平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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  6 原爆は恐い 3話 続 

2009年02月28日 | Weblog
 権力の横暴は恐い。悪い政治で、税金が高くなり庶民の生活が厳しくなると当然にその苦言が天に響く、そうすると国はよけいに乱れ濁る。そのスキを魔が狙ってくる。魔は不幸を喜ぶからである。例とするなら、昔、中国の三国志の前の出来事がそうである。国が内乱し、乱れ、治める王は無気力、そして、庶民が泣かされた。これでは国が堕落すると危険で曹操などの英雄が出た。しっかりした王が出れば国が治まる。しかし、内乱の時に庶民が泣く、その泣くのを防止するには、常に監視が必要だ。権力の横暴は庶民が泣くからである。権力の横暴ははほっとけば戦争にもなりかねない。大戦で多くなくなったのもそれが原因である。広島、長崎に原爆が落とされたのもそれが原因である。
 1956年(昭和31年)横浜三ツ沢競技場で大きな青年の祭典が行われた。主催は創価学会である。その祭典で、戸田城聖第二代会長が有名な(原水爆禁止誓言)をされた。その誓言のなかに、権力の魔の恐ろしさがわかる。原水爆は多大な生命を奪う。生きる人間の権力を奪う。子供、青年、壮年、婦人たの生命を奪う。その爆弾の威力は計り知れないものがある。広島型えでも苦しみあえぎ何十年もふ不安の生活をし寝たっきり、顔に傷がつき馬鹿にされ差別され肉親は死に街には遺体があふれ学校の校舎のには何日間も遺体を焼く。考えただけでもひどいものがある。恐いものだ。横暴者には泣かされないためにも監視である。
 現在、世界はさまざまである。戦争している国もある。飢餓でなかされている国もある。内乱で難民となっている人々も多くいる。国によっては恵まれている国もある。だから、国の汚職などを目をつぶっていては、にらまれるだろう。魔がスキを突くだろう。つぶれる会社のようにすきをつかれる。故に、監視である。横暴な権力を。どちらも。

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