Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 117

2020年09月18日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

土佐日記(ca.934)、更級日記 (平安中期)、新古今和歌集(鎌倉時代初期)、平家物語(鎌倉時代)、方丈記(鎌倉時代)、徒然草(ca.1349)、芭蕉句集 (1666-1694)、鹿島紀行(1687)、更科紀行 (1689)、野ざらし紀行 (1698)、笈の小文 (1709)近松浄瑠璃集(1685-1716)、嵯峨日記(1753)、雨月物語(1776)、好色一代男 (1682)、好色五人女 (1686)、好色一代女 (1686年)、日本永代蔵(1688)、世間胸算用(1692)、西鶴織留 (1694)、蕪村集 (1808) の中に茨の記述は見当たりませんでした。再び茨が詩歌の中に姿を見せるのは、江戸も後期になってからです。

 http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/bungakusakuhin/index.htmlから   

訓蒙図彙(きんもうずい;中村惕斎(なかむらてきさい、1629/3/3-1702/8/19、江戸時代前期の儒学者、本草学者)によって寛文6年(1666年)に著された図入り百科事典(類書)。全20巻)巻名第十四冊/巻之二十(花草)国立国会図書館蔵

https://kutsukake.nichibun.ac.jp/EHJ/detail.html?id=1391 から

 

薔薇(しやうび)

語釈補記に、「いばら。墻蘼、牛棘、並同、総名也。今按、刺紅花、俗云、ごやおき、月季花、俗云、ちやうしゆん、月月紅、同。野薔薇、のいばら」とあります。

 

奥の細道(1702)

https://manapedia.jp/text/1983 から引用させていただきました。

心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。・・・・・ 秋風を耳に残し、紅葉も俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。

 

(不安で落ち着かない日々を重ねるうちに、白河の関にさしかかって旅をするという心が決まった。(昔、平兼盛が白河の関を越えた感動をどうにかして都に伝えたい)。

数ある関所の中でも(この白河の関は)三関の1つに数えられ、風雅の人が心を寄せる場所である。能因法師の歌を思い出すと、秋風が耳に残るようであり、源頼政の歌を思い出すと、今はまだ青葉である梢の葉もよりいっそう趣深く感じる。
卯の花が真っ白に咲いているところに、茨の花が咲き混じっていて、雪の降る白河の関を越えるような心地がする。)

昔の人たちは、冠を正し衣装を改めてから関を越えたということが、藤原清輔の書き物にも記されています。)

ここに描かれている薔薇はノイバラであろうと思われます。

  

美しい構図で描かれた植物は、いま見ても新鮮です。幕臣 岩崎灌園作『本草図譜』よりモッコウバラと庚申バラ。国立国会図書館所蔵。

https://intojapanwaraku.com/jpart/96470/ 

江戸時代には、身近な植物はもちろん、当時世界のなかでも独自の発展を遂げた「江戸園芸」、それに鳥獣類や魚介類など、あらゆる動植物が博物画に描かれました。

岩崎 灌園(いわさき かんえん、1786-1842江戸時代後期の本草学者。)『本草図譜』は20年をかけて作成され、1828に96巻を完成させました。

 

斑入植物 『草木錦葉集』水野忠暁(ただとし)編 1829刊 7冊のうち巻1 <特1-973>

国立国会図書館所蔵 

https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2013102420553505227?utm_content=buffer67455&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer から

『草木錦葉集』の大半の図は関根雲停の筆で植物図鑑としての性格が濃く、斑入の植物を中心に奇品約1,000品を掲載しています。絵には右に斑入りのいちご、左に月季花、野茨の説明があります。

 

水野忠暁撰、関根雲亭画の「小不老尊名寄:こおもとなよせ、天保3年頃刊」は図柄も素晴らしいので、薔薇とはあまり関連がないですが、皆様にもご覧いただきたくて引用させていただきました。 

水野忠暁は禄がなかったということですが、よくもここまでやり遂げたものだとおもいます。一芽百両という万年青もあったようですから、これで食べていたのでしょう。万年青もいいものでしょうが、鉢との取り合わせが素晴らしいですね。今の我々にはもう備わっていない“きもの”の着付けのセンスが生かされているようです。万年青が着物を着ているようだと思いませんか。

このような植物は金を生む樹として「金生樹」と呼ばれました。栽培される草花も、椿、菊、朝顔、牡丹などさまざま。美しさだけでなく、趣向の新しさを求めて、植物を栽培し品評する趣味も広がりました。斑入りの薔薇も仲間入りさせてもらったという感ですが、こちらのほうはあまり人気がなかったようです。1750年代以降になると、それまでの樹木中心から、草の方に注目が集まってきました。松や梅、楓よりも朝顔やカラタチバナ、マツバラン、ナンテン、マンリョウ、フクジュソウなどの方が扱いやすい、それに小さく扱うことに日本人の性向があっていることが挙げられます。対象の植物が質素な姿で、昔から身近に存在していたものに日本人は共感を抱くようです。「自然を常に身近に感じて生きていたい。自然と一緒に暮らしたい。生活の一部分に自然を取り込みたい。」といった願望があるのでしょう。そう考えれば、薔薇の花は取り入れ難いと感じるのも、合点がいきます。

 

茨を読み込んだ俳句を十首選びました。個性ある茨の姿が眼前に浮かび上がります。野ばら、野いばら、茨(いばら、うばら)の花、花うばらは、季語で「夏、初夏」です。茨の実は晩秋になります。

 

花いばら古郷の路に似たるかな       蕪村「五車反古」

道のべの低きにほひや茨の花        召波「春泥発句集」   

古郷やよるもさはるも茨の花        一茶「七番日記」

茨散て水の光りや木下闇          河東碧梧桐

花いばら、ここの土とならうよ       種田山頭火 草木塔

愚にくらく茨をつかむ蛍哉        「東日記」東 史郎

野いばらの芽ぐむに袖をとらへらる     水原秋櫻子

太白星は空の王者よ花茨          碧雲居句集

野茨にからまる萩の盛りかな        芥川龍之介 蕩々帖〔その一〕

茨の実いつか夕日の沈みゐし        稲畑汀子

「野ばらは、初夏、香りのある白い五弁の小花を多数咲かせ、華やかな薔薇とちがい、清楚で新鮮な野趣がある。」という印象から「冬になって葉が落ち棘だけが目立ち、とげとげしい。」と言った受け止め方まで、野ばらの捉えかたは詠み人によって様々です。

 

 


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