入り口の引き戸の上で1年間護ってもらった杉葉と、昨年お参りした時にいただいたお札を、昨夜感謝の気持ちをこめて取り外した。
もう何年続いているだろう。子供たちの厄年からだから、いつの間にか厄年でなくても毎年お参りし、1年の無事を感謝して、次の年が無事であるようにと友人のKちゃんとの岡寺へ初午の今日、お参りしてきた。
昨日の温かさが嘘のように、北風の冷たい日で、遠くに見える山は雪のカーテンに霞んでいた。それでも雨に遭わないでお参りすることができた。お天気の悪いせいかいつもの年よりお参りの人が少なかった。
「昨年より今年と、石段が辛くなってくるなぁ」kちゃんとそんな話をしながら、山の上のお寺に一段一段登って行く。
ゆっくりでもいい前へ進めて、一段登れる、そのありがたさも年を重ねるにつれて思う。普通であることだったはずが、ありがたさに変わってくる。
受付をして、大般若経を唱える時刻になるまで少し待った。目の前で護摩木が焚かれ、炎が本堂を明るくする。
数人の僧侶の唱える大般若経が本堂を揺るがすように響く。目のまん前で流れ落ちる水のようなお経の書が10巻2回の読経の拝聴と、そうの手の動きに、心洗われる様な時間が流れる。
奈良時代末の制作にかかる巨大な如意輪観音座像が本尊としてまつられている。大きい観音様であるだけに、正面から拝すると、大きな包容力で、温かく見守られているように感じる。
お堂の外からガラス越しの撮影である。
新しく購ってきた杉葉のお守を玄関に吊るした。この下をくぐって出入りする度、厄除け観音様を意識する。
雪の降る寒い立春だったが、名のみの春に例年通りお参りをすることができたことで、心は温かい。
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