11月19日(火)
朝、天理のKランドから西方の生駒郡斑鳩町へ移動してきた。天気は今日も雨模様。
ある運動施設の無料駐車場に停める。
斑鳩(いかるが)はその昔、聖徳太子が斑鳩宮を601年に造営し移り住んだ由緒ある所だ。
また太子は斑鳩伽藍群(法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺)を建立したと考えられている。
今日はここを散策する計画だ。
無料駐車場からは、当初は自転車で回ろうと計画していたが、手の負傷もあるし雨模様では止めたほうがよい。自分の足で歩きまわろう、ということで法隆寺へ向けて出発。
▲ このあたりはかって法隆寺の大工集団が住んでいた西里集落。白壁の土蔵や築地塀が残る細い道をたどっていくと法隆寺の西大門へ着く。南大門がいわば正門だから、裏口から法隆寺に入るようなものだ(笑)。
▲ 西大門をくぐると、右手には法隆寺を囲む白い土塀がずっと奥の、夢殿に至るまで続いているのが見える。少し歩むと左手に出てきた。あの有名な五重塔が、松林に囲まれて出てきた。塔はいくらでも見てきたが、やはり雰囲気というか格調が明らかに違う。端正だ。
▲ 雨で白くけむる、日本最古の五重塔。他の塔と違って朱色が塗ってない、というか剥げたのか、白くなった木のままだ。最下部の格子などは古くなって板目がはずれそうな気すらしてくる・・。
四方の入り口からは他の塔と違って、塔の内部が覗ける。内陣とよばれる内部には、釈迦の生涯の塑像パネルがはめ込んであるのだ。
▲ そして法隆寺の中央に位置する金堂。中には聖徳太子の冥福を祈って推古天皇に造られた(623年)釈迦三尊像(国宝)↓が安置されていた。
出典:google検索画像
▲ ご本尊は、面長な顔にほのかな笑みを浮かべている。アルカイックスマイルだ。古代ギリシャのアルカイク期(紀元前700~500)には笑みを浮かべている彫像が多いことからきている。生命観と幸福感を演出するためのものだと(Wiki)。飛鳥仏によくみられるスマイルだ。
ただでも気難しいと思われる(笑)私は渋面ではなくて、アルカイックスマイルを常としたいものだ。
▲ 中門と回廊(左)は五重塔と金堂を壮麗に包み込んでいる。回廊を支える柱は下部がわずかに絞られたエンタシス状だ(右)。
▲ 回廊から金堂と五重塔をもう一度眺めて、西院伽藍とよばれるこの法隆寺の中心部を出よう。
▲ 西院伽藍を出ると左手に鏡池があり、池の側には正岡子規の句碑が立っていた。
いよいよ、この大和路の旅で最も見たかった仏像にお会いに行くとしよう。
百済観音像だ。どのように造られたのか等の出自は不明なミステリアスな美仏。
長らく安置する場所がなかったが、平成10年秋に百済観音堂が造られた。
▲ 大宝蔵院。この建物の奥に特別に百済観音堂がある。その美仏は大きなガラスケースの中に納められ、我々は前・左右横から拝することができる。
出典:Google検索画像
▲ 高さ210.9cm。制作年代は飛鳥時代、7世紀前半~中葉とされる。
後背の焔(ほのお)とともに、すらりと上に伸び上るような体躯。少し前屈した両膝は上部の体躯を後ろに反らせて、細身の体躯の優美さをより強調する。8頭身の・・とよく描写されるが、実際は10頭身もありそうで(笑)、ありえないプロポーションだ。
親指と小指だけでつまむように小瓶を持つしぐさも繊細で美しい。
そしてお顔は、先の釈迦三尊と同じくやや下ぶくれで、童話的面影(おもかげ)を残してアルカイックスマイルをたたえる・・。ああすごいな~。
ただ、正面からのこのかすかな悦(よろこ)びを含んだ女性的な微笑も、右横に回って眺めると、光の加減からか、太い眉が黒く前面に突出しているように見え、元の色の剥奪によって黒くなった頬はお顔全体の浅黒さとして映り、男性の厳しさを含んだ顔に変貌する・・ように私には見えた。
その時、観音様に自分の心が覗(のぞ)かれたようで身構える。
「深淵(しんえん)を長く窺(うかが)えば、深淵もまた汝(なんじ)を窺うであろう」(ニーチェ)みたいな・・・
*****************
丹念にみているうちに、午後1時を過ぎた。お腹も空いた食事にしよう。
▲ 南大門を出て、法隆寺門前の前に(左)。門前通りは幅が広くずっと向こうまで続く。
てっとり早く、右側の一番手前にあった「松本屋」というお店に入った。
▲ 「季節限定」と大きくうたっていた「茶粥(ちゃがゆ)定食」を頼んだ。
茶粥とは米を茶を入れて炊いた粥。大和では1000年以上前からの伝統食のようだ。
この粥は粘り気がなく、さらさら。淡泊。はっきりいって別にうまいもん、ではない。
他に豆腐がついていた。今晩は肉を食べようと決意した。
▲ 食事のあと、壁ぞいに東院伽藍の方へ歩いて行った。向こうの突き当たりに夢殿の建物が見える。
▲ 夢殿(ゆめどの)。 金堂、五重塔が飛鳥時代のものに対して夢殿は、行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで奈良時代の739年に建てたもの。
聖徳太子が図柄の旧一万円札は、透かしてみると真ん中にこの夢殿が現れたのだが・・(もう知らないよね・笑)
ここには聖徳太子等身の救世観音(くせかんのん)を安置する。この救世観音も太目の唇で、謎めいた微笑アルカイックスマイルで有名だが、薄暗い御堂でよく見えず印象無く、画像省略。
▲ 夢殿の裏には、中宮寺↑がある。もともとは聖徳太子の母が創建された尼寺。写真の本堂は昭和43年に新たに造られたもの。この中に本尊、菩薩半跏像が安置されていた。
▲ あまりにも有名な中宮寺・半跏思惟像(はんかしゆいぞう)(左)。足を組んで台座に腰掛け、右手を頬にあて思索する半跏思惟の美しい姿だ。この優美な微笑は、アルカイックスマイルの典型。中宮寺のパンフによると、エジプトのスフインクス、レオナルドダビンチのモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と呼ばれるそうだ。(スフィンクスは笑ってたかな?)
何を思惟しているか? 「人間の救いをいかにせん」だ。
大和路に出発する前に読んできた、亀井勝一郎著「大和古寺風物誌」で、亀井氏はロダンの「考える人」と比較している。
それによると、ともに現生の地獄について考えているわけだが、「考える人」は論理を追及する厳しさが感じられ、精密な分析力や体系を組織する力が、あの一つ一つの筋肉に宿っているようだ。しかし半跏思惟像にはそういう面影はない。かといって、眼前の地獄をしかと見つめずに夢想にふけっているわけではない。この菩薩が見るということは、捨身(しゃしん)を意味すると。簡単に言ってしまえば身も心も仏陀に委ねた、法悦の至境にあるということだろう。仏陀の哲学をはじめて受け取った飛鳥人は、直(す)ぐな心でこの教えに陶酔したのであろうと。
ふうーむ。理詰めの思索と捨身の法悦、どちらがいいのかまた渋面で考えてしまうSoraだ。
法隆寺・中宮寺を後にして、斑鳩の里を北に歩いていくことにした。雨は止んでいた。
ため池を二つ、墓場を一つ過ぎて、まばらな人家と田畑の間を歩いていった。
▲ 柿畑の向こうに、法輪寺の三重塔が見えてきた。法輪寺は聖徳太子の子山背大兄王子が太子の病気恢復を願って創建したと伝わる。ここは中に入らなかった。
▲ 法輪寺を東に折れて真っ直ぐに畑の中を行くと、今度は法起寺に到着。
法起寺も聖徳太子ゆかりの寺。706年に建立された三重塔は現存する日本最古の三重塔で国宝。世界遺産としても登録されている。
さあこれで、斑鳩の里の聖徳太子ゆかりの古寺・古仏めぐりは無事終わった。
また、南に向かって歩いて戻る。
朝出だしに通り過ぎた西里集落の近くには藤ノ木古墳がある。そこに寄ってみる。
▲ 6世紀後半のものとみられる藤ノ木古墳。昭和60年代に行われた発掘調査で、豪華な金銅製馬具や冠などの副葬品や2体の人骨が出土し、話題を呼んだ所だ。
**************
公共施設の駐車場に戻り、今日のねぐらへ向けて出発だ。
今度は、奈良市の中心に近いところだ。
▲ ここはスーパー銭湯と食品スーパーが同じ敷地内にあり生活の拠点とするには便利だ(笑)。
▲ 入浴のあとの食事は、そう、肉にした。 ジューシー豚カツ定食830エンと豆腐サラダ350エン。
風呂上りは美味しいよ。
今日はよく歩いた。 お疲れさん。
朝、天理のKランドから西方の生駒郡斑鳩町へ移動してきた。天気は今日も雨模様。
ある運動施設の無料駐車場に停める。
斑鳩(いかるが)はその昔、聖徳太子が斑鳩宮を601年に造営し移り住んだ由緒ある所だ。
また太子は斑鳩伽藍群(法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺)を建立したと考えられている。
今日はここを散策する計画だ。
無料駐車場からは、当初は自転車で回ろうと計画していたが、手の負傷もあるし雨模様では止めたほうがよい。自分の足で歩きまわろう、ということで法隆寺へ向けて出発。
▲ このあたりはかって法隆寺の大工集団が住んでいた西里集落。白壁の土蔵や築地塀が残る細い道をたどっていくと法隆寺の西大門へ着く。南大門がいわば正門だから、裏口から法隆寺に入るようなものだ(笑)。
▲ 西大門をくぐると、右手には法隆寺を囲む白い土塀がずっと奥の、夢殿に至るまで続いているのが見える。少し歩むと左手に出てきた。あの有名な五重塔が、松林に囲まれて出てきた。塔はいくらでも見てきたが、やはり雰囲気というか格調が明らかに違う。端正だ。
▲ 雨で白くけむる、日本最古の五重塔。他の塔と違って朱色が塗ってない、というか剥げたのか、白くなった木のままだ。最下部の格子などは古くなって板目がはずれそうな気すらしてくる・・。
四方の入り口からは他の塔と違って、塔の内部が覗ける。内陣とよばれる内部には、釈迦の生涯の塑像パネルがはめ込んであるのだ。
▲ そして法隆寺の中央に位置する金堂。中には聖徳太子の冥福を祈って推古天皇に造られた(623年)釈迦三尊像(国宝)↓が安置されていた。
出典:google検索画像
▲ ご本尊は、面長な顔にほのかな笑みを浮かべている。アルカイックスマイルだ。古代ギリシャのアルカイク期(紀元前700~500)には笑みを浮かべている彫像が多いことからきている。生命観と幸福感を演出するためのものだと(Wiki)。飛鳥仏によくみられるスマイルだ。
ただでも気難しいと思われる(笑)私は渋面ではなくて、アルカイックスマイルを常としたいものだ。
▲ 中門と回廊(左)は五重塔と金堂を壮麗に包み込んでいる。回廊を支える柱は下部がわずかに絞られたエンタシス状だ(右)。
▲ 回廊から金堂と五重塔をもう一度眺めて、西院伽藍とよばれるこの法隆寺の中心部を出よう。
▲ 西院伽藍を出ると左手に鏡池があり、池の側には正岡子規の句碑が立っていた。
いよいよ、この大和路の旅で最も見たかった仏像にお会いに行くとしよう。
百済観音像だ。どのように造られたのか等の出自は不明なミステリアスな美仏。
長らく安置する場所がなかったが、平成10年秋に百済観音堂が造られた。
▲ 大宝蔵院。この建物の奥に特別に百済観音堂がある。その美仏は大きなガラスケースの中に納められ、我々は前・左右横から拝することができる。
出典:Google検索画像
▲ 高さ210.9cm。制作年代は飛鳥時代、7世紀前半~中葉とされる。
後背の焔(ほのお)とともに、すらりと上に伸び上るような体躯。少し前屈した両膝は上部の体躯を後ろに反らせて、細身の体躯の優美さをより強調する。8頭身の・・とよく描写されるが、実際は10頭身もありそうで(笑)、ありえないプロポーションだ。
親指と小指だけでつまむように小瓶を持つしぐさも繊細で美しい。
そしてお顔は、先の釈迦三尊と同じくやや下ぶくれで、童話的面影(おもかげ)を残してアルカイックスマイルをたたえる・・。ああすごいな~。
ただ、正面からのこのかすかな悦(よろこ)びを含んだ女性的な微笑も、右横に回って眺めると、光の加減からか、太い眉が黒く前面に突出しているように見え、元の色の剥奪によって黒くなった頬はお顔全体の浅黒さとして映り、男性の厳しさを含んだ顔に変貌する・・ように私には見えた。
その時、観音様に自分の心が覗(のぞ)かれたようで身構える。
「深淵(しんえん)を長く窺(うかが)えば、深淵もまた汝(なんじ)を窺うであろう」(ニーチェ)みたいな・・・
*****************
丹念にみているうちに、午後1時を過ぎた。お腹も空いた食事にしよう。
▲ 南大門を出て、法隆寺門前の前に(左)。門前通りは幅が広くずっと向こうまで続く。
てっとり早く、右側の一番手前にあった「松本屋」というお店に入った。
▲ 「季節限定」と大きくうたっていた「茶粥(ちゃがゆ)定食」を頼んだ。
茶粥とは米を茶を入れて炊いた粥。大和では1000年以上前からの伝統食のようだ。
この粥は粘り気がなく、さらさら。淡泊。はっきりいって別にうまいもん、ではない。
他に豆腐がついていた。今晩は肉を食べようと決意した。
▲ 食事のあと、壁ぞいに東院伽藍の方へ歩いて行った。向こうの突き当たりに夢殿の建物が見える。
▲ 夢殿(ゆめどの)。 金堂、五重塔が飛鳥時代のものに対して夢殿は、行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで奈良時代の739年に建てたもの。
聖徳太子が図柄の旧一万円札は、透かしてみると真ん中にこの夢殿が現れたのだが・・(もう知らないよね・笑)
ここには聖徳太子等身の救世観音(くせかんのん)を安置する。この救世観音も太目の唇で、謎めいた微笑アルカイックスマイルで有名だが、薄暗い御堂でよく見えず印象無く、画像省略。
▲ 夢殿の裏には、中宮寺↑がある。もともとは聖徳太子の母が創建された尼寺。写真の本堂は昭和43年に新たに造られたもの。この中に本尊、菩薩半跏像が安置されていた。
▲ あまりにも有名な中宮寺・半跏思惟像(はんかしゆいぞう)(左)。足を組んで台座に腰掛け、右手を頬にあて思索する半跏思惟の美しい姿だ。この優美な微笑は、アルカイックスマイルの典型。中宮寺のパンフによると、エジプトのスフインクス、レオナルドダビンチのモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と呼ばれるそうだ。(スフィンクスは笑ってたかな?)
何を思惟しているか? 「人間の救いをいかにせん」だ。
大和路に出発する前に読んできた、亀井勝一郎著「大和古寺風物誌」で、亀井氏はロダンの「考える人」と比較している。
それによると、ともに現生の地獄について考えているわけだが、「考える人」は論理を追及する厳しさが感じられ、精密な分析力や体系を組織する力が、あの一つ一つの筋肉に宿っているようだ。しかし半跏思惟像にはそういう面影はない。かといって、眼前の地獄をしかと見つめずに夢想にふけっているわけではない。この菩薩が見るということは、捨身(しゃしん)を意味すると。簡単に言ってしまえば身も心も仏陀に委ねた、法悦の至境にあるということだろう。仏陀の哲学をはじめて受け取った飛鳥人は、直(す)ぐな心でこの教えに陶酔したのであろうと。
ふうーむ。理詰めの思索と捨身の法悦、どちらがいいのかまた渋面で考えてしまうSoraだ。
法隆寺・中宮寺を後にして、斑鳩の里を北に歩いていくことにした。雨は止んでいた。
ため池を二つ、墓場を一つ過ぎて、まばらな人家と田畑の間を歩いていった。
▲ 柿畑の向こうに、法輪寺の三重塔が見えてきた。法輪寺は聖徳太子の子山背大兄王子が太子の病気恢復を願って創建したと伝わる。ここは中に入らなかった。
▲ 法輪寺を東に折れて真っ直ぐに畑の中を行くと、今度は法起寺に到着。
法起寺も聖徳太子ゆかりの寺。706年に建立された三重塔は現存する日本最古の三重塔で国宝。世界遺産としても登録されている。
さあこれで、斑鳩の里の聖徳太子ゆかりの古寺・古仏めぐりは無事終わった。
また、南に向かって歩いて戻る。
朝出だしに通り過ぎた西里集落の近くには藤ノ木古墳がある。そこに寄ってみる。
▲ 6世紀後半のものとみられる藤ノ木古墳。昭和60年代に行われた発掘調査で、豪華な金銅製馬具や冠などの副葬品や2体の人骨が出土し、話題を呼んだ所だ。
**************
公共施設の駐車場に戻り、今日のねぐらへ向けて出発だ。
今度は、奈良市の中心に近いところだ。
▲ ここはスーパー銭湯と食品スーパーが同じ敷地内にあり生活の拠点とするには便利だ(笑)。
▲ 入浴のあとの食事は、そう、肉にした。 ジューシー豚カツ定食830エンと豆腐サラダ350エン。
風呂上りは美味しいよ。
今日はよく歩いた。 お疲れさん。