平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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Trip Memory 勿来跡

2021年11月16日 | Weblog

Trip Memory  2011年11月の旅

 

福島   いわき 勿来跡

 

2011年9月11日いわき、勿来の関跡1泊2日の旅にいった。いわきは原発事故現場から約40キロさきにある。故に、現地の放射能対策に注目していたが、普段と都内と変わらなかった。政府の発表が安全内のレベルであるから当然なのだろう。20キロ以内の危険区域だと警備体制も厳重なのであろう。いわきは発表では、放射能は安全区域である。しかし、水などの目に見えない安全対策は関係管理者と住民の連携体制は欠かせないだろう。役所の連絡不備は住民の不信感を呼び問題になりかねない。たださえ、政治不信があるときであるから、役所は、飲料水など正しき放射能レベルを公表の義務があるし、庶民に安心させる仕事は当然である。

いわきの観光というと、勿来関跡(写真)が、歴史的にも古く、名が通っている。故に、トップクラスであろう。勿来関は平安時代、朝廷の武将、源義家が東北蝦夷退治にここを関所とし、蝦夷の南下をくい止めたのだった。のちに、義家は東北遠征に功績で関東に源家の棟梁とした。またここは、能因法師ら古くから、その存在を歌われている。能因法師(1013年出家)は甲斐、陸奥を旅し多くの和歌を残している。また、松蔭も東北の旅には勿来を訪れている。

 いわきは福島で面積が一番でさまざまな観光をある。残念なのは、原発事故の影響で安全な地域も誤った情報が流れ、また、機関の放射能レベル発表を誤って捉えるなど悪評に惑わされ、観光客の足が鈍っていることである。