平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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先駆者  与謝野晶子

2010年04月01日 | Weblog
歴史の先駆者
        与謝野晶子
        明治11年(1878)-昭和17年(1942)
          歌人 作家、思想家、教育者

 与謝野晶子が活躍したのが明治37年頃であった。まだ女性が何もいえない時代であった。正論を言えば女性ということで反発された。しかし、負けなかった。堂々と言った。平和への叫び、生命の尊さを歌にして訴えたのだった。

晶子は大阪の老舗の菓子屋の家に生まれた。女学校卒業後詩歌創作し雑誌などに投稿した。34年に歌集(みだれ髪)を発表し注目された。のち、結婚し5男録所6女を育てながら文芸誌などに投稿しながら女性地位向上を思唯、投稿で女性の自立、権利などを訴え女性を励ましたのだった。

晶子の作品は、当時の軍部と反対の平和を歌ったものだった。故に、当時は天皇制度の政治であったので、こころのない輩の反発もあった。天皇に逆らう大逆人など罪人扱いの叫びもうけた。しかし、負けなかった。己の信じた道に進んだのだった。

パリーなどに短期留学した。帰国後欧州の婦人の社会での活躍、また、社会奉仕の姿を通して要求すべき正当な権利は教育と女性教育の必要性を訴えた。のちに、は日本初の男女共学校を建設したのだった

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