雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月24日(金) すごしやすくなった

2018年08月24日 20時41分53秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 8月24日(金) すごしやすくなった

 台風が去って、浜松もすこしすごしやすくなった。

 県原水協に電話して、数年前にビキニ研究会でとつくったというファイルがあるかどうかを聞く。県民医連のKさんを教えてもらい、連絡してファイルをメール添付でもらう。

 過去10数年の成果を見れる。感謝、感謝。

 22日のブログが359IPの1081PVになる。4180位。たぶん過去最高。これも感謝、感謝。

 


過去現在未来のメモリーノート 27 沖縄 ④ 沖縄慰霊の日 20170623 上原愛音

2018年08月24日 10時49分05秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 27 沖縄 ④ 沖縄慰霊の日 20170623 上原愛音


 沖縄の基礎学習のためのノートを公開していこう。それが沖縄支援になることを強く願う。てはじめに「6・23発言集」を可能なところで。

 今年の沖縄慰霊の日の14才の少女の発言と安倍首相の発言は「過去現在未来のメモリーノート 22 14才の少女の発言と安倍晋三首相の発言」に掲載した。

 以下、昨年の6・23での宮古高校3年生、上原愛音さんのすてきな発言。

 

沖縄 慰霊の日 2017年6月23日

「誓い~私達のおばあに寄せて
 
宮古高校3年 上原愛音

 

今日も朝が来た。

母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。

いつも通りの

平和な朝が来た。

七十二年前

恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで

おばあもこうして

朝を迎えたのだろうか。

おじいもこうして

食卓についたのだろうか。

爆音とともに

この大空が淀んだあの日。

おばあは

昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を

友と歩いた砂利道を

裸足のまま走った。

三線の音色を乗せていた島風に

鉄の臭いが混じったあの日。

おじいはその風に

仲間の叫びを聞いた。

昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り

生きたいと泣く

赤子の声を抑えつけたあの日。

そんなあの日の記憶が

熱い血潮の中に今も確かにある。

決して薄れさせてはいけない記憶が

私の中に

私達の中に

確かに刻まれている。

少女だったおばあの

瞳いっぱいにたまった涙を

まだ幼かったおじいの

両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを

私達は確かに知っている。

広がりゆく豊穣の土に芽吹きが戻り

母なる海がまた

エメラルドグリーンに輝いて

古くから愛された

唄や踊りが息を吹き返した今日。

でも

勇ましいパーランク―と

心臓の拍動の中に

脈々と流れ続ける

確かな事実。

今日も一日が過ぎゆく。

あの日と同じ刻ときが過ぎゆく

フェンスを飛びこえて

締め殺されゆく大海を泳いで

癒えることのない

この島の痛み

忘れてはならない

民の祈り

今日響きわたる

神聖なサイレンの音に

「どうか穏やかな日々を」

先人達の願いが重なって聞こえる。

おばあ、大丈夫だよ。

今日、私達も祈っている。

尊い命のバトンを受けて

祈っている。

おじい、大丈夫だよ。

この島にはまた

笑顔が咲き誇っている。

私達は

貴方達の想いを

指先にまで流れるあの日の記憶を

いつまでも

紡ぎ続けることができる。

誓おう。

私達はこの澄んだ空を

二度と黒く染めたりしない。

誓おう。

私達はこの美しい大地を

二度と切り裂きはしない。

ここに誓おう。

私は、私達は、

この国は

この世界は

きっと愛しい人を守り抜くことができる。

この地から私達は

平和の使者になることができる。

六月二十三日。

銀の甘蔗(かんしょ)が清らかに揺れる今日。

おばあ達が見守る空の下

私達は誓う。

私達は今日を生かされている。」

 


雨宮日記 8月23日(木) 四国東部に台風

2018年08月23日 19時21分51秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 8月23日(木) 四国東部に台風

 いま午後7時。午後は浜松で強い風雨がふいたり、やんだりという感じ。

 報道では、さっき静岡県西部で竜巻があったようです。

 まだ台風はこれから。

 昨日、静岡市の海岸で花火をしていた静大の学生3人が行方不明。

 


過去現在未来のメモリーノート 27 沖縄 ③ 翁長元知事の「遺言」なるもの

2018年08月23日 08時43分43秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 27 沖縄 ③ 翁長元知事の「遺言」なるもの

 翁長元知事の「遺言」テープなるものがあるようです。「あるようです」と書いたのは公表されていないで、ただ1人しかそのテープを聞いていなからだそうです。

 だったら、そのテープは封印して、それについて語るべきではない。もし「オール沖縄」全員に向けてのテープならただちに全音声を公開すべきだと思う。

 これでは「お家争い」「相続騒動」になってしまう。

 おかしい。なにかが、どこかが狂っている。

 第1に、やるべきは狭い範囲での「後継者選び」ではなくて「オール沖縄」の範囲も含めた徹底した「戦略・戦術のねりなおし」であろう。

 そのためには、まず「見ること」。「全力をあげる」のは次の段階でいい。

 でないと、今回の沖縄県知事選は「オール沖縄の最終的瓦解の時」と言われるだろう。これは予言ではない。たんなる、そうなるという見通しにすぎない。誰にでもわかることであると思う。

 


新・本と映像の森 173 ことばと詩 5 ポール・ゴーギャン ① 絵とことば

2018年08月22日 15時03分30秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 173 ことばと詩 5 ポール・ゴーギャン ① 絵とことば

 フランスの画家ポール・ゴーギャンには有名な絵とことばがある。ことばは

  「われわれは どこから 来たのか
   われわれは 何なのか
   われわれは どこへ行くのか」

 というものだ。引用は松岡正剛さんの『千夜千冊』1226夜「佐治晴夫・宇宙の不思議」(2008年3月6日)による。というより、松岡正剛さんの『千夜千冊』1226夜を昨日、偶然見て、このことばを思い出した。

 松岡さんの同じページに「トマス・アクィナス以来の有名な問いを絵にしたもの」とあるので、中世のトマス・アクィナスにまで少なくともさかのぼりそうだ。今は詳しくはわからない。

 これがボクが、ついこのあいだ「新・本と映像の森 170 ことばと詩 3 パルミロ・トリアッティ」でとりあげたトリアッティのことばに類似することは、ボクにとっては新発見です。

 というより、アクィナス=ゴーギャンの「問い」に対する、トリアッティとしての1つの「解答」のように見える。

 アクィナス=ゴーギャンの問い。

  「われわれは どこから 来たのか
   われわれは 何なのか
   われわれは どこへ行くのか」

 トリアッティの解答。

  「われらは遠くから来た
   そして遠くまで行くのだ」
 
 ボクはトリアッティの言う「われら」というのは「共産主義者」と今まで解釈してきました。しかしアクィナス=ゴーギャンと対比するなら、それは思い込みであって、「われら」を「人類」と解釈すべきようにも思えてきました。

 気になるのはトリアッティは、アクィナス=ゴーギャンの問いの真ん中の第2点「われわれは何なのか」を欠落させていることです。それとも、まったく別物だったりして。

 すべては今後の文献批判が決することです。何かわかってきたら、続報を書くつもりです。

 


雨宮日記 8月22日(水) 「青い地球 4号」編集完成

2018年08月22日 11時23分16秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 8月22日(水) 「青い地球 4号」編集完成

 今日で「青い地球 4号」の編集完成。A4で1ページ。「青い地球」は日本平和委員会の『平和新聞』の浜松版に織り込む付録で「浜松市平和委員会ニュースレター」です。

 以前は、企画・記者・編集・印刷・配達と全部やっていましたが、この前の「8月5日号」から「企画」「編集」だけ復帰しました。「記者」部分は他の「編集部員」に頼ります。ある程度は電話・ファックス・メールでできますが。

 どれくらいできるか、車椅子の挑戦です。

 「青い地球 4号」のメインはフィリピンのA・G・サニョさんの絵「富士山と平和行進」です。

 


雨宮日記 8月21日(火)の2 カネタタキ?が鳴いていた

2018年08月22日 11時10分47秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 8月21日(火)の2 カネタタキ?が鳴いていた

 夜、2階のボクの寝ているすぐ外でリッ、リッ、リッ、リッ、リッと小さなきれいな声で虫が鳴いている。これはカネタタキ?かな。

 か細い声で。なんで、こんなに遠慮してるんだろうと思うくらい。繊細で遠慮深いオスクン。

 真夜中2時ごろ、雨が降ったようですが、ボクは1時前からグッスリ眠ってました。


新・本と映像の森 172 伊豆利彦「戦争と平和」(『平和新聞』連載)

2018年08月21日 12時15分16秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 172 伊豆利彦「戦争と平和」(『平和新聞』連載)

 伊豆利彦さんは日本近代文学の研究者。横浜市立大学名誉教授。故人で伊豆利彦さんのホームページに部分的に他の執筆原稿が残っている。

 伊豆利彦さんの「戦争と平和」は、本になっていないし、原稿も見当たらないようなので紹介する。

 正確には「連載エッセー 近代日本文学にみる 戦争と平和」で日本平和委員会発行、旬刊『平和新聞』に2000年4月25日から連載。

 いま「第1回 北村透谷『平和』発行乃辞」にはじまって、3回から8回までと、33回、36回、38回、78回の11回分出てきた。

 以前の『平和新聞』は捨ててはいなくて、いま内容整理して捨てるものは捨てる、分類してとっておくのはノートに貼っていくという作業をしているので、残部もいずれは出てくると思う。出てきたら、また報告します。

 第 1回 北村透谷『平和』発行乃辞       2000年4月25日

 第 3回 島崎藤村「農夫」(『藤村詩集』「夏草」) 2000年6月25日
 第 4回 孝徳秋水『二十世紀の怪物 帝国主義』 2000年7月25日
 第 5回 内村鑑三『寡婦(やもめ)の除夜』   2000年8月25日
 第 6回 木下尚江『火の柱』          2000年9月25日
 第 7回 与謝野晶子『君死にたまふことなかれ』 2000年10月25日
 第 8回 夏目漱石『趣味の遺伝』 2000年11月25日

 第33回 高井有一『少年たちの戦場』 2003年4月25日
 第36回 原民喜『夏の花』      2003年8月25日
 第38回 志賀直哉『灰色の日』     2003年10月25日

 第78回 開高健『ロビンソンの末裔』     2007年10月5日

 ここに伊豆利彦さんが紹介した近代日本文学を、まず読むということから始めれたらいいなあと思います。

 


新・本と映像の森 171 ことばと詩 4 小森香子「河」

2018年08月20日 10時56分47秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 171 ことばと詩 4 小森香子「河」

 詩人・小森香子さんといえば「青い空は」をまず語るべきなのだろうが、それは別項とする。

 これは雨宮智彦『ことばと詩と絵 手書きノート』に写してあったもの。ボクがわりあい好きな詩。

 ボクは地方都市の街中でずっと育った。だから小さい頃、河といえば死んだ河だった。ぼくが可愛いイトトンボたちに出会ったのは40代になってからだった。

 「 河  小森香子

 魚のかわりに
  白い泡をすくう
  それでもぼくは
 河にゆく
 河は
  死にかけながらも
 ぼくとあそびたがって
  いるのだから」
 ≪ 雨宮智彦『ことばと詩と絵 手書きノート』より ≫

 たぶん『こども白書』かなんかに掲載されていた。

 


新・本と映像の森 170 ことばと詩 3 パルミロ・トリアッティ

2018年08月19日 11時13分59秒 | 本と映像の森

 

新・本と映像の森 170 ことばと詩 3 パルミロ・トリアッティ

 パルミロ・トリアッティはイタリア共産党の有名な指導者で1964年に休暇中にソ連の保養地・ヤルタで脳出血で急死した。

 「われらは遠くから来た
  そして遠くまで行くのだ」

 ボクが初めて、このことばを読んだのは1970年代だと思う。たぶん、最初は歴史学者・羽仁五郎さんの『明治維新史研究』の冒頭ではないかと思う。いま、奧の部屋の本棚の奧の列にたぶん突っ込んであるので、もし出てきたら確かめたい。

 つぎに見たのは、たぶんマンガ家・白土三平さんの『忍者武芸帳 影丸伝』のラスト・シーンだった。こっちが先という可能性もある。

 百姓一揆の指導者・影丸が捕らわれて、五体割きの刑になる直前、『忍者武芸帳 影丸伝 8』小学館文庫、原作1962年9月完結、のp266から。

 影丸「美しい空だ……」
   「前にも1度このような…」
   「あのときも
    同じように
    羽虫が耳のわきを…」
   ブイーーン

   (一部略)
   ・・・・・・
 影丸死刑の見届け人・蘭丸(信長のお小姓です)の耳元で誰かがささやく。

 影丸『蘭丸……』
 蘭丸「やつの声だ!」
 影丸『蘭丸……
    われらは遠くから来た
    そして遠くまで行くのだ……
    わかるか……』
 蘭丸「語らずして心をつたえる夢声伝心の法……
    あいわかった。しかと伝えようぞ!」

    ☆

 ボクは「われらは遠くから来た」のを知っている。だから過去も1千年や100万年や150億年の「遠く」を見ておきたい。

 ボクは、それほど「遠くまで行く」ことは、ない。だから「そして遠くまで行く」その「遠く」を見たいと願う。

 なおパルミロ・トリアッティのことばの原典・原文章は不明。誰か、わかる人いたら、ぜひお知らせください。

 


新・本と映像の森 169 ことばと詩 2 金子光晴「反対」

2018年08月18日 16時03分42秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 169 ことばと詩 2 金子光晴「反対」

「新・本と映像の森 152」で書いた「小松美彦『自己決定権は幻想である』洋泉社新書、2004年」の後半の192ページから194ページで紹介されている詩です。

 金子光晴さんの詩を全部読んでから紹介したいのですが暇が今はありません。

 詩だけ紹介します。

 「反対

 僕は少年の頃
 学校に反対だった。
 (省略)
 
 僕は第一、健康とか
 正義とかが大きらひなのだ。
 健康で正しいほど
 人間を無情にするものはない。

 むろん、やまと魂は反対だ。
 義理人情にもへどが出る。
 いつも政府に反対であり、
 (省略)

 とりわけ嫌いは、気の揃ふといふことだ。

 僕は信じる。反対こそ、人生で
 唯一つ立派なことだと。
 反対こそ、生きてることだ。
 反対こそ、じぶんをつかむことだ。」

ー 初期詩篇、『金子光晴抄』

 「初期詩篇」とあり「気の揃ふといふ」と「いふ」仮名遣いから言っても戦前の作でしょう。

 でも、これは2010年代に作られたと言っても充分通用すると思う。

 もっといろんな点を小松美彦さんは書いているが、またにします。

 


新・本と映像の森 168 ことばと詩 1 チャン・フン・ダオ

2018年08月17日 10時59分51秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 168 ことばと詩 1 チャン・フン・ダオ

 「1人で戦い、千人が戦い
  千人が1人のように戦う」
(チャン・フン・ダオ『兵書要録(ビン・ツー・ユー・ルオッタ)』)
≪ 雨宮智彦『ことばと詩と絵 手書きノート』より ≫

チャン・フン・ダオは漢字で陳興道(ちんこうどう)。1228年に生まれ1300年に没しました。当時ベトナムを侵略してきた元=モンゴル軍と勇敢にゲリラ戦を戦ったベトナムの軍人です。

 ウィキペディアでは「チャン・フン・ダオ」で出ていなくて「陳興道」で出ています。

 ブログ「歴ログ -世界史専門ブログ」「ベトナムの英雄たちの救国の歴史(後編)」に少し出ています。

 関係あるか、ないか不明ですが日本の民主陣営内では「1人の千歩より、千人の1歩を」なんて言われることがあって、ボクはこれを聞くと
 「1人×1000歩=1000人・歩
  1000人×1歩=1000人・歩」と「同じじゃないか」突っ込みたくなります。
 せめて「1人の千歩より、千人の2歩を」ぐらいは言ってください。みんなを「1歩」で停止させる悪平等はごめんです。
1人で1万歩を歩いたっていいんです。

 


新・本と映像の森 167 大西広「今の中国をどう見るか」(『平和運動 2016/3』)

2018年08月16日 08時12分56秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 167 大西広「今の中国をどう見るか」(『平和運動 2016/3』)

 副題「「中国脅威」論を前にして」、雑誌p2~11、発行=日本平和委員会

 著者はマルクス経済学者。現・慶應義塾大学教授。

 大西広さんは、この7月に浜松で講演をした方で、この講演もおもしろかった。

 中国にかんする基本主張は以下のとおり(p10)。
  1、 現在の中国は「資本主義」であること。
  2、 かなり発達した「国家独占資本主義」の段階にあること。
  3、 その中で各種の「階級闘争」が繰り返されていること。
 さらに
  4、 BRICSは一種の後発帝国主義同盟(p3)。
  5、 中国への批判は必要だが正確によく考えて(p2~4)

 結論として著者は言う。
 「マルクス経済学者として強調しておきたいことは、すべての諸国は原始共産制→奴隷制→農奴制→資本制を通じて社会主義へ向かうということであって、その意味で日本より40年遅れで進んでいる中国の社会経済システムが「社会主義」であるはずがないということである。」
 「日本共産党は現在の中国を「社会主義を目指す国」と呼んでいるが。その「社会主義を目指す」との趣旨はここにある」(p11)

 


戦争と平和 17 戦争と平和の本 4 計見一雄『戦争する脳 破局への病理』平凡社新書、2007年

2018年08月15日 10時56分18秒 | 戦争と平和


戦争と平和 17 戦争と平和の本 4 計見一雄『戦争する脳 破局への病理』平凡社新書、2007年

 238ページ、定価本体760円。

 「戦争と平和の本」は「本と映像の森」とは別系統にして、この「戦争と平和」で紹介していく。

 この本で今日、紹介するのは、「第1章 否認という精神病理現象」だけです。

 「あってはならないこと」が「存在する」のを予想して対応したほうがよい。「あってはならない」不祥事が起きて、謝っている会社や団体の責任者はたくさんいる。

 著者は言う。「リスク・マネージメント」ではなく「ダメージ・コントロール」でいい。

 リスク・マネージメントは経済学の投資の安全性をいかに確保するか、という理論だった。(p29)

 よくあることは「肉体」を否認する、「怒り」を否認する。

 「優しさ」「いやし」の流行は著者は願い下げである。

 著者はそれが「あるぞ」というところからスタートする。「ないほうがいい」ことを「ない」と間違えてはいけない。「ない」からスタートすると「あってはならない」になって現実を否認する「あってはならないことは存在しない」にまでいきつく。

 「航空機事故」は「あること」であって、だからアメリカなどではパイロットは訴追しない。

 戦後日本で最大の否認の対象になったのが自衛隊である、と著者は言う。それはほんとうのことである。では、自衛隊に対していまどういう態度をとればいいのか、は別論で。

 誤解しないで欲しい。自衛隊は軍隊ではないと否認したのは左翼と共産党ではない。自民党政府だ。だからと言って左翼の側に錯誤がなかったのではない。このことはまた述べたい。

 とにかく全体として興味深い本だと思う。

 大日本帝国海軍とからんで、もう1度、この「ダメージ・コントロール」を話題にすることがあると思う。