「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

BLOG表現の困難さ4 太宰治 甘えの構造

2005年04月10日 00時29分59秒 | BLOG論
 BLOGの人称については以前述べた。

 太宰治が2人称を多用し、語りかける口調で読者(主に女性)の心をつかみ絶賛されていることも述べた。
 
 太宰の文体にはもう一つの秘密があると僕は考えている。

 それは津軽弁だ。

 太宰治は青森県の津軽の出身だ。

 大学に行くため、東京に出てくるまで、彼は青森を出ていない。

 ということは彼の思考言語は津軽弁であったはずである。

 津軽の人のはなす方言を聞いたことがあるだろうか。

 僕はNHKから出ている、全国の方言のテープを聴いたことがある。(最近CD化されたらいい)。

 収録は昭和23年頃で、対象者はいずれも高齢者である。

 標準語教育制度がまだ十分に整っていない時代に言語を覚えているはずだから、純粋な方言を話す方々と考えていい。


 聞いてみればわかる、ちょっとした公共の図書館なら、おいてあるはずである。

 ぜんっぜん分からない。はっきり言って同じ日本語とも思えない。何度聞いても部分的にしかわからないし、添付の解説書を見ながらでも最初は何処を読んでいるか分からないくらいである。

使用する単語の意味が違う。口の中でニョゴニョゴいってるようで、早いし聞き取れない。

 他にもあるが僕が注目しているのは助詞を省くという特徴である。


 僕は 君が 好きです。


 おやじが血迷った訳ではない。


 助詞について話そうとしている。


 僕(は) 君(が) 好き(です)

 ( )が付属語である。

 日本語でも英語でもそうだが、単語だけ並べて話してもだいたい通じることはある。

 ( )を抜いて言ってみる。

 ちなみにあなたは幼稚園の園児である。

 好きな女の子の前に立って、

 ぼく、きみ、すき

 と言えばあなたの気持ちは理解されるはずである。


 これに 文末を「~でえーす」とすれば「ぼくう、きみい、好きでえーす」となって立派に外国人の物まねになるし、「~あるよ」とすれば「わたし、きみ、すきあるよ」となって昔、芸人さんがしていた中国人のマネに近いものになる。

 要は、助詞助動詞の使い分けが難しいので、省略して通じるならそうしてしまおう、ということだろう。

 それどころか、今の外国人は最初に「どうぞ」と「どうも」を覚えてやり過ごすことを身につけるのだそうだ。

 これさえ覚えておけば、日本人の方が良いように納得してくれるのだそうである。


 
 太宰の文体の話である。

 助詞や助動詞を分から抜くと拙さや幼さが顔を出してくる。

 太宰の文体には助詞の省略が目立つ。

 そして二人称で語りかけてくる。

 太宰の文体、甘えかかる文章力を育んだのは津軽の風土で無かったかと疑っている。

 次は、2人称ブログ、レターについて考えます。

 今回の文もまた、文章表現の難しさについて考察が及ぶ前に力尽きました。

 あしからず      

 

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2 コメント

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そう言えば (mamachari)
2005-04-10 13:53:12
 昔職場で青森出身の人がいて、実家に電話してたんですけど、まったく何言ってるのかわかりませんでした。まるで外国語みたい。
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でしょ (aniki)
2005-04-10 17:01:48
 青森でも津軽と陸奥とではまた、違うんだそうで同じように扱われることを嫌ったりするそうです。

 静岡でも浜松と静岡では気質が違うみたいです。



 
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