大きさは、上段が直径約9.4m・下段が直径約14m・高さ3.3mの円墳であり、
埋葬者は不明であるが、天武天皇や持統天皇の墳墓の近くにあるので、
天武天皇の皇族の関係者ではないかとの説もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/ad/fac3e4b03f72e440c74aad061291efe8.jpg)
石川医院での友人の診察時間を待ちながら、道しるべを見て900mなら、往復してもあまり時間もかからないと出かけた。
< 四神の壁画の眠っていたキトラ古墳はこんな場所> | |||||||||
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ここを訪れることによって、是非開催中に壁画を見たいという思いが募ったのが事実であった。
阿部山のバス停でバスを待っていたおばさんが、「そこには今何も見ることができないよ。資料館に行ってるからね。」と写真を撮っている私に話しかけてくれた。
資料館へ行った時、入場券を買う私の後ろにいた人が、係りの人に「キトラ古墳はどの辺にありますか。」と尋ねていた。
その尋ねていた人と同じような気持ちで、高貴な人が一体明日香のどんな地に葬られていたのか知りたくて、阿部山の地に立った私だった。
保存については、 キトラ古墳周辺で16年度までに整備する飛鳥歴史公園内の新施設か、飛鳥資料館かの2つの考えがあったようだが、『「壁画は古墳と一体的に保存すべきだ」として、よりキトラ古墳に近い新施設に決まった。』とのことを報道で知り、いつかはこの辺りが大きく変わって、高松塚古墳のように、美しく整備された歴史公園になるのだろうと思いながら更新記事を書いている。
くわしいお写真ありがとうございます、
7世紀の人たちが、
今にも通用する絵を描いていたのですね、
われわれのブログなども、
どのくらい保存してくれるのでしょうか?
一つは、土地の名前の「北浦」がなまって、キトラになったというのと、盗掘した時の穴が、あってそこから覗くと、亀と虎の絵が見えたからという説ですが、どちらも肯かれるようですが、はっきりしないのが面白いですね。
ほんと。
考えたことなかったなぁ~~~
発掘によって現れた四神もカビとの戦いですね
埋葬されていた方は今の時代をどう見ているのでしょうかね~~
その上にたっての、キトラ古墳の壁画が新しくできる施設で、発見の時のままに保たれることを願うのは、古代へのロマンに繋がる思いですよね。
ただ、少し事前の知識を持っていないと見過ごしてしまうようなものも多いですね。
昔からの風を感じられるような明日香を何度も訪ねたいと思っています。
石川医院でのちょっとの待ち時間を有意義に過されました。
丁寧に保存されてます。感激しますね。
明日香村役場の地図を懐かしく拝見しました。
明日香を訪れたときの民宿が役場の傍でした。
経営者は村会議長を務めたと言っていました。
壷坂は「壷坂霊験記」の壷坂でしょうか。
気になってしまいましたので(笑)
一番近い所でなんと幸せなanikobeさんと思いました。
生かされているうちに壁画四神様に会えるの もお陰様ですね。
お互い近くの町に住んでいますので、ちょっとした時間に出かけることができるのが幸せです。
今日も、通院2回目のお供でしたが、また待ち時間の有効利用をしてきました。
だいぶよくなったとお医者さんに言ってもらったそうです。
明日香の思い出の場所が、役場の近くだったのですね。
壺坂寺葉、あのお里沢市のお話のお寺です。
境内に視力障害の人の施設がありますので、香の花園が作られています。
駐車場には、近畿はもちろん、関東地方のナンバーの車もたくさんありました。
遠くからこられているのだなぁとその時に思いました。
「今」を大切に過ごさせていることに感謝です。