅前に行った。傘を売っている店がないか見つけにだ。売っている喫茶店があったが、売り切れ。そうだろうな。突然の雨だもんなあ。
しょうがなく、濡れるままに少し北の玄奘三蔵院伽藍へ歩いていった。
▲ 玄奘三蔵院伽藍は新しい。薬師寺は法相宗。法相宗の始祖が西遊記で有名な玄奘三蔵。その三蔵を祀るところだ。中には、平山郁夫画伯がシルクロードのような壁画を描いてあった。
雨の中、唐招提寺へ向かう途中、食事処があった。
▲ 蕎麦切り よしむら。
▲ 自家挽き国産そばに、色んな野菜が入ったかき揚げと豆腐。さすが関西の味、どれも丁寧な作りで美味だった。 (寒い外から中に入ったため、カメラレンズが曇って写真がボケている)
この店で傘500エンを売っていたので買った。
これで安心と思って外に出ると、雨は止んでいた。
更に北へ歩くと突き当たりが唐招提寺だった。
▲ 突き当たりを右に曲がると、松林に囲まれた唐招提寺の南大門の前になった。
▲ 門をくぐると砂利道の先に、大きく構えているのが金堂だ。井上靖が「天平の甍(いらか)」と呼んだ、大きく豊かに広がりながら簡素な美しさをもつ屋根が特徴だ。
▲ 正面に並ぶ八本のギリシャ風エンタシス列柱の吹き放ちも、その簡素な風情が魅力だ。
さまざまにヒビの入った太いエンタシスに触れると、陽を浴びた柱からぬくもりが伝わった。
▲ 今度は陽が出てきた。天平の甍を見上げる。
唐招提寺は、中国からの鑑真和上の開いたお寺(759年)。
金堂の裏の方には鑑真和上の御影堂がある。
▲ 御影堂のあたりの小道は、紅葉できれいだった。
▲ 陽が出て、明るく映える金堂をもう一度眺めながら、唐招提寺をあとにした。
ここからさらに北にある垂仁天皇陵まで歩いていこう。
▲ 右横を近鉄電車が走っていく、野っぱらみたいなところを歩く。
▲ 第11代垂仁天皇の陵とされる巨大前方後円噴が、広い濠に浮かんでいた。
まだ早いが、今日は頭も体も濡れたから、これで引き揚げよう。
残りは、また明日回ろう。
G湯Pで連泊となった。