Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 116

2020年09月16日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

本朝無題詩(漢詩集) 作者生没年未詳。後朱雀~白河の四朝(1036~1086)に仕える大江佐国作から

43「翫卯花」

薔薇含露争前砌 蘭蕙待秋嬾遠皐
(薔薇は露を含みて前なる砌〔みぎは:階下の石畳〕に争ひ 蘭蕙は秋を待ちて遠き皐〔さは:水際〕に嬾〔ものう〕し)

                                    

梵芳(1348-1424)筆(ぎょくえんぼんぽうひつ)蘭蕙

縦106.5 横34.5 南北朝時代 14世紀

「蘭蕙同芳」は,蘭と蕙がともによい香りを発するので,優れた人徳のたとえに用いられることに由来する。蕙は香り草の意。                 

 

今昔物語集(1120年頃)の中に一話あります。

巻13第12話 長楽寺僧於山見入定尼語 第十二から

http://yatanavi.org/text/k_konjaku/k_konjaku13-12に現代語訳があります、参考になさって下さい。

今昔、京の東山に長楽寺※と云ふ所有り。其の所に仏の道を修行する僧有けり。花を採(つみ)て仏に奉らむが為に、山深く入て、峰々谷々を行く間に日晩れぬ。然れば、樹の下に宿しぬ。

亥の時許より、宿せる傍に、細く幽に貴き音を以て、法花経を誦する音を聞く。僧「奇異也」と思て、終夜聞て思はく、「昼は此の所に人無かりつ。仙人など有けるにや」と、心も得ず貴く聞き居たる間に、夜漸く曙て白らむ程に、此の音の聞ゆる方を尋て漸く歩み寄たるに、地より少し高くて見ゆる者有り。「何者の居たるにか有らむ」と見る程に、白々と曙ぬ。早う巌の苔蒸し薋(いばら) 這ひ懸たる也けり。

尚を「此の経を誦しつる音は、何方にか有つらむ」と怪く思て、「若し此の巌に仙人の居て誦しけるにや」と悲く貴くて、暫く守り立る程に、此の巌、俄はかに動く様にして、高く成る。「奇異也」と見る程に、人に成て立て走ぬ。見れば、年六十許なる女法師にて有り。立つに随て、薋(いばら)は氾々(ひろびろ)と成て※、皆切れぬ。僧、此れを見て、恐れ乍ら、「此れは何なる事ぞ」と問へば、此の女法師、泣々く答て云く、「我れは多の年を経て此の所に有つるが、愛欲の心発す事無し。而るに、只今、汝が来るを見て、『彼れは男か』と見つる程に、本の姿に成ぬる事の悲き也。尚、人の身許弊(つたな)き物無かりけり。今、亦過ぎぬる年より久しく有てぞ、本の如く成るべき」と云て、泣き悲むで、山深く歩み入にけり。

其の僧、長楽寺に返て語たりけるを、其の僧の弟子の聞て、世に語り伝へたる也。

此れを聞くに、入定の尼そら此如し。何に況や、世間に有る女の罪、何許なるらむ、思遣るべしとなむ語り伝へたるとや。

 

※ 氾々(ひろびろ)と成て

氾の字は人がうつむきに成って俯している象形です。人が水に浮かび流れる(水死体)を表していますので、ここではつる状の茨がバラバラになるさまを言います。『愛欲の心恐るべし』というわけですが、ここで出てきた花はノイバラと考えられます。

 

※長楽寺

東山三十六峰の中心に位置する長楽寺は、僧尼の隠棲禅定の地で、805年桓武天皇の勅命で伝教大師を開基として創建されました。( 本尊 : 伝大師御親作観世音菩薩 )一条天皇の時代(986~1011)に絵師巨勢広高が地獄変相の壁画を描いたお寺です。山中入定(岩窟などの密室に入り、長く深い瞑想に入ったように入寂すること、深遠な瞑想に入ることで単なる死ではありません)の尼が山に入ってきた僧に男を感じてしまい、長期に渡る修行の徳功を失ってしまいますが、そこには奥深い山中で修行を重ね、その中の清浄なる地で滅すると仙人化するという大前提があってのお話です。

 

安元御賀日記 (あんげんおんがのにっき)1176年 藤原隆房著から

女院の御方の打出、唐ぎぬ、うはぎもえぎ、青むらご、色々の糸にて、さうびんのまろ※をぬひたり

 

※さうびんのまろ

薔薇丸。薔薇の花を円形に図案化した文様。

 

『安元御賀日記』は、平安時代の歌人藤原隆房(たかふさ、1148-1209)の仮名日記で、1176/3/4~6にかけて、法住寺殿(ほうじゅうじどの:法皇の御所)で行われた後白河法皇(1127-1292)50歳の御賀の様子を記しています。藤原定家(1162-1241)をはじめ数人の筆になります。内容は、3/4の暁、後白河法皇が法住寺殿へ御幸した様子を記した記述から始められ、以下3日間にわたる行事次第が詳細に記されています。本書は、隆房が少将のときの仮名日記です。 

          春日権現霊験記 巻五の第一から四段「俊盛卿事」

  

春日権現霊験記絵巻、20巻。春日権現験記又は、「春日験記」と称し、もとは春日神社の所蔵だったが、のち皇室に献納されました。1309年(延慶2)3月、左大臣西園寺公衡 ( さいおんじきんひら、1264-1315 ) が春日権現に納めたもので、藤原氏の氏神である春日明神に関する霊験奇瑞 (きずい) の数々を高階隆兼(たかしなたかかね)が描いています。俊盛の邸宅、庭に面した場面には子供たちが寝そべって読み物をし、鳥に餌をやっています。庭右寄りにコウシンバラがが咲いています。当時の貴族の館の穏やかな日常が伝わってきます。

 

 


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