カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

我が家の車第一号 ヒルマン・ミンクス

2014年02月28日 | ▼ 思い出綴り

 

 

 列車関係の展示スペースの1角に、旧車が並んでいた。主に作業用の車で、農作業や荷物の運搬に使っているのを見かけたのもが多かった。 その傍のロープで区切った1台の車に私は目を奪われた。 懐かしさがこみ上げてきて、何度もその周りを丁寧に見て歩いた。

 

 

旧車が並んでいた1角。 

 

「HILLMAN」 とボンネット部分の前に書いてあるのを見て、今大阪弁天町の鉄道科学博物館でみることのできたのが、言葉では表現できないような衝撃に近い感動のようなものだった。

 

教習所で運転免許の合格を手にして、1週間もたたないくらいの時、夫は「ヒルマン・ミンクス」という車に乗って帰宅した。

教習所の先生が、新しい車と買い換えるので、よかったら乗ってみないかと、案外安く譲ってくれたとのことだった。

薄いベージュと白のツートンカラーで、余りこの町で見なかった車だ。 

 

外車なのに右ハンドルなのだなぁくらいしか、車についての知識が私にはなかった。それが、この記事の一番下の画像にある説明文で、いすずが イギリスのルーツ社から全ての部品の供給を受けて国産車として生産していた車種であるのが、今始めて知った。夫はこの車に乗っていたのは何年くらいだったか忘れたが、休みには同乗して、あちこち連れて行ってもらったものだった。

  

車が好きだった夫は、これが中古車であることが不満だったらしく、気に入った新車のカタログを持って帰り毎日検討していたが、それが気に入ったのか、新車がヒルマンに取って代わったのは間もなくのことだった。 

それから何台か車は変わったが、私には我が家にとっては始めてのこの「ヒルマン・ミンクス」の当時にしてはお洒落な色合いでいい乗り心地だった第一号が、妙に懐かしく、もうあの車は何処にも見ることのない車だと思うと、ふと亡き夫を思い出すとき、この車が浮かんでくるものだった。

それが弁天町の交通科学博物館の、旧車の仲間たちの中で、気位高そうにロープで囲まれているのを見て、胸が痛むような懐かしさと若い頃とが重なって、何かの縁がヒルマン・ミンクスと、出会わせてくれたような気がする。

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コメント (4)
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