平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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2009年08月15日 | Weblog
 インパール作戦
 昭和17年2月 開始 インド東部に在する英軍兵力拠点地を侵略する作戦。それには、ヒマラヤ系の3000Mの山を踏破必要だった。これが無謀で困難問題だった。
参加兵隊 8万6千人   生き残ったのが1万2千人

解説
 陸軍の無謀な命令により多数のひとが暑さ、飢えなど戦死された。武器もない、食料もない。ないないであるからひどい。運が良い人で、草やねずみなどを食べたから生き残れたという証言がある。

 軍隊の命令で戦地に追いやれた。命令に逆らうものは監獄である。新兵をいじめにいて、そして、武器もない外地へ生かされる。インパール作戦は特に悪質として名高い。暑い国へ
食料もない、武器もないのに行かされ、熱病におかされても進めの号令である。食料もないのに号令である。現場でなく、司令塔からの命令であった。その指令部では酒の三昧だからたちが悪い。行け、いけの号れいだもの。ひどいものである。

 日本軍の司令部がこれほどまでに堕落したのは何の原因なのか、欲望に支配され、上官に逆らえない体質であったことも考えられる。本来、大和の魂は、強者をくじき、弱きを助け、友情を大切にし、先輩を、親を、後輩を大切にする精神だった。武士をみよ、意気盛んであった。信長軍、家康の部下、本田軍の意気盛んな攻撃、豊臣軍の天下制覇の武士魂、武田の騎馬隊、近年には、日露戦争の日本軍の攻撃、乃木、児玉、大山等それこそ大和魂の勇ましさだった。

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