青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

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走っていきたくなります

2日・飛鳥を走る

2013年11月19日 00時33分33秒 | 青い空の日は旅立(全般)
11月17日(日)

香久山の駐車場にて朝を迎える。



▲ 後ろの山が、大和三山の一つ香久山。ずいぶん平たい山だな。明日、三山を登る予定。


今日は、古代ロマンの里・明日香地区をmyチャリでめぐる。
甘樫丘(あまかしのおか)の無料駐車場へ向かう。



▲ 甘樫丘の駐車場に8時過ぎに入る(左)。簡単な朝食のあと、さあサイクリングだ。ということでクルマの後部から折りたたみチャリを出す。駐車場でちょっと乗り回してみる。タイヤが小さいので乗った感じが固くて振動が直に尻に当たる。小さいから走行安定性は悪い。ハンドルがくらくらぶれる。
まあ、しょうがないかなあ。

小さいリュックを背負い9時過ぎに出発。
そのとたん、思いもよらないアクシデント発生!!



▲ 駐車場先のこの坂を下り始めたとたん、スピードが出た。どう止めていいかわからなーい!!

ほんと、アホだねー。グリップを握ればブレーキになるということを、もう完全に忘れていた
坂の下は、クルマが左右激しく通る車道。突っ込むわけにはいかない! で、私はチャリを横に倒した、というか自ら倒れた。止まるための原初的方法だ(笑)。

次の瞬間、左側の肩・胴体をザラメ状のコンクリート坂に打ち付けた。チャリは止まった。
手がと足に痛みがあったが、それでもよろよろと立ちあがって、チャリを引きづって、どうにかクルマへ戻った。

心的ショックで頭がぼーっとしている。。じーっと心の衝撃が収まるまで待った。心因性ショック死というのがあるのは知っていたが、ほんとだ。初めての体験。心の動揺が収まって、手を見ると甲、指をすりむいて、皮が1cm四方で数か所剥けて血が出ている。血液の粘度を下げるアスピリンを飲んでいるのに、血がだらだら止まらないわけではない。にじんでくる程度だ。

30分ほど休んでいた。血も固まってきたので、ティッシュで上から包んで、毛糸の手袋をして、それでまたチャリで走ることにした。(自分でも、まだ走るというという判断をする自分はヘンだと思う)

手も足も痛いが動かせないことはない。打ち身だけで、骨折とかではない。ということで、チャリにまたがって、ブレーキを掛ける練習をして(笑)、出発。



15分ほどで近くの飛鳥寺に到着。



▲ 駐輪所にチャリを置いて、受付で困った。手袋をとらなくては、小銭を出せない。手袋を脱ぐと血だらけの手が見えた。驚いたのは受付の女性。「どうしたのですか、それは!」
ブレーキのかけ方を忘れたとは言えないので、坂で転んだとだけ言った。「バンドエイドを持ってきます。」 親切な方だ。
ということで、大・中・小のバンドエイドを貼っていただいた。ありがとうございました。


飛鳥寺は蘇我馬子が6世紀末に建立した日本初の本格的寺院。



▲ ここで有名なのは、飛鳥大仏の通称で親しまれるこの本尊釈迦如来坐像だ。鞍作止利が7世紀初めに作った日本最古の仏像だ。撮影可なので撮らせてもらう。




▲ 武士のような厳格な顔立ち、アーモンド形の目、細長めの首が飛鳥仏の特徴を表しているとか。
私はあの分厚い両手に惹かれた。あの手なら衆生を救うことができるかもしれないと。




▲ 本堂。この中に飛鳥大仏がどっしりと昔から鎮座している。




▲ 飛鳥寺の裏口を出てすぐのところに、蘇我入鹿の首塚がある。大化の改新で斬殺された入鹿の首を埋めた場所とされる。入鹿は馬子の孫。首塚の後ろに見える丘が、私が駐車している甘樫丘だ。この甘樫丘に、蘇我入鹿の邸宅があったのだ。




▲ 首塚から眺めた飛鳥寺。 いかにも飛鳥の寺という感じの、のどかさだが、中大兄皇子(後の天智天皇)らが、権勢をふるった蘇我氏本宗家を滅ぼすというクーデターが起こした地でもある。


飛鳥寺の後、近くの奈良県立万葉文化館というところへ行った。



▲ 万葉集を中心に古代文化を紹介するミュージアムのようだ。
覗いてみると、今日は関西文化の日とかで無料! もちろん入った。




▲ 最初にあの歌垣を行っている人形展示があった。単に求愛歌を定律で作るだけでなく、固定的な旋律で歌ったようだ。約束事を守りながら即興でうたう技量と教養を必要とし、かつ相手の気を惹かねばならない。大変だね。




▲ 万葉文化館の横の山の竹林に酒船石(さかふないし)がポツンとある。酒を搾るために作られたというが不明。石の造形物は朽ちずに残るため、意図不明の石造物が飛鳥にはあちこちに残る。




▲ 少し小高くなったところにある厄除けの岡寺。三重の塔が新品できれいだった(笑)。


岡寺へは、チャリをひいていったが、後は滑るようにチャリを走らせる。
もうブレーキ操作は習得した(笑)



次に来たのは、石舞台古墳だ。ここは、人もクルマも集まる人気スポットだ。

時間はもう2時だ。昼食を食べなくては。



▲ すぐそばにあった農村レストラン夢市茶屋に入る。



▲ ガイドブックにも載っていた古代米御膳1050エン。赤米も味わい深かったが、チキンの唐揚げがうまかった(笑)。


さあ、お腹もいっぱいになった。石舞台を見よう。



▲ 石舞台は古墳だから、濠を渡って上へ登る。




▲ (飛鳥寺を建立した)蘇我馬子の墓という説が有力だ。地上に見えている巨石は元々は土が被さっていたのが、自然変化で露出してしまったらしい。巨石の上部が平らで舞台のようだから石舞台と名付けられたらしい。




▲ 前からみるとこれが横穴式石室だということが明確だ。巨石を三段積み上げて壁にしてあり、上の三段目から露出している。
石室の中は高く広い。




▲ すると男女が、石室の高さを強調するためか、肩車をしたポーズをセルフタイマーで写真を撮り始めた。 言葉から大和人(やまとびと)の末裔だ。

それにしてもああ、大和撫子(やまとなでしこ) いまいずこ・・(笑)。




▲ お濠から離れて石舞台を見ると方墳だということがよくわかる。


チャリにはナビが付いていないので、どの方角へ行ったらよいものかまごついたが、慣れてきた。
うまく散策の道が作ってある。



▲ 山のふもとの橘寺へ向かう道だ。




▲ 本堂(左)と観音堂(右)。橘寺は聖徳太子の生誕地に太子自身が建立したと伝わる。




▲ 紅葉がより一層この古寺の趣を深くしている。




▲ 小さな古びた門をくぐり外に出てみる。




▲ 陽が赤く傾いて、飛鳥の田園を照らす。




▲ 駐輪場には私のチャリ1台が残っていた。


飛鳥サイクリングロードも、いよいよ最後。明日香駅に近い高松塚古墳へ向かった。



▲ 丘状の整備されたフイールドの中を進んでいく。





▲ プディンみたいに盛られた古墳が高松塚古墳だ。ここから昭和47年に飛鳥美人と表現される女子群像、白虎や青竜などの四神図の壁画が見つかった。

もともとは、この古墳はその上に柿木がなっているだけの荒れた丘陵地だったのだが、今は芝生も植えられきれいに整地されている。




▲ 少し高台からこのプディン状の高松塚古墳を眺める。





▲ このあたりの景観。うねうねと丘やら小高い山が連なる。他の地方にはあまりないように思う。整地されずに、保存地区として明日香は守られてきたからだろうか。


サイクリング行程を終えて、うす暗くなった中、チャリを引きつつ甘樫丘の駐車場へ戻る。
途中甘樫丘に上がる角のコンビニで、バンドエイド、消毒液、八宝菜中華麺を買っていく。

クルマの中で手をみると右手手首が痛く腫れてきた。振動のある自転車のハンドルを握っていたから、今になって痛くなってきたのだろう。

OH NO!!

雨も降ってきた。でも風呂に行かなくては。チャリを積み込んで準備。




▲ 運転してみると、右手が痛くてハンドル操作がしにくい。それでも、10分ほどで明日香村の太子の湯に到着。

風呂から戻るころには、ザーザー降りになっていた。

腫れた右手を見ながら、明日は腫れが引いているだろうか、運転できるだろうか・・
骨が折れていることはないよなあ。保険証も持ってこなかったし・・

と大和路の夜、不安になってくるSoraだった。