↓ 新国訳大蔵経中論第二十四章の冒頭部分。
若一切皆空 無生亦無滅、如是則無有 四聖諦之法
(読み下し文)
若し一切は皆空ならば 生も無く亦た滅も無し
是くの如くならば則ち 四聖諦の法有ること無し
(日本語訳)
若し一切世間は皆空にして所有無くば、即ち応に生無く滅も無かるべし。生無く滅無きを以っての故に、則ち四聖諦無し。
このように出だしのたった1偈を目にしただけで、たちどころに思考能力が停止しやる気が失せてしまう。
定型的に書き下された決まり文句はそれだけでおもしろくなく、日本語訳も馴染めない。
漢文が苦手なのは今に始まった話ではありませんが、どうしたらよいものやら。
現在私が取り組もうとしている空海の『詠十喩詩』では第一番目の詩のところにすでにこの「中論」を読まなければ理解できない部分が出てきます。
「非空非有越中道 三諦宛然離像名」
それで「中論」を図書館で借りてきたもののやはり読みこなすのは無理っぽい・・・と思ったのが第一印象。
ところが新国訳大蔵経の後半部分にサンスクリットの原文とその日本語訳が載っていたのです(たぶん全部)。
yadi śūnyam idaṃ sarvam udayo nāsti na vyayaḥ/ caturṇām āryasatyānām abhāvas te prasajyate
もしこのすべてが空であるならば、生もないし滅もない。君には四聖諦の無(という誤謬)が結びつく。
私のサンスクリット語学力はまだ初級レベルですが、少しはわかる部分もあって親しみを感じます。
なにより漢文のようにエラそうに言わないのがいい。
本には煩瑣な解説がぎっしり詰め込まれていてかえって理解不能なので、サンスクリットとその訳のところだけを抜き出そうと思います。
今日は一番必要性の高い「第二十四観四諦品」を筆写(パソコンで入力)しました。